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May 07, 2005

他人を理解する

別個の人格であるかに見える他者を理解するのは,主客未分の『絶対無の場所』の境地においてであると,日本ではじめて体系的な哲学を確立した西田幾太郎は言う.

『絶対無の場所』とは,主客不分離の,自我を越えた創造性や自己の統一の力の源泉となる場とされている.

すなわち,純粋経験の心的な構造として,「直観→反省→自覚」という弁証法的プロセスが自己であるという考え方だ.
(野中郁次郎,「知識創造の方法論-ナレッジワーカーの作法-」)


・・・なんのこっちゃ


要するに,「個人があって経験があるにあらず.経験あって個人ある」ということ.

色を見て,音を聞いて,それが何かと考えたり自分が感じているという判断すら加わらない,そんな刹那こそが純粋経験であると言える.

反省や思考活動は後から起こってくるもの.

そんな純粋経験(直観)こそが,喜怒哀楽や記憶,抽象的な思考,意志といった「自己」を構成するさまざまな要素を生み出すという考えだ.

これは,真理を実在するものとして求める「有」の哲学としての西洋哲学への東洋的アンチテーゼともいえる.


まぁなんてーか日本人的な考え方だわな.
自然を支配する西洋思想と自然との共生を試みる日本人との差ってのもこの辺から来てるんだろうか.

こんな主客不分離の自己統一の力の源泉となる場,根源的な場に自らを向けることで,個人は『他者との共同的な主観』を形成することができるのだ,と西田は語る.

これが,理解.

つまりだ,
ヒトによるヒトの判断なんて直観以外の何ものでもない.
その人がイイ人だとか,好きとか嫌いとか,その人の考え方への理解とかは,”直観”を疑うなってことだと思う.

むろん第一印象から人の評価は徐々に変わっていく.
けどもそれはどちらかと言うと歪められた自己の中での位置づけの変化に過ぎず,位置を変えるということはとりもなおさず元の位置からの変移を指すワケで,その人が乗ってる座標系は既に自己の中に形成されたものであることは疑う余地もない.

まぁ何が言いたいかってーと,直観で好きだと思える人と出会えたら,その出会いを大事にした方がいい時もありそーだ,ってこと.

逆に言えば,そんな直観へ訴えかけることを意識しながらヒトと接しなきゃダメだよってこと.

でした.

  

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