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February 2005

February 24, 2005

退室と敷金

間延びした声のねーちゃん(以下店):「はいこちら京都住△△ンター管理部です」
俺:「あ,すいません,退室点検の予約をお願いしたいんですけど」

店:「いつをご希望ですかぁ?」
俺:「えと,遅い方がいいんですけど,3月です」

店:「それは25日ということでしょうかぁ」
俺:「あぁそうです」

店:「すいません~,2月1日から予約を受け付けてましてぇ,もう23日~25日は予約でいっぱいになってしまったんですよぉ」
俺:「え,そうなんですか...ということは22日には出なければならないということですか?」

店:「はぃぃ,」
俺:「んーと,どうしようかな...」

店:「どうしてもご都合がつかないようでしたらこちらで委任点検させて頂く方法もございますがぁ?」
俺:「というのは?」

店:「退室される方へのお願いというのをご覧になって頂けましたでしょうかぁ?こちらに委任状が添えられておりましてぇ,事前にそれを記入していただいて,こちらで責任をもって点検を行うというものですぅ」
俺:「それは,後日点検を行ってもらうということで25日まで部屋にいられるということですね?」

店:「はいぃそーなっております」
俺:「んーどうしようかな...」

俺:「あの,この委任状なんですが?」
店:「はいぃ?」

俺:「点検と清算の詳細については後日拝見させて頂けるんですよね?」
店:「はい,そのようになっておりますがぁ」

俺:「ここには『点検・敷金の清算に関して一切の異議申し立てをいたしません』ってありますけど,例えば写真を撮っておいて,後で点検資料を見せて頂いた際に,過去の判例等からこの請求は不当ではないかという話はさせて頂けるんでしょうかね?」
店:「えーとぉそれは入室された時点での写真ということですかぁ?」

俺:「いやですから,引越しの時に自分で部屋の写真を撮っておいて,点検と敷金の清算に関して思っていたところと,見せて頂いた点検票が違うということを申し立てることはできるんでしょうか?」
店:「はいえぇと,それでしたら,点検票をご覧になってから,ここは入室時からこうなっていたところだという話はして頂けますがぁ」

俺:「この『一切の意義申し立てをいたしません』という文章が気になるんですけどね..えぇとどうしようかな」
店:「少々お待ちいただけますかぁ?退室点検の最終日時と最終時間を確認いたしますので」
俺:「はい」

・・・

店:「今確認しましたところぉ,24日の午前中でしたら空いておりますが?」
俺:「あ,じゃあそれでお願いします」

店:「何時ごろがご希望ですか?10時か11時頃でお願いしたいと思いますがぁ」
俺:「それじゃ11時でお願いします」

店:「24日ということで大変込み合っておりますので,前後1時間ほど余裕を見て頂けますでしょうかぁ?」
俺:「はい,かまいません,よろしくおねがいします,それじゃ(ガチャ)」


って,おい.
なんだ23~25日が予約でいっぱいって.
24日午前中の10時と11時が空いてるってナンだ?

マッタクこれだから...
誠意の欠片もありゃしねぇ.

そーかそーか,敷金返還で揉めるのがそんなイヤか.
そりゃこの時期住宅会社は色々大変なんだろぉなぁ.

けどな,学生だからって舐めてかかるよーな店は俺はキライだ.
絶対ゴネてゴネてゴネまくってやる.

ってか常識で考えるより敷金の返済ってのはしっかりもらえるらしいし.
住んでて自然に汚れて当然な汚れや傷に関しては払わなくて構わないし.
その辺は色々裁判で判例が出てるから.

過去の事例調べまくってやる.
このご時世に客志向じゃない店が生き延びれると思うなよ・・・

  

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February 22, 2005

ヒトのタイプ

ヒトを,行為と志向のドライバ(駆動)の観点から分類すると,大きく2つに分けられる気がする.

『内発型』と『外部依存型』.

『内発型』ってのは,要するに自分が動く理屈・論理を自分の内に確固として持ってる人のこと.
『外部依存型』ってのは,何かしら行動を起こすのは外的な理由が大きな要因を占めている人のこと.

内部と外部の区別なんてのはあくまで相対的であって明確な基準なんて無いけど.
でも,自分の価値観で物事を推し進める人と,周りを気にして意思決定する人とに分けられる気がする.

まぁ根本的な言い方をするなら,自身の価値観において,自身を重視することと,周りを重視する自身を重視するってことで,結局は自分のタメにやってることなんだけど,その基準を自身に関して相対的に内か外かのどちらに設定するかの違いになるわけなんだけど.

この違いは育ちからくんのかな.
生まれ持った資質に加えて,どんな地域文化の下に育つか,どんな教育を受けるか,どんな友人に囲まれるか,そもそも親がどんな教育を施すかとか.

俺は多分後者.
気まぐれだし自己中だし気分屋だけど.でも,周りを気にするより,自身の幸せは自身の内から発生しそれを第一に優先する奴らを見てると,俺の価値観とは違うんかなぁって思う.

大切なヒトと一緒にいることに関して”思いやり”が一番大切なモノの一つって話をするのも,”相手ありき”の自分の価値観があるからだと思う.
決して俺は俺だけで生きていけない.
その動機・志向を全て内部生産することなんてできない.

内部の論理は,外部の状況を組み入れながら構築してきた.
それは,6~7回にも及ぶ地域の枠を超えた引越しとか転校とかから来てるのかもしれない.

あらゆる状況の外部に適応しない限り生活はままならなかった.
異なる文化で育ったヒトを相手に対応してこなきゃならなかった.

まぁ同様の生活をしようが己を押し通す人はいるだろし.
俺の資質の性質の問題なんだろけど.

あぁ俺はそんな人間なんかなぁって改めて思う.

もちろんどれがイイとか悪いとかゆってるんじゃなくて.
価値観だって対象とする事象によって変わってくるだろうから一概な区別はできないわけで.

ただ一つ興味としては,組み合わせの問題.

仕事する時,恋愛する時,遊ぶ時,どんなタイプの組み合わせが最も楽しいんだろか・・・?

まぁどーでもいい話だけど.

  

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February 20, 2005

掛けた想いの分の反発

一方的な都合でモノを言うヒトってのは,その都合で得るモノの代わりに失うモノが出ることを分かってるんだろか...
独りよがりじゃあ両方なんて手に入るわきゃないのにね

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超越的存在としてのヒトと生き方

・・・パーソンズの考えでは,新教神学者ティリッヒのいう「究極的関心」やウェーバーの「意味の問題」は,「どうにも説明し尽せない人間の究極的属性」であり,人間の行為に内在的なものである.・・・「人間の条件パラダイム」で前提されている観念は,人間を生存の必然(要)から象徴的に超越しうる存在であると同時に,生物有機体としての必然に究極的に条件づけられたものとみるアレントの「人間の条件」の考えに通ずるものがあるが,パーソンズが強い共感を寄せたのはマルローの同名の小説のモチーフであった.(中,機能主義の社会理論,1986)

人間はもはや生きるためだけに生きる存在ではない.

どう生きるか,何のために生きるか,何故それをするか.
人間の「行為」はもはや超越的存在としての「意味」を代替している.

ヒトは,自分の存在を賭けて戦ってるんだと思う.

そんな”生き方”は,ヒトが「社会」を作り出した瞬間に運命付けられていたんだろう.

いくらその根源欲求が超個人的な日常エゴイズムに基づいていたとしても,
目的達成のために他者と関係性を築き共同で欲求充足へ向けて動き出したその時に,
協業や分業といった作業形態を生み出し全体に対する”役割”概念を認めてしまったヒトは,
もはや個人で成り立たず全体に位置付けられての自身の存在でしか自身を判断できなくなってしまった.

だから,”生きる”ということは多分,自分の存在をかけて全体社会に挑んでいることなんだと思う.

だからこそヒトは,当社会に属する他者に褒められると嬉しいし,自身の言動を否定されるとココロが傷つく.

それだけでヒトは生きる活力を生み出すことができるし,逆にそれだけでヒトは命の価値を見出せなくなってしまうこともある.

だから,ヒトと接したりヒトと何かを成すということはそれだけ大事なコトなんだと思う.
「社会」で”生きて”いくためにヒトが生み出した文化や規律や規範.
これらの意味をもいちど見直して,当たり前に流れてる日常を当たり前に流さずに,ヒトに気を配って生きていきたいと思う.

  

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February 18, 2005

無いモノねだり

無いものねだり.

無いから,欲しくなる.それは人間の性で世の常だ.

多分,誰かを愛するってのもそうなんだと思う.

もちろん,性差から感じる愛おしさってのが根本にあるんだけど.それとは別に.
ヒトの性質というか性格というか,個性,資質,属性,性情といったところに,自分に無いものがあるからこそ,そのヒトに憧れることができるんだろう.

そう言うと友達とか親友とかの恋人じゃない対象の類に聞こえるかもしれないけど,
俺は生涯の伴侶ってのは最高の親友たるヒトであるべきだと思う.
昔知ってたおねーさんの受け売りだけど.最近その意味が分かってきた気がする.

自分に無いモノもってるヒト.
だからこそ憧れる.そのヒトの一番近くにいたいと思う.
自分に無いナニかが輝くそのヒトにとって,自分が一番であってほしい.

だから,素敵だと思えるヒトを”そのヒトそのままありのままを好きになる”ってのは無いんだろな.
それは自我が見えてないエゴイストのセリフ.

ヒトの性格はいつでも無いモノねだり.
自分に無いモノをそのヒトの中に見てるからこそ,そのヒトの特徴を自分に照らし合わせてイイって判断してるからこそ,素敵に見えるんだから.

だったら,やっぱし自分がどんな人間かがハッキリ分かってないとちゃんとした恋愛はできそうにない.

将来どんな大人になりたいか.
どんな世界に生きたいか.
どんな事象を幸せと感じるか.
子供は?家庭は?老後は?

せめて自分がどんな人間かもちっと自身で認識できるようになろう.
そしたらもっと自分に自信が持てる恋愛が出来るようになるだろうから.

  

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February 09, 2005

行為と文化

”意味”ある「行為」を可能とするのは「文化」である.

「文化」も「社会」も,「行為」の動力源としての「有機体」も,有機体を「行為」の組織化の焦点とする「パーソナリティ」も.
全て「行為システム」の一下位概念である.
(進藤,パーソンズの社会システム論)

そだね.
ナンかをする「行為」ってのは,文化があるから意味があるんだわな.

だから日本でやってることを外国でやると意味が違ったりすんだな.
文化が違うから.
影響を受けて育つ全ての環境が違うから.

ナンで俺らはそれをすんのか.

その答えは「文化」にありそうだ.

  

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February 08, 2005

世界を共有できるヒトといれる幸せ

その人の言動や活動,心意気や気持ちの様相といったモンが,
自分のココロの中に溶け込み,その人の芽の息吹を感じられ,自分の成長にその人の波と因をはっきり認識する事ができる.

そんなヒトと一緒にいれることが一番の幸せだと思う.

ヒトは独りじゃ生きていけない.
でも,自分以外のヒトを自分のココロに招き入れるにはすごく勇気が要る.

けど,認め,評価し,自分に必要だと感じれるような,そんなヒトを鏡にして,
自分の成長を見つめていけたら,そこはもう独りの世界じゃない.

世界は全て自分の認識.
けど,そんな世界を誰かと共有できたらどんなに素敵だろう.

単なる薄っぺらい共有じゃない.
世界を形作る根底となる価値観のレベルから日々の細かい行為といったよりミクロなレベルまで,違和感がありながらもそのちょっとした揺れが自分を決して一箇所に押し留めはせず陳腐化することを防いでくれる.
そんな,違いを認めながらも,存在の必要を認識して,根底から共に育める,「共有」.

何よりもそれが,生きる,感情の,気持ちの,”豊かさ”.

そのためにも,きちんと相手に伝える術をもっともっと磨いていきたい.

  

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自然の一部

ものっそ久々に銭湯とか行った.
ってか,旅行とか以外で銭湯行くなんて初めて.ちょっと贅沢な気分.

いいね.お湯につかるって.日本文化万歳.
すんごいきもちいい.
あっつくって我慢できんくなる限界まで湯に漬かって.

そこは露天風呂もある銭湯で,外に出て風呂のヘリに座りながら足だけ浸かってた.

そしたら,気付いた.
湯からもうもうと上がる蒸気に混じって,俺からもすっごい勢いで蒸気が出てんの.

まぁそら中の湯でかなり熱くなるまで浸かってたから.

でも,すごかった.

人間が自然界の循環の一部に存在することを,なんか実感できた.

皮膚から発せられた水分が気体となって空気中に還元されてく.
その水分は次に上空で冷やされて雲を作って雨を降らすんだろか.
その水を俺らは飲んでまた体外へ排出して...

どんなに優れた機械を創り出しても.
どんなに無機物を扱う技術に優れていても.

人間は有機体である運命からは逃れられない.

死も腐敗もある有機物のかたまり.

そこに思想と感情を持ち込まれた神の創造物.
なのかどーかはしらんけど.

そう.俺らは有機体.
無機物に囲まれて生命を全うする唯一の生命体.

確かにそんな唯一の生命体だけど,本来はどんな生活をすることが”幸福”なんかな.
生物として.
それても,単純生物としての遺伝子はもはや受け継がれていないのだろうか.

今の社会のあり方を考えてしまう.

  

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February 02, 2005

ワガママ

個人的に大切な関係を創ろうとしている相手に対して,

自分が想うところ,自分が好きなモノ,自分の好きな考え方を伝えることは,決してワガママじゃない.
自分が嫌いなモノ,キライな考え方を伝えることも,決してワガママじゃない.

それは,その人と関係を深めていく上で避けて通れない要件だ.

ただ,要求はしちゃいけない.
相手に無理矢理求めると途端にそれはワガママに変わる.

もちろんその度合いやタイミングや場の状況に拠る.

けど,欲しいモノを相手に強制することなんて決してできやしない.
相手があげたいと思ってくれたときに初めて貰えるもんだ.

それは,「思いやり」を互いにやり取りする関係性.
過去ログ:「恋愛における”思いやり”について本気出して考えてみた」
http://kakikaki400.cocolog-nifty.com/kakilog/2004/12/post_4.html

自分がしてあげて,初めて相手に貰えるモンだ.

で,思いやりを具体的にどう働かせていいか分からないと元来必要ないナヤミを抱えることになるから,お互いに互いの志向を予め知っとく必要がある.

だから,伝える.

知っててほしいから.

そして知りたいから.
受け入れてもらえるのかを.
それはその相手に求めちゃいけないモノなのかどうかを知るために.

自分の好みをハッキリ伝えておくことは必要だ.
カンチガイで無い,方向を間違えない,「思いやり」を互いに働かせていくために.

  

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February 01, 2005

現実逃避

mot.01どーも微熱が引かない今日この頃.
いかんなぁ.身体が嫌がってるんだろか.
いや違うな.嫌がってるのはココロか.

現実逃避すんのは簡単だ.
壮大な宇宙に想いを巡らせればいい.

人類がこの地球上に誕生してから,
ヒトは協力して生きることを学び,より高次の成果を組織を組むことで達成できることを覚え,
社会を構築し,情報通信交通手段を発達させることで,現在その範域は地球上に拡大している.
もはや地域でなく国でなく一つの星スケール単位で活動する時代である.
ただしとめどない開発の道を行くのか自然へ還元される方向へ進化するのかは不明だが.

いずれにせよ,このスケールで物事が進む現在,おそらく俺一人いなくなったって,次の日からは普通に世界が回っていくだろう.ナンの影響も無い.全体論としてみた社会活動に影響を与えるような位置に現在いないため,ナンの支障もない.自分がいない世界も明日から当たり前の様に進んでいく.太陽だってまた昇る.部屋が一個空くだけだ.

そう考えると自分の存在ってなんだろうって思えるから現実逃避にぴったりの思考ができあがる.

おっといかんいかん.
でも大切なこと忘れてた.

悲しませたくないヒトがいるじゃないか.
泣いた顔を見たくないヒトがいるじゃないか.

せいいっぱいの笑顔を見たいヒトがいるじゃないか.
俺が頑張ることで笑ってほしいヒトがいるじゃないか.

いやぁうっかりしてた.
やっぱしマクロ理論だけじゃあ人の生活は語れんわ.

ヒトは一人一人が生きてる.
その想いが積み重なって積み重なって全体がある.

社会全体を見て自分の役割をマクロ的に位置付ける視点も大事.
生きる意味はそこにこそ見出せる.
けど,一人の人間としてこの世界に立つことをもちっと眺めてみよかい.

たいそうなコト考える前に,熱の下がらんこの身体に相応しい晩飯でも考えよ.
納豆がいいらしいな.けどカラシは入れようかどうしようか...
風邪薬の賞味期限切れてたけど薬局この時間に空いてるかな.遠いと寒いしな...

現実逃避してるヒマなんてないわ.

  

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