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May 2005

May 26, 2005

成すこと成すべきこと

ちょっとね,自分の憧れてた姿,やりたかった仕事とは違うコトしてたから,多少なりとも滅入ってた.

営業マンって,もっともっとバリバリ動き回って話しまくって書類も書いて,みたいな.
プロジェクトマネジメントって,仕事の真ん中で人を回していく仕事だと思ってたから.

それが俺の配属は,取引先も予め決まってる部署で,それも販売じゃなくて会社管理担当だから.
事業投資先の経営計画書とか財務諸表とか読んで.読んで.読んで.一人で.

無論,勉強せにゃならんことは分かってたつもりだったけど.
そんなデスクワークばっかりにちょっと気分が乗らなかったのも事実.

けど,全然,違う.いかん,それじゃ.

”自分が”何を成すか.

これをすっかり忘れてしまってた.アホ.

今日先輩が静かにアツく言葉少なめに語ってくれた.

目から鱗.
湧き上がってきた.

俺が成すべき役目.

今の位置にいるからこそできること.
今の位置からじゃなきゃサポートできないこと.発想できないこと.
現場にいないからこその視点.着眼.工夫.作業.

3年もフィールドワーク研究してたんだ.無論現場の理論の重要性なんて分かってるつもりだ.

けど,俺の位置から,成すこと.

俺は何故ここにいる?

『誰もが諦めるところから何かを生み出すのが商社マン』

そんな言葉を自然と思い出した.

そう,今までの自分に捉われるな.
こだわるな.狭い殻に閉じこもるな.

世界はもっと,もっと,思ってたよりなんかより,もっと,でかい.ひろい.ふかい.

埋もれてた志の根っこを引っ張り出すことができた.
こうなりゃ今も昔も変わらない.やるだけだ.やってやる.

社会に生み出す意味を目指して.

  

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May 23, 2005

振るなら伸ばすな!

最近しばしば俺が被害を被る電車内の迷惑行為がある.

”女性の髪振り”

ほら,アレだ.
肩口から手の甲で髪をさらっとなぎ払ったり,
屈んだ体制から四方360度に髪を振り撒かんばかりに顔を振りながら持ち上げたり.

そんな行為.
どーなってんの?

掌に瞬発的反重力装置でも仕込んでんのか?何用?
さらにうつむいたらクビを360度捻らにゃならんほど肩凝ったか?

めーわくだっての!!!

なんなんだ,ありゃ.
長い髪を自慢してるつもりなんかいな.
もしかして自分に酔ってたりするんかいな.

それは個人の自由なんで勝手にしてくれりゃいーけど,
とにかく”満員電車”では止めてくれ.
やるなら匂いも漂い届かない半径5mに人がいないときにただ一人でやってくれ.

他人の髪の毛って,その人がよっぽど美人であっても,大好きな人とかでなけりゃ,あんまし気持ちのイイもんじゃないもんだ.

ほら,髪を触る行為ってセックスより後の段階とか言うけど,それってねぇ,親密な間柄ではってことで.

そら髪は女の命とかゆっただろーけど,確かに髪の綺麗な人は俺も大好きだけど.
朝の満員電車でピシピシ当てられるとなぁ.
目に入るんだよ!

それに得てしてそーゆー人ほどあんましキレイな髪してない.
だってそだろ?
ホントに髪に気ぃ遣ってる人なら周りの得体の知れないモノに大事な髪をぶつけたりしたくないはずじゃん.

よーするに,ナンか知らんが自分酔いなんだろう.
エエ迷惑どす.
酔っ払いでしょっぴいてしまぇ.

東京都だって,路上ナンパを条例規制してる場合じゃないです.
車内髪振りをまず規制せんかい.

鉄道会社も女性専用車両導入する前に女性の髪振り禁止せんかい.

ホラ,あの得意文句ゆってやんなよ.

「車内環境の美化にご理解とご協力をお願いします.」

  

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May 22, 2005

人生の境界条件

会社に入るって道を選んだ時点で,
ある組織に入ってその中で成せる仕事をしていこうと決めた時点で,
そこで得られる機会を最大限活かして自分が社会に提供できるモノを創り出していこうと決めた時点で,
ある程度人生の方向性は定められていたのかもしれない.

無論,気に入らなけりゃ転職すればいい.
会社組織に属さなくたって生きていくことぐらいは出来ると思う.

ただ,社会で生きていくために,ナニかを生み出す力をつけるために,ある程度その組織内で課される仕事を遂行してかなきゃならない.

そして,そういう経験の中から,思ってもみなかった輝ける体験を味わうことができるんだろう.
自分が判断するときに使える材料なんて今まで生きてきたほんのちっぽけな蓄積にすぎない.
えいやぁで飛び込んでその中でがむしゃらにとにかくやってみるって姿勢も必要なんだと思う.

それにしても,
インドネシアかぁ.

俺は自分を育てさすためにこの会社に最低10年は世話になろうと思って入った.
それだけの経験ができる場であると根拠もなく信じている.
それを実現させるなら,俺の生きる場所は日本とインドネシアになることになった.

決定.

奥さんができても住むのはインドネシアだったり,
子供を育てるのもインドネシアだったり,
ケンカするのもインドネシア語だったり.

いいのか,それで?

ってか割とアッサリ受け入れてはいるんだけど,
よくよく考えるとフシギなもんだなぁ.

人生なんて,どこでターニングポイントを迎えるかわかんねーもんだ.
あたふたせずにとりあえずやってみよかい.

素敵な経験が待ってるかもしれない.
それはすべて自分次第.

あ,でも奥さんはやっぱり日本人がいいからちゃんと付いてきてくれる人見つけないとな.
行く行くって簡単に言う人は割りといそうだけど,思ったほど簡単ではないらしい.
夫婦で駐在行って奥さんが耐えられなくなって先に帰国しちゃったとかあるらしいしなぁ.

まず,外国が日本と違うということを意識レベルから認識できること.
そして最初はどんなに馴染まなくても現地の生活を新しい経験として楽しむ事ができること.
そんな人じゃなきゃだめだ.

つまり,どんな経験だって自分を豊かにできる幸せの種だって思える前向きな人.
そんな魅力的な人がいい.

あとは,子供の教育.
インドネシアで子供って育てられるんだろか.日本人として.

んで,親が年とった時日本にいれればいいけどなぁ.

そんな風に考えてみると,将来のための大きな境界条件がイッコできたことになる.

インドネシア.

俺の人生はどーなっていくんだろ.

  

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May 14, 2005

声が出ん..

ナンと言うか,声が出ない.
物理的に出んのだ.

医者行ったら,ノドが全体的にでっかく腫れ上がっていて,声帯の方までやられていて,音を発する事が出来なくなってるとのことだ.

アタマはちょいと痛いけど,別に熱があるわけでもなく,フツーなんだけど.

これが思ったよりめんどい.

風邪なら,ナンの疑いも無く寝込むんだけど,寝るのがラクだから治るのを期待して寝込むんだけど.

出掛ける元気があるのに喋れやしないからヒトと会うワケにもいかずお誘いも断り約束もキャンセルして自宅療養...

とゆうか,ノドは痛いから適度にテンションが下がる.
だって,テンションって喋って上げるもんだろ.

この微妙なやるせなさ感.

話せない商社マンがナンの役に立つんだろう.

普通は熱があっても,頑張って出先に行けばやり取りはできる.
気力と根性で何とかなると思ってたけど,いやそんなモンあるか知らんけど,
ともかくそれでも声が出ないことがこんなに生活に影響を及ぼすとは思ってもみなかった.

意外なトコロから現れた生活の落とし穴.
毎日健康でも明日もそうとは限らない.

リスクはあらゆるトコロに潜んでいる.
風邪だって,事故だって,,,

・・・

まぁそれでも電車の一番前の車両はやめようとか思いつつも実行できてないけどな.
てか一番前の車両って今女性専用車両じゃん(西部線).
いいのか,それで?

  

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May 13, 2005

同期たちの旅立ち

今日は同期80人以上で関西配属の5人を送る壮行会だった.

別に同期に区切りを付けるつもりはないが,それでも関西出身者は,関西だけ東京でなく関西採用されて内定もらってから1年くらい共に関西で過ごしてきただけあって,その関西18人中3人も関西へ行ってしまうというのは,正直正直寂しいところがある.

関西配属が発表された時は何かがぽっかり空いたようで,体に力が入らなかった.

そんな送られる立場の彼らを見てて,昔のことをふと思い出していた.


ウチは転勤族だ.

幼稚園2つ行って,小学校3つ行って,中学2つ行って,高校・大学・会社は1つずつだけど地域が違う.
”幼馴染”という言葉がホントに羨ましいほど,故郷と呼べる土地が自分には,無い.

そんな俺はいつも引っ越す側だった.
一人だけ皆の前に立ち,別れの挨拶を述べ,新たな土地へと赴く.

むろん寂しさでいっぱいだ.
最初の頃は,小学生の時など,別れの挨拶をしながらボロボロ泣いてしまった.
自分でも予期できなかった.泣くなんて思わなかったけど,自分で思う以上にどこか別の処へ行くというのは辛いもんなんだ.


けど,今日,送られるヤツラを見てても,勿論寂しいんだけど,死ぬほど寂しいという感じはしなかった.
どちらかと言うと冷静に,彼らと過ごした日々を思い出しながら,お互い違う土地でやっていくんだろなぁって思ってた.

それは,絶対またスグ会えることを知ってるから.

何も無かったかのように再会して,それぞれの経験と想いを語り合って,また意気揚々と各々の地へ帰っていくことができることを知ってるから.

馴染みの土地を離れる別れをそれなりにしてきた自分だからこそ分かる.

こんな出会いや再会も,一つの生き方なんだと.

俺は今でも中学時代を過ごした大分県の友達ともつながってる.
引っ越してから10年以上経ち,その中で2回しか大分へは行ってないが,未だに連絡を取り合っている.

ケータがイイこと言ってた.
俺らは人生の同期なんだと.

その通りだと思う.

少なくとも,これまで一緒に過ごしたヤツラはもう輪の中にいる.
むしろ違う場所で経験を積んでいくだけに,自分なりの強さを意識して進んでいかなきゃ勝てないライバル達だ.

たにちゃん,かとちゃん,にしだ,こうへい,けーた.
今日はありがとお.

また遊ぼ~ぜ~☆

  

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May 10, 2005

存在

死ってナンだ

絶対的な消滅なのか
この先にそのヒトの存在と影響が存在し得ないという意味で

どうして・・・
どうしてナニかが起こりえるんだろう

不条理にもほどがある・・

まだまだこれからで
世の中を変えていくハズの人が
何故これからという時期に

あんまりにあんまりじゃないか・・

何が人間の世界を現状たらしめるんだろう
どんな意思が流れ働くというのか

ヒトとして生まれ
人間の社会で何かを成そうと必死に生きてきて

その成果を発揮させないまま
どうして世界はたくわえを発揮するチャンスを奪うんだ

でも
じゃあナンのために生きるのか
なんて言わない

ナニかが起こるとしても
その瞬間までは
その瞬間の最高であれるように

たとえその瞬間に笑えなくても
頑張って生きていく

放棄はしない

今日1日を最高に幸せな日にできますように

  

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May 07, 2005

株主価値ってそんな大事??

「企業の至上命題は株主価値の最大化」

これってホントに当たり前なのか?
ずっと引っかかってた.なんで株主に還元せにゃならんのだ?

研修でもそう習うんだよね.
「会社の所有者は株主である.経営者は株主に雇われた経営代行人に過ぎない.経営の目的は株主に儲けさすことだ.」
って.

違和感を感じる原因ってのは,株主に選ばれようと短期利益を達成しようとする企業ばっかりだったら,地球は滅ぶと思うから.

環境問題とか,社会貢献とか,文化貢献とか,フィランソロピーからメセナ,CSRまで,これらの企業の存在価値が建前とか形式上のものでないならば,株主に還元するよりも社会貢献を標榜する企業が投資家に選ばれたっていいハズだ.

そのような選択をしなければ,環境悪化や文化崩壊で地上が劣悪環境に陥るならば.

実際,生態系の崩壊とか実害は無いように見える環境系の破壊は恐ろしいスピードで進行しつつある.

ところが,二言目には株主価値を高められなければ企業は存続できないと言う.

ナンだこれ???

仮想企業の設定で行ったチーム対抗ケーススタディでも,経営理念としてStock Holder重視を掲げるグループの多いこと多いこと.

講師陣もそれがさも当然かのように流してる.

おかしくね???

俺らのグループは,尊敬さえできる或る同期の意向もあってStock HolderはMission Statementの3大要項には含めなかった.
俺らの理念は,『Customerに最大限貢献し,その方向性はEnvironmentに資するものであり,結果としてEmployeeも重視する,良循環を達成すること』というもの.

いーじゃん,これ.大いに賛成できる.

実際,先の記事にも書いたようにローソンの新しい方向性もこんな感じだ.
顧客至上主義を見直し,環境への配慮を優先することが,産業育成にも繋がっていくと.

企業が属する社会の利益こそが自社の利益に繋がると考える企業がいかに少ないか・・・

・・・

と思ってたら,”週刊エコノミスト”で早稲田大学法学部教授の上村氏が,
「日本は過度に営利志向の株式会社観を当然視」という旨の記事を書いているのを見つけた.

「企業統治システムは,まだ株主でもない投資家を対象にする段階で備わっていなければならない.投資家がその企業を評価してその株式を買った時,初めて『株主』が出現する.つまり,株主は最後に登場するのだ.株主が大事にされるのは,会社を評価してくれた者の期待に応えようとの経営の姿勢を示すものである.株主価値の最大化は,それが国民の最大幸福に貢献するとの経済学的な仮説に基づく標語であり,法規範概念はこうした概念一色に解消されるべきではない.」

「会社にはそれぞれに目的,使命,経営理念があり,公的規制の対象となる企業もあれば,ファンドのように運用益のみをひたする追求するものもあれば,自主的に公益への貢献を標榜する会社もある.そうした多様な経営目的を承認しつつ,それを証券市場が評価するのである.およそ200万を越えるすべての会社の経営目的は株主価値の最大化,ということは決してない.」

ここで上村氏は,証券市場と株式会社制度に関して,
「証券市場の存在を前提とする公開株式会社にあって株主とは,証券市場のルールに則って当該企業に登場した投資家である.株式会社法がその論理を貫く前提は,登場した株主が健全な資本市場の論理に則って出現したものである.」
と述べている.

そう,”株主ありき”ではなく,”健全な証券市場ありき”であり,企業は証券市場において選ばれるべきなんだ.

おかしいのは,短期利益重視の投資家に媚びる企業が多いこと.

それが地球(翻って社会,コミュニティ)の利益を害する方向であろうと,投資家の方向性が誤っていることまで言及し”正しき”方向性を堅持しようとする企業がない.

地球環境,社会環境,社会構造の問題ってそんな他人事じゃねーぞ.
どこ吹く風って思ってんの?

投資家はいつまで短期利益の追求一本姿勢なんだろ?
人間の性格が本来そんなもんだとするならば,今の資本市場の在り方自体が俺ら人間にそぐわないことになる.

こーゆー時こそ,世間を動かしうる大企業からこぞって方向性を転換していくべきじゃねーの?

”皆のモノ”であるハズの地球に垂れ流す害に関してはまだまだ責任の所在が不明確だ.

「失敗をしないために踏み出さない」ことがキチンと批判され非難されないような社会では,いつまで経っても何も変わりゃしない.

大丈夫かなこの現代社会・・・?

  

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他人を理解する

別個の人格であるかに見える他者を理解するのは,主客未分の『絶対無の場所』の境地においてであると,日本ではじめて体系的な哲学を確立した西田幾太郎は言う.

『絶対無の場所』とは,主客不分離の,自我を越えた創造性や自己の統一の力の源泉となる場とされている.

すなわち,純粋経験の心的な構造として,「直観→反省→自覚」という弁証法的プロセスが自己であるという考え方だ.
(野中郁次郎,「知識創造の方法論-ナレッジワーカーの作法-」)


・・・なんのこっちゃ


要するに,「個人があって経験があるにあらず.経験あって個人ある」ということ.

色を見て,音を聞いて,それが何かと考えたり自分が感じているという判断すら加わらない,そんな刹那こそが純粋経験であると言える.

反省や思考活動は後から起こってくるもの.

そんな純粋経験(直観)こそが,喜怒哀楽や記憶,抽象的な思考,意志といった「自己」を構成するさまざまな要素を生み出すという考えだ.

これは,真理を実在するものとして求める「有」の哲学としての西洋哲学への東洋的アンチテーゼともいえる.


まぁなんてーか日本人的な考え方だわな.
自然を支配する西洋思想と自然との共生を試みる日本人との差ってのもこの辺から来てるんだろうか.

こんな主客不分離の自己統一の力の源泉となる場,根源的な場に自らを向けることで,個人は『他者との共同的な主観』を形成することができるのだ,と西田は語る.

これが,理解.

つまりだ,
ヒトによるヒトの判断なんて直観以外の何ものでもない.
その人がイイ人だとか,好きとか嫌いとか,その人の考え方への理解とかは,”直観”を疑うなってことだと思う.

むろん第一印象から人の評価は徐々に変わっていく.
けどもそれはどちらかと言うと歪められた自己の中での位置づけの変化に過ぎず,位置を変えるということはとりもなおさず元の位置からの変移を指すワケで,その人が乗ってる座標系は既に自己の中に形成されたものであることは疑う余地もない.

まぁ何が言いたいかってーと,直観で好きだと思える人と出会えたら,その出会いを大事にした方がいい時もありそーだ,ってこと.

逆に言えば,そんな直観へ訴えかけることを意識しながらヒトと接しなきゃダメだよってこと.

でした.

  

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May 06, 2005

コア・ビジネスの不在

実際のビジネスシーンを社員が紹介してくれる研修で,コンテンツビジネス部門のマネージャーが,当商社から情報産業グループが消えた背景についてこう語った.

「基幹産業を育てる事ができなかった」

そして若手に向けるメッセージとしてこう続ける.

「後に残る仕事を創っていってほしい」
と.

なるほど,と思う.

リスクを非常に嫌う当社の性質っぽいなぁと思って聞いてた.
堅実な仕事を好む当社は,30年先の利益まで求めたりしない.30年で利益が確定するような仕事はさせてくれない.10年で回収できなければやるなという風潮があるようだ.

けれど,足りないのは,『核』となるビジネス.

確かにコンテンツ産業は新しい分野だ.
アニメに限らず,商標権や特許など,知財に関するビジネスは化学関連分野も含めてこれから拡大していくべき時代なんだろう.


そんな話を聞きながら,研究室を出るときに教授からもらった言葉を思い出していた.

「しがらみを作ってしまえ」
「後発陣に疎まれるくらいの仕事を確立できるよう頑張ってほしい」

つまり,それくらい今の世の中が軽いということだ.
証券市場や会社法の基本理念や方向性も不明瞭なまま中途半端な規制緩和ばかりが進み,秩序の無い煩雑とした企業社会が出来上がっている.
国力を支えるようなビジネスの不在は,日本という国の存在すらままならないことを示唆する.

固め上げられ他が手を出せないくらいの,たとえそれが反感を買うようなものであれ,確固たるビジネスを創ることが,これからの社会発展にとって必要なのだろう.

日本という国は未だに将来の方向性を示せずにいる.
国に出来ないのであれば,民間が自主性に基づき築き上げていくしかあるまい.

それができるフィールドはなんて魅力的に写るんだろう.
楽しみだ☆

  

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May 03, 2005

自分に投資

研修で財務・会計の講師が言った,すごく感動するセリフがある.

「お金とかモノとか,貯めておいてもどーせ金融不安やらなんやらで取られるんだから,自分に投資することが一番だと思っている.頭の中に入れたものは獲られない.そして生きる力になる.どんどんお金を使って自分に投資して下さい.」

いいね.
こーゆー考え方好きだ.

なにも勉強することだけが投資じゃない.

先に書いたように,経営ってのが”科学”と”思い”から成るならば,ヒトと付き合うことや一緒に遊ぶことも投資の一環だ.

色んな奴と付き合って,色んな考え方に触れて,世界の想いを取り込んで,ヒトが成すビジネスの中に機会と折り合いを見つけていく.

だから俺がデキルなぁと思った奴は仕事も遊びもしっかりできる奴が多い.

まぁ小難しいことはナシにして,結局思いっきり広く深く人生楽しもうとしてる奴の勝ちなんだ☆

  

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論理的なんて標榜する奴は紛い物だ!

俺は感情のこもってない純客観的(と一般には認識されるような)で論理的なモノの言い方がハッキリ嫌いだ.
淡々とした物言いが大嫌いだ.

”論理的思考”とやらが最上級の説得力を持ち意思決定での武器になると,カンチガイしてる輩があまりにも多くないだろうか.

前にも書いたが,そもそも”論理的”ってナンだ?

世の中には絶対的論理なんて存在しやしない.
”論理的”なんてものは,大多数の人間が経験的な変容のエネルギーを基に”妥当である”と判断するだけのものだ.
それに反する個人の思考は論理的でないと判断されるなんて,集団暴力と何も変わらない.

根底には必ず”人間的”なナニかが潜んでいる.

数学者の藤原正彦氏が興味深い発言をしている.

「局所的判断や短期的視野を得るには論理や合理や理性だけで間に合うかもしれないが,正しい大局観や長期的視野を得るにはそうはいかない.情緒が必要だ.論理は必ず仮説から出発することになる.仮説はその人の価値観,人生観,世界観,人間観といったものにより選ばれる.これらの基底となるものが,教養や情緒といtったものなのである.」

人間の判断は,どう客観的であろうとしたところで,感覚器を通して獲得した外界情報を自らの思考システムに落とし込んで結論付けたものに過ぎない.

人間の情報処理過程を表したCED変換モデルなど良い例だ.
必ず,”認識”といった過程を経なければ人間は指示を下せない.
自らの思考に基づく”認識”がいかに客観的であり得るというのだろうか.

何も俺は,論理的思考など紛い物だ,と言いたいのではない.
所詮私見に過ぎないモノをあたかも普遍的に正しいかのような言い方で表現するな,と言いたいだけだ.

想いがあるのなら感情を込めて表せよ!

藤原氏の発言をその著の中で取り上げた野中氏はこう述べている.

「『知』は当然個人にとっても,知的生き方,自己実現的,自己超越的欲求と結びついたものでなければなりません.ここで,『哲学』が大事になってくるのです.」

「哲学的にいえば,あらゆる問題は,本質的には個人的で具体的です.」

「知的想像の方法論が,全人的な生き方の問題として構築されていく必要があるのです.」

”論理的”な判断で物事が決めれると思ったら大きな間違いだ.
気持ちに想いを馳せない意見なんてヒトの頭を一瞬で通り過ぎていき何も残りやしない.

野中氏の著は,本人も強調するように哲学書ではなく経営書だ.
その基底となっているのは,”人間の知,現象,経験,場,といったきわめて実在的なもの”である.

「個人的価値観(思い)と科学がせめぎあうのが経営学だと思う」という氏の言葉には大いに賛成できる.

方法に依り,手段に依り,数値に依り,いったい人間は何を手に出来たのだろう.

いったん組みさえすればあとは半自動的に計算が進んでいくようなラクな数式に頼り,個人の想いをホンキでいじくりまわすことから逃げてるだけなんじゃないだろうか.

生きるにおいて,想いや気持ちを常に変動させていくことはすごく辛いことだ.
多少なりとも真っ直ぐ拠って立てるものがないと歩くことすらままならない.

けれど,世界が構築されているのはヒトが想いを抱くことができたからだ.

世界はヒトの想いが構築する.

それをもっと豊かにしうるのは,ヒトの想いだけだ.

論理的な方法なんてものに依りすぎることなく,想いを大切に,ホンキでぶつけ合うようなヒトとの関係性を構築しながら年を重ねていく.

そんな生き方ができる場を創り場に生きていきたいと思う.


  

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想いを掛けて生きるヒト

久々にアツイ想いを語ってくれるヒトに出会った.

店の中で仕事すること,役割,人間関係,コミュニケーション,,,
そしてそれら全てが世界の基本であること...

美容師でこんなアツイ語りをしてくれたのは,前京都で通ってた店の店長さん以来だ.
あん時は切りに行く度に経営とかマネジメント,ヒトを動かすことを語り合ってたなぁ.

ヒトビトが構成単位となって創り上げていくこの世界.

どーせならホンキで生きなきゃもったいない.つまんない.

何が出来るか.
何を成せるか.
何を見つけれるか.

自分とはナンなのか.

思いっきり生きるコトを楽しみたい☆

  

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