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October 20, 2004

言葉に紡がれた世界

大好きな日本人作家が2人いる。
森博嗣、真保裕一だ。

森博嗣には、想像限界を遥かに超え文章を読んでようやく指先が辿り着けるほど数的に精巧に創り込まれた世界と、非日常とも言える淡い恋心を。
真保裕一には、現在の自身の生活からは及びも着かない国家・世界スケールの展望から繰り広げられるダイナミズムと言葉裏に存在する筋に沿って二転三転する展開と収束を。

求めて俺は2人の本を読む。

そんな、描く世界が異なる両者に共通するのは、
『人間味に溢れたストーリィ』であるということ。

一言で言えば登場人物の魅力、なんだけど。
設えられた世界を背景に展開するのはヒトの思考であり行動になる。
未だ見ぬ観念や着想、具体的には世界観や展望、構造を言葉を通じて感得できることが、何よりも心地いい。
その大元は、可能性への期待と希望なのかもしれない。

最も好きな書もあるけれど、それはおいといて、
最近、真保裕一の「ボーダーライン」を読んだ。
読み終わったら涙が一筋頬を伝ってた。
俺がこの本に見たテーマは親子。

俺は一つの人生の岐路を半年後に控えて将来を想像し心を固めていくに当り、
概して漠然ではあるけれど家族を持つことも頭に浮かんできたりする。
受動系なのは能動的では無いが故。決して前向きに望むわけではない。
けど、俺は子供が好きだし、具体的な姿は置いといても幸せな家族に憧れもする。

そんな折、上記書を読んで物事を”解釈”するヒトの心について考えさせられた。

赤子のように無邪気に笑い叱責には素直な涙で反応しながらも息をするように父親さえ撃てる彼。

もしも本当に、身体に障害を持って生まれてくる子供のように、精神に障害を持って子供が生まれてき得るとしたら。すなわち、赤ん坊が真っ白には生まれてこなかったとしたら。
世の中の風潮や環境、彼を取り巻く何モノのセイにすることすら叶わず、彼にとっての世界を構築する彼の『解釈』が世の中を支配する一般常識と異なるとしたら。
従って、欲望を抑え罪といった概念を教え生む教育すら彼には無効だとしたら。共通する解釈を持たず意思を交わすことが不可能だとしたら。

彼に罪はあるのだろうか。
そしてそんな子供を愛せるのだろうか。

世界は、決して全体にはなり得ない”大多数”が共有する観念の基に構成されている。当たり前のように少数派は抹殺される。生物としての最低条件である生存可能性を満たしていようが、”どんな形の”生存もあっていいハズなのに、「欲」を存在基底に持つ大多数の人間にとっては発展こそ全てでそれと流れを異にする概念は悪だと解釈・判断されそれがまかり通る。多数派によって。罪という考え方だって人間の創造だ。

生まれながらに、他の何モノのせいでもなく、彼自身がその観念から外れたところに位置するだけで、
彼に地球上で生きることを許さないこの世界とは、暴力にも似た虚構以外の何かでありえるんだろか。

かく言う俺もそんな規範と常識に飲まれその中での考え方を身につけており、
それと異なる存在への共生に対して自信がない。

異なる地域に出向こうが外国で生活しようが、
異なる文化に驚きはすれど、どんな人間にも共通してある何らかの「先験性」がある。

それが『解釈』できない場合。。。

親と子の絆とはいかなるものなんだろか。
まったくもって想像ができない。

自分が望む幸せ。
その姿はまだまだ霧に隠され全容をぼやかしたままだ。

  

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Comments

俺も真保裕一はちょくちょく読むで。
ボーダーラインはまだやな。読んでみよっ

Posted by: soba | October 21, 2004 08:37 AM

俺は「震源」がいっちゃん好きや~

Posted by: かっき | October 23, 2004 02:43 AM

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