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May 03, 2005

論理的なんて標榜する奴は紛い物だ!

俺は感情のこもってない純客観的(と一般には認識されるような)で論理的なモノの言い方がハッキリ嫌いだ.
淡々とした物言いが大嫌いだ.

”論理的思考”とやらが最上級の説得力を持ち意思決定での武器になると,カンチガイしてる輩があまりにも多くないだろうか.

前にも書いたが,そもそも”論理的”ってナンだ?

世の中には絶対的論理なんて存在しやしない.
”論理的”なんてものは,大多数の人間が経験的な変容のエネルギーを基に”妥当である”と判断するだけのものだ.
それに反する個人の思考は論理的でないと判断されるなんて,集団暴力と何も変わらない.

根底には必ず”人間的”なナニかが潜んでいる.

数学者の藤原正彦氏が興味深い発言をしている.

「局所的判断や短期的視野を得るには論理や合理や理性だけで間に合うかもしれないが,正しい大局観や長期的視野を得るにはそうはいかない.情緒が必要だ.論理は必ず仮説から出発することになる.仮説はその人の価値観,人生観,世界観,人間観といったものにより選ばれる.これらの基底となるものが,教養や情緒といtったものなのである.」

人間の判断は,どう客観的であろうとしたところで,感覚器を通して獲得した外界情報を自らの思考システムに落とし込んで結論付けたものに過ぎない.

人間の情報処理過程を表したCED変換モデルなど良い例だ.
必ず,”認識”といった過程を経なければ人間は指示を下せない.
自らの思考に基づく”認識”がいかに客観的であり得るというのだろうか.

何も俺は,論理的思考など紛い物だ,と言いたいのではない.
所詮私見に過ぎないモノをあたかも普遍的に正しいかのような言い方で表現するな,と言いたいだけだ.

想いがあるのなら感情を込めて表せよ!

藤原氏の発言をその著の中で取り上げた野中氏はこう述べている.

「『知』は当然個人にとっても,知的生き方,自己実現的,自己超越的欲求と結びついたものでなければなりません.ここで,『哲学』が大事になってくるのです.」

「哲学的にいえば,あらゆる問題は,本質的には個人的で具体的です.」

「知的想像の方法論が,全人的な生き方の問題として構築されていく必要があるのです.」

”論理的”な判断で物事が決めれると思ったら大きな間違いだ.
気持ちに想いを馳せない意見なんてヒトの頭を一瞬で通り過ぎていき何も残りやしない.

野中氏の著は,本人も強調するように哲学書ではなく経営書だ.
その基底となっているのは,”人間の知,現象,経験,場,といったきわめて実在的なもの”である.

「個人的価値観(思い)と科学がせめぎあうのが経営学だと思う」という氏の言葉には大いに賛成できる.

方法に依り,手段に依り,数値に依り,いったい人間は何を手に出来たのだろう.

いったん組みさえすればあとは半自動的に計算が進んでいくようなラクな数式に頼り,個人の想いをホンキでいじくりまわすことから逃げてるだけなんじゃないだろうか.

生きるにおいて,想いや気持ちを常に変動させていくことはすごく辛いことだ.
多少なりとも真っ直ぐ拠って立てるものがないと歩くことすらままならない.

けれど,世界が構築されているのはヒトが想いを抱くことができたからだ.

世界はヒトの想いが構築する.

それをもっと豊かにしうるのは,ヒトの想いだけだ.

論理的な方法なんてものに依りすぎることなく,想いを大切に,ホンキでぶつけ合うようなヒトとの関係性を構築しながら年を重ねていく.

そんな生き方ができる場を創り場に生きていきたいと思う.


  

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Comments

なんとなくコメント。
論理って結局ある物事と、別の物事との
関係性をはっきりさせるってだけのことだからねえ。
羊羹が嫌いって言ってた人に、それならあんこも嫌いだろうから
お土産はケーキにしようという心遣いも論理的
。。。ううむ。

Posted by: ふるしょ。 | May 03, 2005 10:25 PM

コメントさ~んきゅ~☆深いねぇ.

まぁ関係性の解釈なんて主観に基づいて幾通りもできるわけで.
羊羹が嫌いなら甘いモノが苦手だろうから煎餅にしようとか,和菓子が苦手なのならクッキーにしようとか,安物がダメならおもっきし高級なのにしてみようとか.

真理を条件付けるのは,整合説だけでなくプラグマティズムってのもあるわけだし.

何より素敵なのは気に入ってもらいたいと思う心遣い・心配りだと思うわけです☆

Posted by: かき | May 04, 2005 03:33 AM

そうやね~
まあ時と場合によってその関係性の厳密さについて
要求されるレベルが変わってくるってことだわね。
でもさ、何がいいたいかというと論理的推量ができなかったら
まともな心遣い一つできないわけですよ。
まあ道具は使いようですな。

Posted by: ふるしょ。 | May 04, 2005 10:35 AM

そおそお道具道具.
道具に過ぎんのです.
でも,なんかね,その道具を振りかざし過ぎるよーなのが好かんのです.
そんな論理的推量はあるのが当たり前でさ,それを成す自分の想いみたいなんが混ざってないとヒトの話なんて面白くもなんともねーなーって感じたりするのです.

Posted by: かき | May 04, 2005 01:26 PM

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