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October 27, 2004

続-分かりにくいコメント

もっと言うなら、「すご~い」しか言えないレポーターは自分の気持ちを見つめる訓練が出来てないんだとも、思う。

”すごい”と思うのは、過去に見たモノとか頭に想像してたモノと無意識に比較して優劣をつけてるが故のセリフだろうから、それを表現できれば”どうすごいのか”の説明になる。
例えば、「前に同国の別地域の景色を見た時は~だったのに、ここは~が~になってますね!!」ってな感じ。(長いって??)

要するに、自分の内部に自分が何故そう感じるのかの裏付けとなる事象を瞬時に客観的に探し出す訳だ。
絶対に理由がある。今までの経験その他もろもろの要素があって今の自分があるんだから。

それに関しても、そごうがコメントくれたように、すごいと思う内容はヒトそれぞれ。
あるヒトにとっての感動は、別のヒトには大した事無いって場合も多々ある。
だからこそ、自分がすごいと感じる理由を端的に説明する必要があるんだ。

そうじゃないと、自分の”気持ち”なんて理解されない。

さらに言うなら、
何を喋るにしても一言自分がそう思う理由をキチンと付け加えて喋れる日本人があまりにも少ない。
地域のワークショップなんか行くと酷いもんだ。主張するだけで根拠がついてこない。

これは、俺が常に心掛けてることの一つ。
たった一言でもいい。何故そう考えたのかを一言添える。

そうしないと、他人を説得できないから。それ以前に話が通じないから。翻って誤解を生むから。
抽象論を熱弁振るったところで、解釈過程・事象価値判断要素がバックグラウンドや経験によって異なる他人には、自身の思考回路を前提とした話は根底を異にするという意味で意味を成さないからだ。

解釈に拠る以外は絶対的な「過去の事実」を引き合いに出せば、
今述べてることがどんな具体的な事象に基づくかが想像してもらえて、
別の解釈も可能となりうる誤解を回避することができる。

そうして、本来思考が異なる他人同士が、話をする上での前提を予め築き、コミュニケーションが可能となる。

単一民族が狭い島国で生活する上では、互いに前提を確かめる必要がない。
そうやって文化を育んできたツケが、この社会国際化に際して回ってきてる。

教育の問題だろうと俺は思う。
自分の意見を”ハッキリ”述べる練習を、今こそ積むべきだ。

  

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Comments

ふむふむ。
確かにラジオならば声でしかコミュニケーションは
とれへんけど、
テレビは視覚に訴えることもできるし
コメント以前にほんまに、リポーターが感動したら
顔や雰囲気に出るはずやし、その絵をを届けれたらと
思ったり。

そういう意味で感受性豊かなリポーターが絶対条件やな。
もしくは、視聴者をだませるぐらいの演技力やなー。
それが、なければまさにカッキーの言う通りのことが
出きる人やなー。

百聞は一見にしかず
百見は一触にしかず

言葉よりも、視覚。
視覚よりも、実際に体験してみることが大事という
古武術の教えやぞいー。

Posted by: あきとし かなざわ | October 27, 2004 05:03 PM

そやな。表情があったわ。
その通りや。忘れてた。すんまそん。。。
電話より会って話す方がいいもんな。
感受性豊かな表情。いいねぇ。同感です。
TVのイイとこだわな。
でもそれならなるべく好感度美人がいいな~

Posted by: かっき | October 27, 2004 10:15 PM

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