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November 19, 2004

地域に生きる人たち

先週末、トヨタが主催した防災ボランティア体験イベントに研究の一環として参加した。2日に渡り総勢350人が参加した一大イベント。

ここで俺が感じた紹介すべきポイントは、

・社会福祉協議会
・知的障害児
・企業市民

の3点。

今回は『社会福祉協議会』について言いたい。


社会福祉協議会。(略称:社協)
社会福祉法にて規定される業務を遂行する社会福祉法人。
主な業務は介護福祉関連。
それぞれ県や市町村に属する準公的機関であり、事業資金は地方公共団体の予算から捻出される。

災害対応には災害弱者の問題も大きい。

身体的ハンディから一人で逃げられない高齢者。
周囲の助けを得にくい独居者。
言葉が分からずに取り残される外国人。
力の無い幼児。

だから、こういった防災イベントには社会福祉関連機関が参加することも多い。
そこで仲良くなった安城市の社会福祉協議会の方に色んな話を聞かせてもらった。
元は機械系メーカーで営業を担当していたが、数年前に社会福祉士へ転身された彼。
これから経済活動へ身を投じようという俺には非常に興味深い話だった。

有給を使って週末の地域の防災イベントに参加し、かつその結果を社協に持ち帰り地域における自分らの活動に反映させようという彼の姿勢には何か新しく感じるものがあった。

それは、『地域に生きる人たち』、という視点。

地域の福祉は間違いなく彼らがその一端を担っている。
社協により介護保険を扱っているところと扱っていないところがあるが、法に定められたサービスの展開に関わらず社協がなければ高齢者や身障者は普段の生活が活気のあるものではなくなってしまうだろう。介護保険以外に、食事会や講演会、健康教室や旅行、季節のイベントなど日々の生活に色を提供しているのは彼らなのだ。

しかし、彼らは公務員ではない。
つまり、生活を保障されてはいない。財務リストラの対象になり得るのだ。

通常、地域の幸せのために動く公共団体では、公平性を基本とするその仕事の性質故にジェネラリストが育成され突出した能力が求められない人材育成としてのリスクを背負う反面、その身分は国に補償される。
その権利だけを求めて、カンチガイした動機で公務員を志望する若者も少なくない。

それなのに、社協の彼らはそんな身分保障も無しに数万都市の福祉をたった20名程度で担っている。
その労働時間も半端ではないと聞く。もちろん社協によりけりだろうが、月に休みが3日もないサラリーマンと同様の業務をこなしているところもある。そのほとんどがサービス残業だ。

地域の幸せのために、そこに「住み」「生活する」人々が安心できる暮らしのために、自分が地域の活動の中でやるべきことを成すために、身分や金銭的利益とはかけ離れた思想から、その身を地域の生活への貢献へ捧げる人たちがいる。

この公共性を欠いた日本社会において、公的帰属意識から自身をそのローカルダイナミズムの中に浸透させていこうとする人がいったいどれだけいるだろう。

ただ救われるのは、少なからず確実にそういった人たちがいるということだ。
基本的に年功序列で上から抜ける分しか求人しない組織だが、昨年の競争率は募集1人に対して応募30人超だったそうだ。しかも、若い人たち。

変わり者が多い、と彼は言っていた。
メーカーで働いていたときは見なかったタイプが多いと。

どんなタイプが多いか私には想像しかできないが、彼らが集まって口を開けば社会の在り方についての議論になる。その根底に流れるのは、どうすれば地域に住む人が幸せな生活を送れるのか。その制度や現状をいかに変えていくべきかという話になる。自然と。

それを聞いていて、あぁ俺らの生活ってただ当たり前に流れてる訳じゃないんだ、って思った。
まだ福祉サービスの世話になることは少ない。けど、自分が引退した後の生活、しかも体調を崩した時の生活を想像すれば、それを支えてくれる人の存在の大事さがなんとなく分かる。

俺ら若い世代は将来への夢を見る。ビジネス界へ懸ける想い。
就職活動の花形と言われるコンサルティング業界や金融、商社、マスコミ・メディア、メーカー、そんな人たちが集まる勉強会等に顔を出せば、いかに戦略を展開するか、マーケティングを実施するか、ビジネス界における自分の役割をいかに果たし収益を上げるかといった議論に花が咲く。

もちろん、経済を担う主体は必要だ。国として存在する以上ある程度の国際的経済活動を営まなければその生活は保障されない。
しかし、それと同様に「地域の生活」を担う主体も重要であることを分かって欲しい。

若くして障害を持ち周囲の助け無しには日常生活を送れない人、子供に障害児を持ち日々の生活がその補佐に追われる親御さん、独り寂しく暮らす独居高齢者。彼らの姿は決してヒトゴトではない。
俺らの生活は、それを支える事を自らの任務として引き受けてくれる人たちによって成り立っているんだ。

時に、税金から給料貰ってるんだから当然、とかワケの分からないことを口走る人がいる。
そんな人に限って、普段は無関心なくせに、自分が税金を払ってることだけ妙に強調し、
体を悪くした時には平然と福祉サービスを要求する。

もちろん、そこに働く人たちは税金から給料を貰っている。
だがしかし、時間給だけで見れば決して割の合わない仕事をこなしながら、人間としての地域生活を常に根底で支えている人たちがいる、ことを本当に分かっていないのだとしたら甚だ心苦しい。

今の主なテーマの一つに、退職を目前に控えた団塊世代の扱い、があるそうだ。
仕事を終えて急に毎日が空っぽになった彼らの中には、地域の役に立ちたいとボランティアの門を叩きに来る人も多いそうだ。それでなくても、急に時間を持て余し引きこもりがちになる60代の人も多いとか。

ただ、今の日本にはそれの受け皿が出来上がっていない。
そもそも、狭い土地に集まって生活する知恵を身に付けて来たはずの日本人よりも、コミュニティの考え方についてはアメリカの方が進んでいる。
だから、ボランティア活動を統括する人たちが集まってアメリカへ行く話もあるそうだ。

「地域」の「生活」を支えてくれる人たち。
そういった人への感謝を忘れずに、俺らにできる役割を社会において果たしていこう。

最期に、その人からのメッセージを載せたいと思う。

『僕は市という小さい単位での地道な活動ですが、かっきぃさんは商社というグローバルな関わりが魅力なのかもしれませんね。大きな会社に勤めると僕らのような小さな活動は見えなかったり数値でしかなくなったりしますが、よくわからない不思議な団体が世の中にはうごめいていて、それなりの作用をしてバランスが取れているということをチラッとでも頭の片隅にでも入れておいてもらえたら嬉しいです。』

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