« ちょっと落ち着いて空間を眺めた時間 | Main | 社会とは。。。 »

January 18, 2005

自分で自分を守るために

「行政の怠慢だ!」「行政は何してる!」

こういった文句を聞いたことがあるだろうか。
なんて馬鹿馬鹿しい。。。ため息がでるわ。

もちろんどんな状況で言うかによるんだけど。
もちろん俺だって行政に対する不満はいっぱいいっぱいいっぱいあるけど。

けど、どんな内容に対してだろうが、基本的にそれは住民自身の責任だ。
権利を保持しながら行政チェック機能を発動させなかった市民自身の怠慢だ。

それを分からず何かある度に今まで見たこともないような奴がイキナリ出てきて市民の代表ヅラして声高に行政を批判してるのを見ると、あぁ日本って国はこんなんか、と思ってしまう。

収益を稼ぐことを直接の目的とする民間企業と違い、行政の目的は住民の幸せだ。
安心して暮らせる安全で快適な生活環境を提供する事が行政の本分のはずだ。

だから、行政は住民が求めるモノを提供する。
予算の使い方も、基本的には住民の合意が取れるような、選挙で票を獲得できるような、住民が賛成するような構成になっている。

だから、ある日突然自然災害が発生して行政がそれに対する備えを全くしていなかったからといって、それを責める権利は住民側にはない。
だって、災害対策費に予算を使うよりも、日々の生活のためのインフラ整備や行政サービスにカネを使うよう賛成したのはお前ら住民自身だろが。

こういった住民のカンチガイ論争は「非日常的」であり「不確実性の高い」自然災害が発生する時に起こりやすい。

いつ起こるか、どれくらいの被害が発生するのか、どういった状況に見舞われることになるのか、それ以前に本当にそれは起こるのか、といった不確実な要素が他の種の懸案事項よりも多いため、行政もそこにお金を使うにはそれ相応の努力が必要になるのだ。

”住民”の生活を守る事が行政の本分だ。
しかし、本当に住民を守るための災害対策費に巨額の予算を割くことは”住民”側が賛成しない。
だから他のことにお金を遣う。
だからイザという事態に対応できないのに、それを”住民”側に非難される。

・・・

だからといって俺は行政側に同情したりしない。

行政のプロなら、物事をどう考えて良いか分からない住民に知らしめなければならないはずだ。

これは卵が先か鶏が先かの議論ではない。
本当に日々の生活に必要なのは何なのか、専門的な見地を分かりやすく住民側に説明し、共に地域の生活を創り上げるという姿勢をもって、住民に媚びるだけの態度は捨てて、地域を主導していかなければならない。

公務員と言う仕事を生活保障つきの安泰業務と考えている輩がいるとしたらもってのほかだ。
自分たちの仕事の是非を住民のセイにする公務員がいるとしたらとっとと辞めさせるべきだ。

地域を引っ張っていくプロであるという自覚をもって、無頓着な住民に話しかけ訴えかける姿勢を常に忘れないでいてほしいと思う。

そして、
住民はその声に反応しなきゃならない。
必死の訴えを右から左に聞き流して都合のいい時だけ反論するなんて権利と義務の混合もいいとこだ。

行政からだけでなく通信や情報システムを利用して情報を集め、本当に必要だと思うことは自分たちから行政に要求しなきゃならない。

自分たちの生活は自分たちで守っていかなきゃならないんだ。

その上で、自分の地域の行政のやり方が気に入らなきゃ、その地域を捨てればいい。もっと自分がいいと思える地域に移り住めばいい。

行政サービスだって比べられて競争して淘汰されるべきだと思う。
住みよいサービスをちゃんと提供している地域は潤って、そうでない地域は廃れていく。これが自然な流れだ。
そうじゃなきゃいつまでたったって公の肩書きにアグラを組んでる公務員は必死に仕事をしやしない。

民間企業は、自分たちの提供する商品を買ってもらおうと必死に努力して、それが実を結ばなければ倒産するしかない実力至上主義の資本市場で戦ってるんだ。

いっくら公平な住民サービスが必要となろうと、それが最低限でいい理由はどこにもなく、住む人を集めて地域を活性化させたけりゃ地域経営を必死に改善させるしかない。

さらに日本国内だけで考える必要もどこにもない。
バカバカしくなるほど整っていない教育制度の下で子供を育てたりしたくなければ、外国に移り住めばいい。
社会保障制度が馬鹿馬鹿しいほど遅れてるこの国で老後をすごしたくなければ、移住先を探せばいい。

俺らはそれができる。
まぁその国のヒトと結婚したり都合何年間住んだりする必要があって自由にとはいかんけど。

ただ、国だって自分たちの国民サービスにあぐらをかいてていい時代ではない。
この国際社会に、国は協力関係を保つと同時に競争関係にあるわけで。人は自分の属する”場所”をもって自由に選択できるべきだと思う。

ちょっとでも他の国で生活してみると、日本の制度やお国柄ってのは当たり前じゃないことに気付ける。
スーパーで買い物して、病院に行って医療保障を体験して、インフラ整備状況を見て。。。
あぁなんて日本って住みにくい国だったんだって思える。

いやもちろん素晴らしいところもいっぱいいっぱいある。
やっぱし生まれ育った国への愛着は大きいし、普段気付かず受容してる当たり前のサービスは無くなって初めてその重要性に気付く。

けど、日本と言う恵まれて自由を与えられてる国に生まれ生活してるからこそ言える甘えた意見かもしれないけど、どの国に生まれようがその国に縛られなきゃならない理由は無いと俺は思う。

顧客(住民)指向性のないあぐらをかいた殿様行政が生き残っていい時代じゃない。
努力が、必要なんだ。


折しも今日は阪神大震災10年目の日。
10年前の天皇陛下の追悼の言葉には、「こういった悲劇が二度と繰り返されることのないよう努力していき」というくだりがあったが、死者の85%が家具や家屋による圧死・窒息死であるとの教訓が活かされることなく、未だ脆弱家屋がそのまま放置されている。ちょっと揺れが来ただけで、即日役場に耐震診断申し込みが殺到するような状況だ。いったい今まで何をしていたんだか。。。

自分たちが安心して生活できる環境を手に入れたければ、誰かが守ってくれるってな幻想をとっととドブに捨てて、どのように自分で自分と大切な人を守っていくかを考え、その実現に公の力が必要となるならばどんな運動を通してでも行政に訴えかけ、それが実を結ばないようならば住む地域を変える覚悟を持たなきゃならない。

こういった節目にしか過去の悲劇を取り上げないメディアも情けないが、
最近はそんな流れの中で東海地震や関東直下型地震の可能性が指摘されている。

多くの地震学者がハッキリこう断言している。
「地震は来る!」

信じるか信じないかは、どの程度自分の生活をホンキで考えているかの度合いによるだろうが。
過去の悲劇を同様に繰り返すとしたらそれはバカすぎてとても救われない民族なんだろな。

地震で命を失う危険性があるならば、少なくともその地域には住まないのも選択肢の一つ。
仕事上生活上住まなければならないなら、地盤のしっかりした地域に家を構え、その上で耐震補強を施し家具固定を行うのが最低限の備えだ。
その上で、食料と水を備蓄し、避難所への避難経路を確認しておき、非常時の連絡の取り方を家族で話し合い。。。

やることは山ほどある。
いつ来るか分からない地震に限ったってこれだ。
明確化されてる問題への対処だってそれに劣らずやることは多いだろう。

けど、人生は諦めたらお仕舞いも同様だ。

自分で自分を守るために。
こういった機会に多くの人がそれを考え直すことを切に願う。

  

|

« ちょっと落ち着いて空間を眺めた時間 | Main | 社会とは。。。 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/46040/2610205

Listed below are links to weblogs that reference 自分で自分を守るために:

« ちょっと落ち着いて空間を眺めた時間 | Main | 社会とは。。。 »