November 15, 2005

携帯直りました☆

携帯直りました☆

ウルトラCですな。

携帯カメラのレンズが内側から水滴張り付きまくるくらい内部まで水浸透してたのに。

家でドライヤー3、40分当て続けて一晩自然乾燥させてみたら、朝電源入りました。

うん、皆もやるといいよ。
ドライヤーてきめん。

すぐ電池を抜いたのもよかったかも。

まぁナンにせよ良かったよかった。
ただこーゆー場合すぐまたショートしたりするらしいからバックアップだけはお早めに☆

お騒がせしますた。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大学発ベンチャー

「虚妄の大学発ベンチャー~民営化時代のタックスイーター」

今週号の日経ビジネスのタイトルだ。
「産学官の大学発ベンチャー」
そんな響きを聞いたコトある人も多いだろう。

懐かしなぁ。
京大院生の頃はベンチャーラボに通ってMOT講座に出て、自分らの知識技術からビジネスを立ち上げて社会に技術を広めていくベンチャーを語り合ったりもしたっけか。
今や経営に興味のある理系院生はいっぱいいる。
あの場所でどんだけ魅力的な奴らに出会えたか。

さらに自分の研究は防災関連で、企業や地元の人と大学という公的機関が協力して社会的に何が生み出せるかを根底に置いて活動してた。

そんな訳で他人事とも思えんタイトルにつられて中を読んでみると、なるほど。
そんな事情もあったのかと驚く。

要するに、お上のベンチャー1,000社構想の下に6,000億円を越える予算がつき、ここ3年で500を越える大学発ベンチャーが立ち上がり、大した審査も評価も行わず補助金や予算をバラまいてる実態がある、との内容。

無論この記事は傾倒して書かれてる。
公の資金を注ぎ込まなければ得られない社会的な利益とその恩恵については詳しく触れておらず、国費でベンチャーと社長が増殖していく点について強調してある。

けど、それを踏まえて読んでてもナニか引っ掛かる点がある。

それは、「税金を使った事業で私腹を肥やしている個人が存在する」点だ。

特集中ほどのページには、新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)のフェローとして2社を起業し上場益でジャガーの社用車と1億4,000万円の家を買う話を自慢げにしている27歳社長の絵とコメントが載っている。

馬鹿ぢゃねーのか?
恥ずかしいと思わねんだろか。
俺には彼がコバンザメか哀れな蛙にしか見えん。

国からの補助金で起業と経営を賄って、商売の核となる技術はどこかの大学の教授助教授が開発してきたものだ。おまけに販売補助金まで出してくれと頼んだとか。
これを他人のフンドシでナンとやらと言わずに何と言う。

大学の専門技術や基礎技術を世に広めて社会に貢献してその対価を得ることに何ら反対は無い。
むしろどんどん進めるべきだろう。日本は大学の技術が一人歩きし過ぎてる感がある。

けど、それは核となる技術を開発したエンジニアが対価を得る場合だ。
青色ダイオードの件じゃないけど、技術立国を目指したいなら技術者が厚遇されてしかるべきだろう。
お国の機嫌を取れる申請書の書き方ばっか上手いどこぞの雇われ社長が何を勘違いしてんのか。
そうじゃないにしたって、リクルートみたいに自らリスクを取ってTLOの役割を果たしていくべきだろう。
商社だって新技術や特許ビジネスに収益源を見出そうとリスクマネーを注ぎ込んでいる。

勿論彼がベンチャーを成功させたのは事実だ。然るべき評価は受けるべきだろうが、間違えて欲しくないのは、守られた身分でありながら生き残りを掛けた猛者が戦う資本市場から利益を掠め取るってのはオカド違いも甚だしい点だ。

この点が、大学発ベンチャーが未成熟たる原因のひとつだと思う。
公的資金を用いた企業が既存の市場に参入していく際に儲けられるべきある種特別な仕掛けが足りてない。

元々国が公の資金を提供するってのは、社会の為になるけど収益性が望めない技術の普及を目指してのものなハズだ。
だから社会貢献を前提とした守られた体制から生み出された利益は、基本的に社会に還元されるべきなんだと思う。
私腹を肥やす為に税金を拠出してイイはずがない。
予め取り分上限を設定するとか、還元率を決めておくとか、簡単でいいから何かしらの制限を設けておくべきだ。
雑誌に予算バラまきなどと揶揄され取り沙汰されるような、補助金獲得を狙った起業そのものが目的な馬鹿げた現状がこれ以上広がらないように。

俺が商社に入ったのだって、PFIとか、何かしら社会と企業がそれぞれの利益を最大化させる仕組みを作ってみたかったからだ。
そんな馬鹿げた補助金獲得作戦に参加する意義なんて何処にある?

ただ一つ断っておきたいのは、俺の意見は”土木寄り”ってこと。
公共の利益を最優先に考えてしまう。
MOTにいた頃も、技術から得られる利益は独占すべきって情報科の院生と、社会に役立てる為に出来るだけ普及させてシェアから利益を得るべきだ、って俺の意見とは常に平行線だった。まぁそんな議論が一番楽しかったんだけどな。な、O田。

だから、そんな「NEDOの申し子」を賞賛したり俺の意見をただヤッカミだとしか見ないヤツもいるだろけど。

ただ、これだけは認識してほしい。

「何のために国の金が使われるのか」

存在する制度を利用してるだけ、とかチンケな事言ってないで、そこからどんな社会的利益の実現を目指していくのかを、語ってほしかったなぁ。

  

| | コメント (1) | トラックバック (0)

November 14, 2005

携帯壊れた。。

携帯壊れました。。

ハイそこ「またかよ」とか言わない。
辛いのは本人なんですから(TT)

てゆうか”また”じゃありません。
前は『無くした』んです。
今回は『壊れた』です。
えらい違いです。
今回は手元にブツが残ってます。
情報流出の点でいけば前回よりはるかに改良されてます。

原因?

水中にボチャンです。
まぁよくある話ですな。

一瞬何が起きたか理解できず水中滞留時間が長期に渡り、おそらく内部ショートが完全なる形で完了した為、ドライヤーで乾かして復活させるとかゆうウルトラCも全く期待できません。

なんで落ちたって?
不摂生な生活がたたって足の裏のツボが刺激に弱くなってたからですな。
まぁ3人くらいに通じるからこれでいいや。

んでもつくづく携帯への執着の無さに呆れますな。
携帯に対して大して注意を働かさんとゆーか。

流石に前回はへコんだけど、今回は割りとあっさりしゃーないかって感じだし。

とゆわけで前回よりも携帯不機能常態が改善されたとは言え、
手元にあるのはタダのクズ鉄にすぎんので、
ここ2ヶ月以内に知り合って携帯でしたやりとりしてなかった御仁は弊方hotmail宛に御連絡戴けましたら幸甚です。

前回無くした時に流石にバックアップは取り直したんで。<ここ2ヶ月

てか1週間後くらいに。
機種変すっからさ。

はぁ~機種変の手続き申し込み午後4時までとかってナンだよ。
消費者ナメんのもいーかげんにしろっての。ぼーだほんめ。

あーあ。
1週間携帯無し生活か。
まぁたまにはそんな生活もいっか。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

November 03, 2005

雑音

例えば、風呂上りにドライヤ使ってたら、すぐ傍の着信音にすら気付けない。

つまりは、そんなとこ。

結局聞こえてくるのは近くの雑音ばっかし。
無論”自身”が自信持って頼れるのは己の感覚器を通じての感覚論的な認識だけなのかもしれないけど、

世の中の音なんて聴こえてきやしない。

想像を働かせない限り、自分に関係ある事だろーが気付けやしない。
いとも簡単に通り過ぎていく。

”想像”ってーと、クリエイティブなモンを想像する人もいるだろけど、
それはそんな得体の知れない先天的な才能的なモンじゃないと思う。

”想像”なんて所詮”連想”で、それはtriggerの連鎖から生じる。
そんな刺激を自身に与えるのに必要なのは、キチンとした情報のstorage管理ができる”マメさ”だろ?

アイツに追い付けないのは、紛れも無い”努力”の差だ。

ただ、人によってやり様はあるだろーから、自分の領域と戦い方を見つけていけばいい。

誰が勝ちかは周りが決めてくれるさ。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

October 31, 2005

ダイエット

「かっきー最近太ったよねー」

2日続けて違う上司に言われた。
うーむ、どーやら太ったらしい。

確かに体重計に拠れば入社当時より3kgくらい増えたけど。
顔に出ないし気付かなかったんよね。

どこにってそりゃ腹とか足とか。

とゆわけでダイエット開始。

何故か最近周りではダイエットがやたら流行ってる。
けど俺には”晩飯→プロテイン飲料”とか耐えられん。

飯は変えずに痩せよう。決めた。

スポーツマンの先輩に話聞いたら、
「ほぼ毎晩15km走ってた」
とか。

ムリだっての。

だからまぁとにかく筋トレしよう。

筋トレと痩せるのは違うって?
いんだよ、引き締まりゃ同じだ。

っても昔っからずっとやってたし。
そーいや大学生の時は無意味に筋トレキャラだったこともあったなぁ。

まぁ言うほど大したこたないが、
とにかく入社以来やってない筋トレをきちっとこなしゃ済むハズだ。

スクワットもしてるけど、足回りには自転車がイイらしいのでティップネスも考え中。

カナダの大学にいたころは週3でトレーニングセンター行ってた。
そのへん向こうの大学はしっかりしてる。
バスケしてトレ、サッカーしてトレ、みたいな。
けっこ楽しいんよね、アレ。

まぁ日本と違うのは、俺が使ってるのより重たい重りをガシャコンがしゃこんやってる女性がいることくらいか。
うん、勝てません。

とゆことで目標は特にないけど、ダルがらずに運動すっか。
効果請うご期待。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

October 28, 2005

マゾひすと

今も昔も。長期と短期の整合性を図る事は並大抵じゃない。

目の前のエサに踊らされたサルに将来は薄い。

今も楽しみつつ、将来も満足させる。

そんな芸当が可能なのは、多分マゾだけだ。

でも、いーじゃんマゾで。

苦しむことを楽しめなけりゃ、長期に渡る幸せなんて掴めっこない。

その昔ビートたけしが言ってたように、
「好きな事を頑張ることは当たり前。嫌いな事でも頑張れて初めて”努力”って言える」
って。

前向きに努力出来る楽しさの基準は、楽しめる幸福な将来に向けて実力を付けつつある自分への”期待”。

”期待”って、デカイよ。
株価も上がればインフレも起きる。

所詮この世は人間の感情が形づくるもの。

開き直ってマゾになれた奴は十分楽しめる構造になってんのさ。

きっと。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

October 21, 2005

終われない

「なんだオメェ、もう終いか?」

自分自身に問い掛けると、驚くほど楽になれる。
乗っかかってたモンがどっかいく。

疲れてしんどい時に解きほぐしてくれるのは心に合う音楽だけど、
体の芯まで響いてくる音に思いを寄せるとその凄さに改めてハッとする。

人の心を揺り動かすような何かを生み出すために、
この人らはどんだけのモンを積み重ねてきたんだろう。

自分で人を感動させようと思うと、その大変さに気付く。
道程の遠さに驚愕する。

そうやって創ってもらったモンに癒されてる自分。
浸ってる自分。

こんなモンで終われるか??
もぉ終いか?

じょーだんじゃねぇ。

まだまだ終わってられるかい。
いやいやこんなモンで止まってていぃワケがない。

自分が、自分が感動するモンに匹敵すると思えるモンを、創り出せたと胸張って言えるようになるまで、
それまでは動ける限りやらにゃ。

誰にって、自分に顔向けできん。

楽しい人生にしたいから。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

October 19, 2005

魅力的な人

くったくなく笑う人に目が奪われる。
すっげぇ可愛いと思ってまうなぁ。そんな美人じゃなくたってさ。

どこで覚えてきたのか、”正しい笑い方”みたいなんを身に付けてしまってる人にはどうしても興味が持てない。
営業スマイルなんてその最たるもので。どこか打算的。

けど、何も裏が無くて何も考えずに素直に笑ってるのだけで”屈託無く”笑うとは言わない気がする。
ほら、仰け反ってけたたましくバカ笑いしてる奴って、魅力的か?多分ソイツなんも考えてないぞ。

多分、イイ笑いなんだと思う。”屈託無く”って。

相手も自分も楽しくて嬉しい、っていう、そんな笑顔。
素直に楽しいんだけど、それは相手がそこに居るからで、一緒にいることが嬉しいんだと。

素直にそんな雰囲気を出せる人って惹かれるなぁ。

考えて出来るもんじゃない。

独りよがりな笑いでもなくて、
当たり前のように目の前の相手との時間を大切にできる、
そんな素直さ。

まぁ相手にソレ求める前にテメエで雰囲気作れってな話だけどな。
相手に何も気を遣わせず一緒の場を楽しめる空気。

さてさて、精進すっか。。。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

October 18, 2005

どちらか一つ

どちらか一つを選ばざるを得ない。

そんな選択肢が提示される日は突如やって来る。

さて、貴方はどちらを選ぶ?

勿論、迷うってことはどちらを選んでも得るものは在る、ということだけど。

さてさて、どちらが正解なのか。。。

納得できる心構えなんて、いつになったって分からんもんだ。

  

| | コメント (4) | トラックバック (1)

October 14, 2005

ままならん・・・

こんところ家に帰れば0:30.
まぁ忙しいのはえぇコトやけど.今日ばっかは...アホ~!!

夜先輩らとテニスする予定で,
せ~っかくラケットバッグ担いで出勤したってのに..
使わんと持って帰るんかい!

2時間テニスの後皆でギョーザの旨い店行って打ち上げて・・・

俺ともう一人の先輩以外みんな行ってまうし.

だあぁ~~もったいね!

こんな日に限って明日までの仕事が入って,
しかも明日は午後ずっと外だから午前中やるしかないかと思いきや,
それ教えてもらわな出来ん先輩が出張で明日は朝から居ないときた.

まったく.
今の今まで何とかなってきたのに.
これがサラリーマンかねぇ.

しかもラケットバッグ担いで帰ってたら,
いつもは素通りな最寄り駅近くのイカガワシイ店の前でオッサンにやたら誘われるし.

「よっ!お兄さん,もうひと遊びどーだい!?」

って,テニスを一緒にすんなや!(怒)
汗臭かったら女の子嫌がるんちゃうんかい!
って違うちがう.


あーあ.残念.まぁこれも縁かい.
しゃーないか.
その分新しい仕事できたからヨシとしよう.

てか誰か今度テニスしよ.

  

| | コメント (4) | トラックバック (1)

October 02, 2005

水もの

ダレが言ったか
「恋愛なんて水ものだ.ゴールなんてない.常に抗争だ.」

その通りだ.

それはたとえ”付き合って”いようが(誰が考え出したんだか.こんな幻想の如く形式的で徒為な価値観・・・),
いわんや”結婚”していようが.

世の中で最も不合理で移ろい易いカタチであるヒトの心が,
何かに縛られて固定されたままでいるワケがない.

それでもある誰かとずっと一緒に居たければ,最低限心構えが必要なんだ.

「この先もずっと自分を選ばせてやる」

飽きられないように,いつも相手に感動を与えられるように.
常に前進して変化していきながら一緒にいることをいつまでも楽しめなきゃ.

無論自分ってのは誰かの為だけに生きるわけじゃないけど,
自分の視点をだけ支点に物事考えてたら往々にして一点に落ち込みやすいから,
”誰かの為に”って価値観は思いの外自分が進んで行く道標になる.

そしてそれはお互い様.

飽きたんなら,価値観が変化したなら,遠慮する必要なんてどこにもない.
自分が最高の幸せを手にするために,自分にとって最高の相手を選び続ければいい.

相手にとっての最高で居れなくなったんなら,
自分のタメに相手に自分を強要する権利なんてないだろ?

だけどそれはそんなに難しいことじゃない.
万人にとっての最高になる必要なんてなくて,ある一人にとっての最高に成れればいいんだから.
一般性なんてクソくらえ.
突き詰めて掘り下げて,他には無い幸せ掴んでやる.

理想的ってケナす愚かモンもいるだろうけど,
理想追っかける度胸も無きゃ幸せなんて掴めやしないさ.
自分の範疇すら越える,自分でも意外に思えるほどの,幸せなんて.

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

October 01, 2005

風邪かぜ

風邪ひーとる.
うん,現在進行形.

頭痛発熱だるさ腹痛少々.

それももぅ1週間か.
あかん.タネ枯れてまうわ.こんなん続いたら.

これが社会人かぁ.
カラダが動く限り会社休まれへんもんなぁ.
学生んトキはちょいケダルかったら寝てたもんやが.

やっぱアレだな.
熱あるのに月曜夜中遊び行ったんマズかったか.
いや,でも大先輩から電話あったらそら行くやろ.たとえ帰り電車の中おっても.

昼休みに診療所行って薬もらって呑んでるけど.

あ,注射1本討って治してくれ,ってゆったら断られた.
なんか古いヤリ方らしーわ.注射.
解熱剤注入する副作用でちょいちょい死んでるらしーし注射要注意.

けどまぁ酒呑んで夜まで仕事して風呂もかかさず入っとったらそら熱も下がらんわなぁ.
おかげで熱あろーが寒気止まらなかろーが仕事するやり方身についてしもたわ.

さぁてゆっくり寝よ.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

September 27, 2005

戻れるとしたら・・・

  戻れるとしたら過去の何時を選ぶか

  何時が一番充実してて楽しかったか

そんな話をしながら部の呑み会でマネージャーが言った事.

「20年後にこーやって酒呑みながら自慢して語れるような経験をどれだけしていけるか.それが楽しみだと思うんだよね.」

震えた.

保守的に生きてる自分が面白みの欠片も無い馬鹿に思えた.

そう,今日明日の平静を望んで後に何が残る??
そんな風に生きてて,子供に胸張って何が言える?

勿論生活はギャンブルじゃない.
ただ馬鹿やれって言ってんじゃない.

素直で,貫ける,馬鹿になりたい.

最低限のリスクを抑えておくなんてのは言うまでもなく当然で,
自分が痛む事を代わりに差し出して,
出来る限りの最大限を実現してみたい.

”自分で出来たことが信じられない”
そんな事をやってみたい.

「20年前に戻るのと,今1億円貰えるのと,どっち選びます?」

そんな質問にマネージャーは後者を選んだ.

今まで積み上げてきたものの上に立つあの人は,
これからもいかに築き上げていくかを考えているんだろうか.

ただ今までで一番充実してたのは,30代後半くらいだと言ってた.
仕事も,遊びも,寝ずに楽しんで,毎日が忙しくて,一番頑張れた時期だと.

お,俺まだ先あんじゃん.

これまで生きてきたそのやり方を別に悔やんじゃいない.
今の自分があるのは過去の俺のおかげだ.満足してる.

けど,
今までの俺と同じじゃとても満足出来ない世界観を目の当たりにして,
このまま進んでいける筈が無い.

生き方なんてナンボでも変えていきゃいんだよ.
その時その時の自分が最高になれるように.

20年後に胸張って語れるように.

だから俺も新しい世界で見たモノ素直に受け入れてどんどんやり方を変えていこう.
んで,なんでこんな事やってんだろって疑問に思って苦しみながらも,
当たり前でない何かを築いていけるよう頑張ろう.

生きてきて良かったって,素直に言える人生にするために.

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

September 11, 2005

夢考察

みなさま

情けない下名に情愛のコメントを有難う御座います.
まぁ確かに色々そぉなんよなぁ.

>うえっち
サンクス.そぉ,夢を見ようとしてることは大事なんだと思う.
部署配属なってたかが4ヶ月とちょい.
当該ビジネスのビの字も知らん自分に何が言えるんだと.
アタマん中で色々処理出来なくて見えない間は踏ん張るしか無いんだろなぁ.

>マリちゃん
まさしく.寮住まいでおま.
TVも飯食う机もテーブルも無い雑多な部屋で外食onlyな生活してたら確かに精神もままならんのかもしらん.
ヒトとして豊かに生きる根本から大切にしなきゃってな貴女の姿勢は素敵やわ☆
やっぱしピアノは持ってくるべきだったな...

んで,職場.
大企業の中で歯車の一端を担う位置に居ることは否めない.
商社マンって,当たり前に人生を楽しもうとしてる前向きでパワフルな人達ばっかしなのは確かなんだけど,夢語ってくれる人は未だ少ないなぁ.まぁ俺がそぉいう話を引き出せてないだけなんだけど.

確かに,夢見続けるってのはしんどいんコトなんだろな.

ある方向に進もうと思って描いてみても,考えの及ばない現実に遭遇するたんびに修正と補正を繰り返していかなきゃならない.
むしろ己の知の狭さと世界の広大な構図からすると描いた通りに進むことなんて稀なんだから,その小さな希望を抱えて未知で巨大な世界を相手に飛び掛っていかにゃならね.

けど.

けど,そうできることは間違いなく幸せなハズなんだ.

まだまだ知らん世界相手に,少しずつ知を獲得して少しでもまともに足掻けるようになって,自分の力で食らいついていけるようになれる.
それがどんなにワクワクすることか.

試してみたいと思わね??

だからせめて,どんな環境にいようと”流れ”の中にいなきゃダメなんだ.

今の俺は留まってる.

稼ぎ頭かナンか知らんが,30年来の歴史を持つ出来上がったビジネスを少しでも継続させようとする仕事だ.
無論それは容易な仕事じゃない.
制度が変わってライバルが出張って環境が変わっていく中で,築いた収益構造を保つなんて並じゃない.

ただ,それを保守的な仕事だとアタマん中で決め付けてしまった自分に,未来はない.
留まって,一箇所に放置してクサって,ナンの新しさも入れず,ただただ老化するだけ.

違う.
見る時間単位を変えなきゃいけないんだ.

デイリーな小口取引を個人で沢山取り扱う生活産業ビジネスじゃあない.
目の前の目新しさを求めてちゃあ,今の仕事に夢は見れない.

もっとスパンの長い,世の中の情勢が変わっていく様を眺められるくらいの期間でモノを捉えられるようにならなきゃ,今の仕事の醍醐味を見逃してしまう.
経済の成長動向とリンクするようなモノを扱う仕事.

そういう仕事こそが,俺が夢見た,社会活動に自身で変化を及ぼすような仕事,だろ?

扱うモノ自体に夢が見れない所為だと思ってたけど,どうやらそれだけじゃないみたいだ.
求められるのはもっともっと大きな絵を描ける,視点.


とまぁ気付いてみたところで,そんな視点と日常業務をアタマでリンクさすのは至難の業なんで.
だいたいそんな視点を手に入れるのにどんだけかかるんだよって話で.

気付いた事だけ頭の隅に置いて,ちょっとは夢見れそうな感覚だけは大事に,明日っからまた仕事しよかな.
長めの経済動向を意識しながら.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

September 10, 2005

夢を見る力は何処に・・

学生の時ほど夢が見れない..

どしたんだろ.
好き勝手に夢語ってた半年前の俺は何処行った?

こんなときその辺の大人はこぉゆぅんだろか.
「現実はそんなに甘くないんだよ」
「現実には出来る事と出来ない事があるんだよ」

こぉいうオジサンほど情け無ぇ存在は無いな.
何も考えてねーのかよ??

だってオカシクね?

夢って,現実の中から抽象化して創り出していくもんだろ?

無からは何も生まれやしない.
無意識だろうが必ず何処かからその根拠を取り込んでいくハズだ.
この社会に生まれ落とされた時から,俺らの意識は無の中には存在し得ないんだから.

だったら,現実に生きれば生きるほど,積み重ねて,色を重ねて,広げて,深めて,夢を叶える手段を具体化できたってヨクね?
色んなコトを知って,新しい考え方に触れて,もっと夢って広がったってヨクね?

夢を見る力ってのは,現実をしっかり生きることで培っていけるはずだ.

無論自信だって無くしてなんかない.
あの頃見た夢には,限りなく近づいていけるハズって今でも考えてる.
できる,って考えることは出来る.

けど,見れないんだ.
夢が.

別に何だっていいんだよ.
空論だって,妄想だって,絵空事だって.

けどなんか,ワクワクしない.
自分が動かす世界を想像しただけで震えるほど興奮したあの頃の気持ちが今は沸いてこない.

今いる部署が元々希望してたところと違うから?
先輩のやってる仕事を見て上限を知った気になってるから?

そんなチンケな理由でも無いよぉな..
何やるにしたって,導入部は必要だろし勉強させてもらうには最適な場所だからなぁ.

まぁおそらく答えは決まってんだけどな.
けど所詮それも狭い俺の見方の1つでしかないし.

誰か考え方教えてちょ.

  

| | コメント (4) | トラックバック (0)

August 23, 2005

安心したい時

自分で鳴らす音楽を無性に聴きたくなる夜がある.

自分が音を生むことに満足したいのか,
自分に心地イイ波長を用意できるからなのか,

それとも,自分の気持ちを落ち着けたい所為なのか.

すごく安心できるそんな時は,
絡まった気持ちが一本の糸の上にゆっくりと乗っかって落ち着く感覚.

息をついてぼうっとしていられる.

迷ってた自分の気持ちが組み合うこと無く一つの方向に纏まっていく.
ナンの根拠も無しに,信じる事ができる,そんな源泉.

そう思うといつでもピアノ弾けた環境はゼータクだったなぁ.
引越しに持ってくるベキだったか..

まぁいぃか.

夢は時間のある生活か,防音室を備えた家か,はたまた...

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

August 18, 2005

enjoy

thank you for your time to read this and throw your comment!!
from Mexico!?
haha i recommend you to enjoy your wonderful and unique life there completely apart from Japan!

haha sorry, it's kidding.
thanks a lot for you kindly attention.

hmmm, the relationships between fear and challenge, and accomplishment...

OF COURSE, it's so important and it surely has some precious effect on you to DO something, with your confirm decision in mind.
of course i know it.
i wish you not to misunderstand my true intention.
please put it in your mind in advance, please.

sometimes,
someone, who is everytime serious about anything and has very strongly challenging mind worth while to believe itself, seems to has some very biased way of thinking which is enough confirmly fixed in one structure of concept.
definitely it can sometimes help you to try to achieve your goals (if such things truely exist) and give you some satisfaction after you do it.

but,,,
it can be sometimes not flexible, not respondable, and not enjoyable.
because the spirit scheme you believe correct (of course this is also suspicious) gives you just one type of concept.
as and when you are prepossessed in that one type of structure, you'll never reach a unimagenable enjoyment you've never experienced, even imagined.

just one thing i want to say is "break your style".

it's NOT "to do something unusual".
don't jump to your selfish conclusions.

go out of your limited view even if it gives sometimes you your original characteristic in which you are very confident.
it's to do something in new "style" you've never tried to adopt.

i think it's relatively even bad to decide to do something with your welknown style. (in that case of course you are sure to believe it the appropriate way to deal with it.)
sometimes it needs to do something you think it's NOT correct, in order to be released from your original influence.

who you are?
nobody knows.

when it's decided?
never.

then, don't make your mind about anything whether it's good or not, even when you have to decide to do it or not.

just as you like.
it's the only way to live a "FRUITFUL" life in this unique world,
i think.

| | コメント (1) | トラックバック (0)

August 12, 2005

ヒトの不安

不安なヒトの心は安定を求めたがる.決めたがる.

そんなモノ一時的な場当たり的な凌ぎだと知りながらも.
「信じたい」ってタダの言葉が現実を濁ませる.

何に固執するんだろう.
何にコダワルんだろう.

決まってるコトなど1つもないのに.
世の中の全ては流れて行くというのに.

守られてる世界に居るとどうしても感覚が鈍る.

世間の,先人の,既に認められてる道を繰り返し歩むコトが
自分にとっての幸せだとでも言うんだろぉか.

何にこだわることも無い.

決めるとすれば唯一,
自分の将来に自分で責任を負う時だけだ.

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

August 10, 2005

広がり

想いは広がる.

解釈の幅が広がる程に,気持ちの幅は広がっていく.

想像力の至る範囲と共に.

認識は深まるどころか広がるばかり.

気持ちの表面に波紋が広がる.

たゆたゆと.

そんなときは信じればいい.

素直な自分の世界を.

そして好きだと想えるヒトが与えてくれた世界観を.

好きなモノを大切に.

それが素敵なアナタを育てる方法だから.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

August 01, 2005

携帯買いました

よーやっと携帯買いました.機種変.

んで運のイイことにアドレス帳のバックアップが残ってました.
3ヶ月くらい前のだけど.

んなもんで,入社して1ヶ月くらい(5月半ばくらい)までに出会った人達のアドは生きてます.

今回携帯失くしたのは災難で色々大変だけど,
こんなネットの端で細々書いてるブログなんかを読んで連絡くれたみんな,ホンマありがとう.

コメント残してくれたmachayo,まきんこ,madoka.
GREEにメールくれた皆.
携帯に直接連絡くれた皆.

正直素直にホンマ嬉しいです.

こんなちっぽけな自分は人に支えてもらってようやく存在できてるコト,
そうやって生きていくためにも自分がちゃんと前向いて人の力になるべきコト,

を改めて感じました.

自分の身に起こってみるまでヒトの経験を己に当てはめて考えられないよーじゃダメだなぁ.

ダメな奴は経験しても失敗する.
普通の奴は経験から学んでいく.
デキルやつはヒトの経験からも学ぶ.

失くして大切なモノなら”事前”に自分で守っていかなきゃならない.
起きる前であるからこそ,まだ無くなってない今だからこそ,出来ることがある.

いつまでもそこに在るとは限らない.

そんな身の回りの大切なモノを見直す,そんな経験でした.

  

| | コメント (1) | トラックバック (0)

July 30, 2005

携帯失くした(泣)

携帯失くしました...

うん,軽く凹む.

昨日の夜先輩2人と焼肉行ったんだけど.
めっさ食ってめっさ呑んだ.らしい.覚えてない.

3人で焼酎ボトル3本.
3人でお会計4万越えたとかなんとか.

んで店出たとこでポケットに携帯が無いことに気付く.
うん,記憶と一緒にどっか行っちゃった...

ってさ,店入る時あったんだから,店ん中だと思うじゃん.
あの後おぼろげに覚えてるのは店戻って席周り見てトイレ行ってゴミ箱まであさって探したこと.
でも無くて,今日電話しても「いやぁ探したけど無いんですよ.」って.
さっきポリ署行ったけど無い.

てかかけても電源入ってないか圏外かつながんない.
電池はあったハズだし,ダレだよ切ったやつ!

さーてどうしよか.

とりあえず機種変して番号とメアドはそのまま生かすんで,
これ読んでて同情してくれた人はメールでも電話でもいいんで下さい!!まじで.

バックアップとか数ヶ月前にしたやつはあるけど,
SDカードのvcfファイルとか新しい携帯で読み込めるか微妙だしなぁ.

でもなんだろ.死ぬ~って程凹むわけでもなく.
まぁここ数ヶ月で出会った人にこっちから連絡取れなくなるってのは寂しいけどさ.

カナダに居た頃半年携帯無しで生活して,普通に楽しかったしな.
いや,もちろん日本帰ってきて「あ,この国は携帯無いとダメだな」とか思ったけど.
無きゃ無いで何とかなるもんだ.
ソーシャルネット万歳.

そゆわけで28日~30日に渡って電話もしくはメールくれた人はごめんなさい.
今日の昼間電波止めたんで,「お客様のご都合でつながりません」とかアナウンスされても
それは着拒否とかでわないんで.

これで縁切れてもて一生連絡取れなくなった奴とかおんねやろなぁとか思って,
そんなグチを含めながら同期に会社メールで番号教えてって頼んでたら,
一人が嬉しい返信くれた.

『縁はまだ続きます.おれのんxxx-xxxx-xxxx.』

感動した.ホンマありがとぉ.
今後とも御愛顧ヨロシクお願い致します.

  

| | コメント (3) | トラックバック (0)

July 14, 2005

クソ会社・・つぶれちまえ!

1週間ぶりにネット繋げた.
しかもこのご時世にダイヤルアップで.

とゆうのも,クソなブロードバンド契約してもたから.
ホンマ,クソやな.US○Nブロードバンド.
未だにローカルネット接続は切れたまま.復旧する見込み無し.

ってゆうのも,サポートがクソだから.無いに等しい.

・・・

先週の火曜日,突然ネットに繋がんなくなった.
ほんとイキナシ.原因不明.

まぁ機械だもの.故障もするわ.そこに文句言うほど機械分かってないこともない.
だけど,問題はその後.

サポートセンターに電話したら,
「PCの前にいて頂かないと調査できません.今ご自宅ですか?」
ときやがった.
仕事中やっちゅーねん.
帰るの22時過ぎますけど,ってゆったら
「サポートセンターは21時までとなっておりまして」
だって.

バカ??

おい,どゆことやねん.
ネット人口がもっとも増える時間帯って知ってるか?
夜10時から深夜や.
いつ最もサポートが求められるか知ってるか?
夜10時から深夜や.

働くサラリーマンがいつ家に居れるか知ってるか?
夜10時から深夜や.
いつ最もサポートが求められるか知ってるか?
夜10時から深夜や.

もしくは,早朝.
そやのに,朝10時~21時しか対応しないってどゆこと?

文句ゆったら,
「じゃあ調査する番号の抽出の仕方教えるから調べて電話してきて」
ってさ.

まぁしゃーないから,調べて次の日夕方仕事の時間終わってから電話したさ.
そしたら,
「調査結果でるまで2,3日お待ちください」
って.

バカ?
家でネット繋げないって,結構困るんだよね.
夜対応せずに,しかも2,3日待てって?

調査部が混んでるとかワケ分からんことぬかしやがるから理由聞いたら,
どうも謳い文句の高速接続より全然遅くてクレームが多いらしい.
それへの対応で忙しいとか.

どんだけしょぼいねん.

そのハナシを友達にしたら,結構皆の共通認識みたい.
あの会社ダメだと.

その後も夜間の対応をしてくれとか色々やりとりしたんだけど,
「代わりのモデムを送るから接続し直して結果を教えろ」とか,
だーから平日に受け取れる時間に家に居ないんだから無理だってのに.

じゃあ明日の土曜に来てくれってゆったら,
「人員を準備できないから来週以降」とか.
だから平日は無理だっつってんだろが!!!
2,3日待たせておいてそーくるか.

じゃあ仮にモデムが届いてもダメだったらどーすんですか,って聞いたら,
「ご自宅に調査に伺わせて頂き,かかる対応を取らせて頂きます.ご都合のよい時間帯をお教え願えますか」
って.
アタマ悪いんじゃねーの.

ラチあかねーから,上のモン出せっつったら,
「電話でサポートする部署とそういった部署は分かれておりまして..」
とか.

じゃあアナタが対応してくれるんですかっつったら,
「私にはそういう権限がございませんで..」
とか.

要するに,バカ,なんだ.
この会社.

ユーザーニーズを正確に吸い上げる仕組みすら無い.
対応しようともしない.

電話に出る奴もハッキリ頭悪くてハナシが通じない.

もはや,ネットは生活インフラの一部だ.
無くっちゃ生活や仕事すら成り立たない.
連絡すら途切れてしまう.
情報収集すらままならない.

そういう,人の生活を支える商売をしてるって意識が皆無なんじゃなかろうか.
そういうクソな会社が良く生き残ってるなぁ.

例えば,ガス会社は夜中対応してくれた.
平日に引っ越してきてガス出なくて困ってるって電話したら,
次の日マンションの前で夜10時に俺が帰るの待っててくれて,対応してくれた.

これが,サービス業だろ.

私的企業だからって,サービスを投げることなんか許されない.
社会インフラの一端を担う世界にいったん飛び込めば,きまりが悪くなったからって放棄することは許されるワケない.
ハッキリ社会利益に反するポリシーを持ってる企業なんか生きる価値ない.
自分達がソンをしても社会の生活を支える,くらいの気概を持ってる企業こそが生き残っていくんだと思う.

消費者ナメんなよ.
そんなんでごまかせるほど甘くはねーぞ.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

June 29, 2005

一つ纏め上げる力

今日は新卒社員全員と会長社長はじめ役員方との懇親会.立食パーティ.

まぁ何でか知らんけどおエライ人達って割りと型通りのハナシが多くて,感激するようなストーリィってのはあーゆー場ではなかなか聞けないんだけど.
なんでかなぁ.若い頃は俺らと同じ,野望に燃えた若き商社マンだった筈なのに...

んでも,一つ二つ,あ,いいなぁ,って話が聞けた.

その内の一つが,
『”纏め上げる”力を養うこと』
の大切さ.

若いモンが夢を語る時ってのは,ホントに夢っぽい事が往々にしてある.

就活生なんてのはその最たるものかな.
無論,意気込みと夢を見る力が試されてるからそれでいいんだけど,カネを稼ぐ力ってのはそんな概論からは生まれてこない.

もっと,細かい,人が気付かないからこそ,人が考え付かないからこそ,人が勉強をめんどくさがるからこそ,稼げる領域がある.

例えば,金融工学.
今まで見たことも無いような複雑なファイナンススキームを組み上げて,新しい収益構造を作ってみるとか.

例えば,通関.
いかに税関を巧みに通過するか,いかに在庫滞留時間を減らしてコストを削っていくかを,工夫してみたり.

勿論,それらがテクニカルな手法であることに異論はない.
本業,ってかメインの稼ぐ力はもっと本流にあるに違いない.

けども,物事を『纏め上げる』には,概念,概論だけでは不十分だ.

一つの流れを最初から最後まで具体的に実践するには,
一つ一つの作業を効率良く,または出来る限り有効的に実現させる手法を学び適用していかなければならない.
細かな工夫を積み重ねて初めて,全体として収益の上がる構造に組み上げることが出来るんだと思う.

ビジネスケーススタディとかでありがちなのが,
実践プランまでもってくってのがコンセプトなのに,”計画”するための”計画”までしか話し合えないケース.

大筋を好き勝手に議論するのが一番ラクで楽しい.

けど,”実現可能性”を突き詰めるのはホント大変だ.
ましてや,利益を浮かそうとするスキームなんて...

最近は毎日毎日決算表見たり経営計画書読んだり月次報告書読んでコメント考えたり,,,ってな仕事だけど.
あの言葉で,これらの知識と考え方がいかに重要かを再確認できた.

これらの技術があって初めて,大筋が具体的にイメージできる.
できるか出来ないかまで具体的に.
オリジナリティをもって.

自分が社会で価値を持とうとしたら,何かを生み出す事が不可欠だ.

それに必要な,”纏め上げる力”.
んでそれを実現させる技術.
それらは決して概論的でも,幻想的でもない.

たとえ想像力や発想力に飛びぬけていなくとも,現在はそれらの領域で勝負できなくても,
やった分だけ身に付く強みはいくらでもある.

道のりは決して近くは無い.
けれども,やる価値はある,と,強く思わせてくれた.

そんな言葉を聞けた会合.
やっぱし上の人たちは偉大だわ.

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

June 22, 2005

失いがちな平衡感覚

最近仕事が楽しい.

いやもちろん”仕事”と呼べるよーな成果は上がってやしないけど.
けど,新しいこと覚えて自分の出来る範囲が広がってくのが楽しい.
もっと勉強してもっと自分の意見を前に出せるようになりたいって思う.

うん,イイ調子.
先輩らの仕事を見てて何か新しいこと覚えられるなら,帰っても差し支えない状況でも残ってもいいと思う.
早く帰りたいけど,疲れてるけど,でもそんな状況も悪くないと思える.

なんてーか,自分がナニかを成そうとすることに前向きな情緒.


けどなぁ,
これも天秤の片方なんよね.

仕事とか企業における自分の役割とか,そっちに寄れば寄るほど,”想う気持ち”は薄れてく.

感じる心が相対的に表に出て来なくなって,ヒトを気遣う力が薄れる.
”自分が”何かをすることにココロが傾いて,他へ向く余裕が無いと言うよりは,自分で前向くことが楽しくてそれで自然と満足してる状態.

それはいかん.

誰かを傷付けてからじゃ遅いし,
心通じ合う機会を逃すと痛いし,
何より自分の生きる世界を失ってしまう.

あんましね,実績とか成績とか思考のメインになると,
人の中で生きてるって事実がアタマの隅に追いやられたりすんのよね.


そんな時は,
マネジメントとかリーダーシップとかの本を読むのも効果的.

仕事に関係する能力を伸ばす機会としながら,
”To have something be done through people”っていうマネジメントの定義通り人間関係の在り様にも目を向けることになる.

人と付き合って一緒に何かを成していくことが,
どれだけ”気持ち”の勝負になるか.
それを思い出させてくれる.

結局は同じことなんよね.

天秤の両端は互いに相容れないように見えながら,
それをちょうど水平に保つ”軸”は中央に存在する.

そんなバランスを取りながら,
豊かに強く生きていけるようになりたい.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

June 19, 2005

偶然な世界の楽しみ方

「あるキャリアを追求するのにリスクがあまりに大きいと思えるとき,その理由の99%は目標に対する柔軟性が足りないことにある.」
[David E. Bell]

ハーバードビジネススクールのマーケティング科主任及び2つの管理職プログラムの責任者を務める彼の言葉.
なかなかどうしてなるほどと思わせる.

”これは本当に自分のやりたいコトじゃない”
”本当の自分は別のところにある”
などと聞くのもウザイ諦め文句を並べている貴方.
上の言葉をどう思う?

そんな貴方は多分,『今好きだと思うことは,どうして好きなの?』と聞かれて明確な説明ができないんじゃなかろうか.

”好きだから好き”じゃハナシにもならん.
そんなどうでもいい感情のこもってない表向きの文句が聞きたくてそんな質問をするわけじゃないんだよね.

その『好きだと思うこと』は自分の中から自然に生まれてきたとでも思ってるの?

そんなわきゃない.
人は各々特定の社会環境の中で生きていて,その中にある色々なモンの中に自分を投げ込んで,色んな影響を受けながら成長してくんだ.
それがなきゃ生まれたまんまナンの知識も知見も知恵も身に付けてないことになる.

貴方はある特定の社会環境に産み落とされて,たまたまそこにあるモノやヒトと共に過ごしたからこそ,好きなモンや嫌いなモンができてきて,今の貴方があるんだろ.

隣の県で生まれれば今の貴方とは違った人間がそこにいるかもしれない.

だから,今好きなモノにはそれを好きになった原因が必ずあるハズなんだ.
それを好むことにならざるを得なかった環境の中にいたハズなんだ.

すなわち,それを好きなコトもただの偶然に過ぎないんだ.

貴方の本質に照らし合わせて本当に適切であることの保障なんてどこにもない.
たまたま出会ってきただけなんだから.

無論,その出会いが大切だったって言い分もある.
勿論そうで,それをないがしろにして今の貴方の存在を語ることなんてできないんだけど,
言いたいコトはそこじゃなくて,”偶然の産物”に思い入れを抱きすぎるなってこと.

タマタマある環境でそれに出会い,それを好きになる環境が貴方の周りに準備されてて,
しかるべくしてそれを好きになったかもしれんけど.

人生これからのが長いよ.

多分,そんな素敵な出会いってこれからナンボでもあるよ.
もっともっと好きになれること,いっぱい転がってると思うよ.

今好きなことをなおざりにする奴に深い成長なんて期待するべくもないけど,
今好きなことだけにこだわって視野が狭くなってるやつは広い成長もできやしない.

『だまされたと思ってやってみな』

今の俺がいることを感謝する第一の人物の一人は大学大学院で世話になった教授だけど,
これはこのヒトの言葉で,ウソくせ~とか思いながらも結果的に一番感謝することになったキッカケの言葉.
今の俺の考え方の基礎を作る事ができた研究に取り組むことを勧めてくれた言葉.

”今”好きなコトだけに固執する理由なんかどこにもない.
世界は未知だ.とてつもなく広く,深い.

もっともっと素敵なモノを素直に受け入れて自分をもっと大きく育てるために,
タマタマ出会う全てを大切にしていこう.

頭ごなしにこれは違うとか言わないで,切り捨てる前にもちっと真剣に取り組んでみよう.
それ以前に,大きく構えてまず受け入れてみよう.

素敵かどうか分かるのに何年もかかるかもしれない.
けど,色んな可能性をアタマに残しながら日々頑張って色んな方面から考えるようになれれば,
それはきっと貴方の姿を知らないうちにぐっと魅力的に映す道具になってくだろう.

貴方の魅力はまだまだそんなもんじゃないよ.
もっともっと,素敵になれるはず.
周りにいる人たちもそれを期待してる.

だまされたと思ってさ,やってみりゃいーじゃん.

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

June 16, 2005

妥協,ですか?

興味を持って片足突っ込むところまでは誰でも楽しい.
適当になら誰にでもどの程度にでも出来るから.
中途半端が一番ラク.

けど,そこから先に行けるか,深められるかで,生きられるかどうかの違いが出る.

どんな興味を持ったっていい.
どんな大志を抱いたっていい.

けど,自分が選ぶその世界に死ぬほど取り組んで,
もう考えるところなんて無いってくらい具体的に考えて書き出して纏め上げて,
それを人に見せてさらにつっこまれるところを深掘りして,
そうやって少しずつでも明確な”自分の解”を見つけ出して自分のモノにしていこうとしない人に世界は作れやしない.

ちょっとの興味で薄っぺらく関わって,
本来の深さや本質に近づく事無くつまみ食いしてるようじゃあ,
自分の生きる場所なんか永遠に見つからんだろ.

そんなんじゃ折角の世界に裏切られるよ.

どんなんだっていいさ.
自分の”解”でありさえすれば.
それが誰にでも簡潔にしっかり説明できるくらい深めてありさえすれば.
それなりの構造の上に作り上げたなら,大事な条件が抜けて無い限り大きな的外れではないだろうから.

けど,自分の考え方や理論で足りてると思ってたら大間違いだ.
人の考え方を,租借を含めずに吸収しなきゃ.
”自分なり”の解釈は時に思考を止める.

疲れたとか,怖いとか,自分を慰める言い訳ならいくらでも吐けばいい.
けど,
諦めた瞬間に,思い込んだ瞬間に,思考を止めた瞬間に,
な~んも無くなってしまうのは自明だろ?

せっかく生きるからには,世界を創り出す側に回った方が楽しくない?

”自分”が何を”成す”か.
”解”は今まで生きてきたオリジナルな貴方のウチにある.

世界に”生きさせてもらう”,”ナニかさせてもらう”んじゃなくてさ.

世界の主役は貴方なんだから.

    

| | コメント (0) | トラックバック (0)

June 15, 2005

互い違い

同じ方向を向いてるハズのヒトの気持ちが互いにすれ違ったりするのは,
基本的に人間が短気な生き物なんだからなんだろな.

長期的に見れば,それぞれの経験が個々のためにも互いのためになることも,一応は理解できる.
そういうモノの見方が支配的であるならば,互い違いってのはもっと少なくなるんじゃなかろうか.

だけどヒトってのは,目の前の出来事でアタマがいっぱいになって,我慢できなくなって,
それをどうにかしたい一心で,根本的なココロの在り様まで変えさせて,その場を乗り切ろうとしてしまう.

そこで変わったココロの色は,それを経験する前には戻ったりしない.
それを経験した上での色になら近付けるかもしれないが,決して知らなかったころには戻れない.

だから,互い違う.
片方が追いかけて,追いかけられて,そのタイミングが食い違う.

経験,認識,変化,対処,の周期がもっと長ければ,
次に相手が何かを経験するまで待てるのに.

無理に気持ちを変化させることなく相手の変化を待てるのに.

短気な生き方が悪いわけじゃない.
それが自分に最も大事ならその点を大切にしなきゃ気持ちよく生きていけない.

だけど,そうじゃない考え方もあったと知ったなら,後悔することもあるだろう.
半ば諦めたような,納得したような,そんな後悔.

もっと幸せになるために,次はどんな風に接していこうか.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

June 12, 2005

”幸運”な人生

とある本にこんなことが書いてあった.

『あなたたちは,世界のなかで恵まれた位置にいる.熱心な先生や愛情あふれる両親のおかげで”幸運”を与えられたことを,十分認識してほしい.そして何よりも,幸運の女神がこれほど豊かに微笑んでくれたのだから,自分にはそれなりの責任があることを肝に銘じてほしい.』

これはハーバードでMBAを取得し,ビジネスリーダーとして世界を牽引する人達へ向けられた言葉.

なるほど,と改めて思う.
思い返せば,今の自分があるのはまぎれもない”幸運”のおかげだ.

今の自分があることに感謝したい人は枚挙に暇が無い.

自分が学ぶことを教えてくれた小学校の先生.
魅力ある生き方を教えてくれた中学校の友人.
自己の確立を意識させてくれた高校の友人.
知識の基礎を形作ってくれた高校の先生.

”社会”という価値観を見せ付けてくれた大学の教授.

そして何よりも,今までの人生全てにおいて,守り,応援してくれた,両親.

これらの人たちと歩んでこれたことが”幸運”でなくてナンなのだろう.
実力で選んできたものなど何も無い.
そう見えたところで結局は,あらゆる要素がかみ合う中で世界が用意してくれた,『出会い』なんだ.

今までの俺は,”社会に資する”意味合いが良く分からなかった.
現場に入って地域に生きる人たちと長いこと一緒に活動したところで,それはナニか絶対的に善な”社会的価値”のためや,巡り巡って社会に生きる”自己”の確立のためだと思っていた.

だが,この世界に生きる以上,もっと高みを目指せることを,上の言葉から学んだ.

世界に生きる人たちが,幸せだと思って生きることができる世界にできるように,自分が与えてもらってきた”幸せ”な環境を人為的な力で整えより多くの人に提供し味わってもらえるように,
俺には社会に何かを生み出す”責任”がある.

おこがましいかもしれないが,それは生き方の一つであっていいと思う.

努力して掴んだように見えるモノなんて,自分の力は1割で,残りの9割は世界の環境が用意してくれた”偶然”だ.
その偶然を必然に変えることが,そのような環境を整備し人が生きる生活を支えていくことが,究極的な目的になったっていいはずだ.

社会基盤.

やっぱり俺の目標はそこにある.

せっかくビジネス界で先陣を切って社会を動かせる可能性がある位置にいるんだ.
今まで自分が学んできた全てを出し切って,その目標を果たせるように努力していこう.

それが,生きる価値観の礎になるはずだ.

まぁご大層な志も大事だけど,
それを掲げる前に,一番大切なコトだけは忘れずに追い求めていこうかい.

一番大事な人を,幸せにできるように.
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

June 09, 2005

おつかれ...

どんなに楽しく充実した仕事をしても.
どんだけ素敵な人達と出会える飲み会を繰り返しても.

自分には”ベース”が必要なんだと悟る.

いつもの俺は表の自分.

もちろんそれも自分.
けど,それだけでバランス取れるほど偏った人間でも無い.

時には泣き言も言うし無意識に突っ伏したくもなる.

そんな時支えてくれるのは,無条件に信じれる自分の一部.
音楽であったり,文字であったり,究極的にはヒトであったり.

そんな存在がやっぱし重要.

貴女が,足りない.

  

| | コメント (3) | トラックバック (0)

May 26, 2005

成すこと成すべきこと

ちょっとね,自分の憧れてた姿,やりたかった仕事とは違うコトしてたから,多少なりとも滅入ってた.

営業マンって,もっともっとバリバリ動き回って話しまくって書類も書いて,みたいな.
プロジェクトマネジメントって,仕事の真ん中で人を回していく仕事だと思ってたから.

それが俺の配属は,取引先も予め決まってる部署で,それも販売じゃなくて会社管理担当だから.
事業投資先の経営計画書とか財務諸表とか読んで.読んで.読んで.一人で.

無論,勉強せにゃならんことは分かってたつもりだったけど.
そんなデスクワークばっかりにちょっと気分が乗らなかったのも事実.

けど,全然,違う.いかん,それじゃ.

”自分が”何を成すか.

これをすっかり忘れてしまってた.アホ.

今日先輩が静かにアツく言葉少なめに語ってくれた.

目から鱗.
湧き上がってきた.

俺が成すべき役目.

今の位置にいるからこそできること.
今の位置からじゃなきゃサポートできないこと.発想できないこと.
現場にいないからこその視点.着眼.工夫.作業.

3年もフィールドワーク研究してたんだ.無論現場の理論の重要性なんて分かってるつもりだ.

けど,俺の位置から,成すこと.

俺は何故ここにいる?

『誰もが諦めるところから何かを生み出すのが商社マン』

そんな言葉を自然と思い出した.

そう,今までの自分に捉われるな.
こだわるな.狭い殻に閉じこもるな.

世界はもっと,もっと,思ってたよりなんかより,もっと,でかい.ひろい.ふかい.

埋もれてた志の根っこを引っ張り出すことができた.
こうなりゃ今も昔も変わらない.やるだけだ.やってやる.

社会に生み出す意味を目指して.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

May 23, 2005

振るなら伸ばすな!

最近しばしば俺が被害を被る電車内の迷惑行為がある.

”女性の髪振り”

ほら,アレだ.
肩口から手の甲で髪をさらっとなぎ払ったり,
屈んだ体制から四方360度に髪を振り撒かんばかりに顔を振りながら持ち上げたり.

そんな行為.
どーなってんの?

掌に瞬発的反重力装置でも仕込んでんのか?何用?
さらにうつむいたらクビを360度捻らにゃならんほど肩凝ったか?

めーわくだっての!!!

なんなんだ,ありゃ.
長い髪を自慢してるつもりなんかいな.
もしかして自分に酔ってたりするんかいな.

それは個人の自由なんで勝手にしてくれりゃいーけど,
とにかく”満員電車”では止めてくれ.
やるなら匂いも漂い届かない半径5mに人がいないときにただ一人でやってくれ.

他人の髪の毛って,その人がよっぽど美人であっても,大好きな人とかでなけりゃ,あんまし気持ちのイイもんじゃないもんだ.

ほら,髪を触る行為ってセックスより後の段階とか言うけど,それってねぇ,親密な間柄ではってことで.

そら髪は女の命とかゆっただろーけど,確かに髪の綺麗な人は俺も大好きだけど.
朝の満員電車でピシピシ当てられるとなぁ.
目に入るんだよ!

それに得てしてそーゆー人ほどあんましキレイな髪してない.
だってそだろ?
ホントに髪に気ぃ遣ってる人なら周りの得体の知れないモノに大事な髪をぶつけたりしたくないはずじゃん.

よーするに,ナンか知らんが自分酔いなんだろう.
エエ迷惑どす.
酔っ払いでしょっぴいてしまぇ.

東京都だって,路上ナンパを条例規制してる場合じゃないです.
車内髪振りをまず規制せんかい.

鉄道会社も女性専用車両導入する前に女性の髪振り禁止せんかい.

ホラ,あの得意文句ゆってやんなよ.

「車内環境の美化にご理解とご協力をお願いします.」

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

May 22, 2005

人生の境界条件

会社に入るって道を選んだ時点で,
ある組織に入ってその中で成せる仕事をしていこうと決めた時点で,
そこで得られる機会を最大限活かして自分が社会に提供できるモノを創り出していこうと決めた時点で,
ある程度人生の方向性は定められていたのかもしれない.

無論,気に入らなけりゃ転職すればいい.
会社組織に属さなくたって生きていくことぐらいは出来ると思う.

ただ,社会で生きていくために,ナニかを生み出す力をつけるために,ある程度その組織内で課される仕事を遂行してかなきゃならない.

そして,そういう経験の中から,思ってもみなかった輝ける体験を味わうことができるんだろう.
自分が判断するときに使える材料なんて今まで生きてきたほんのちっぽけな蓄積にすぎない.
えいやぁで飛び込んでその中でがむしゃらにとにかくやってみるって姿勢も必要なんだと思う.

それにしても,
インドネシアかぁ.

俺は自分を育てさすためにこの会社に最低10年は世話になろうと思って入った.
それだけの経験ができる場であると根拠もなく信じている.
それを実現させるなら,俺の生きる場所は日本とインドネシアになることになった.

決定.

奥さんができても住むのはインドネシアだったり,
子供を育てるのもインドネシアだったり,
ケンカするのもインドネシア語だったり.

いいのか,それで?

ってか割とアッサリ受け入れてはいるんだけど,
よくよく考えるとフシギなもんだなぁ.

人生なんて,どこでターニングポイントを迎えるかわかんねーもんだ.
あたふたせずにとりあえずやってみよかい.

素敵な経験が待ってるかもしれない.
それはすべて自分次第.

あ,でも奥さんはやっぱり日本人がいいからちゃんと付いてきてくれる人見つけないとな.
行く行くって簡単に言う人は割りといそうだけど,思ったほど簡単ではないらしい.
夫婦で駐在行って奥さんが耐えられなくなって先に帰国しちゃったとかあるらしいしなぁ.

まず,外国が日本と違うということを意識レベルから認識できること.
そして最初はどんなに馴染まなくても現地の生活を新しい経験として楽しむ事ができること.
そんな人じゃなきゃだめだ.

つまり,どんな経験だって自分を豊かにできる幸せの種だって思える前向きな人.
そんな魅力的な人がいい.

あとは,子供の教育.
インドネシアで子供って育てられるんだろか.日本人として.

んで,親が年とった時日本にいれればいいけどなぁ.

そんな風に考えてみると,将来のための大きな境界条件がイッコできたことになる.

インドネシア.

俺の人生はどーなっていくんだろ.

  

| | コメント (4) | トラックバック (0)

May 14, 2005

声が出ん..

ナンと言うか,声が出ない.
物理的に出んのだ.

医者行ったら,ノドが全体的にでっかく腫れ上がっていて,声帯の方までやられていて,音を発する事が出来なくなってるとのことだ.

アタマはちょいと痛いけど,別に熱があるわけでもなく,フツーなんだけど.

これが思ったよりめんどい.

風邪なら,ナンの疑いも無く寝込むんだけど,寝るのがラクだから治るのを期待して寝込むんだけど.

出掛ける元気があるのに喋れやしないからヒトと会うワケにもいかずお誘いも断り約束もキャンセルして自宅療養...

とゆうか,ノドは痛いから適度にテンションが下がる.
だって,テンションって喋って上げるもんだろ.

この微妙なやるせなさ感.

話せない商社マンがナンの役に立つんだろう.

普通は熱があっても,頑張って出先に行けばやり取りはできる.
気力と根性で何とかなると思ってたけど,いやそんなモンあるか知らんけど,
ともかくそれでも声が出ないことがこんなに生活に影響を及ぼすとは思ってもみなかった.

意外なトコロから現れた生活の落とし穴.
毎日健康でも明日もそうとは限らない.

リスクはあらゆるトコロに潜んでいる.
風邪だって,事故だって,,,

・・・

まぁそれでも電車の一番前の車両はやめようとか思いつつも実行できてないけどな.
てか一番前の車両って今女性専用車両じゃん(西部線).
いいのか,それで?

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

May 13, 2005

同期たちの旅立ち

今日は同期80人以上で関西配属の5人を送る壮行会だった.

別に同期に区切りを付けるつもりはないが,それでも関西出身者は,関西だけ東京でなく関西採用されて内定もらってから1年くらい共に関西で過ごしてきただけあって,その関西18人中3人も関西へ行ってしまうというのは,正直正直寂しいところがある.

関西配属が発表された時は何かがぽっかり空いたようで,体に力が入らなかった.

そんな送られる立場の彼らを見てて,昔のことをふと思い出していた.


ウチは転勤族だ.

幼稚園2つ行って,小学校3つ行って,中学2つ行って,高校・大学・会社は1つずつだけど地域が違う.
”幼馴染”という言葉がホントに羨ましいほど,故郷と呼べる土地が自分には,無い.

そんな俺はいつも引っ越す側だった.
一人だけ皆の前に立ち,別れの挨拶を述べ,新たな土地へと赴く.

むろん寂しさでいっぱいだ.
最初の頃は,小学生の時など,別れの挨拶をしながらボロボロ泣いてしまった.
自分でも予期できなかった.泣くなんて思わなかったけど,自分で思う以上にどこか別の処へ行くというのは辛いもんなんだ.


けど,今日,送られるヤツラを見てても,勿論寂しいんだけど,死ぬほど寂しいという感じはしなかった.
どちらかと言うと冷静に,彼らと過ごした日々を思い出しながら,お互い違う土地でやっていくんだろなぁって思ってた.

それは,絶対またスグ会えることを知ってるから.

何も無かったかのように再会して,それぞれの経験と想いを語り合って,また意気揚々と各々の地へ帰っていくことができることを知ってるから.

馴染みの土地を離れる別れをそれなりにしてきた自分だからこそ分かる.

こんな出会いや再会も,一つの生き方なんだと.

俺は今でも中学時代を過ごした大分県の友達ともつながってる.
引っ越してから10年以上経ち,その中で2回しか大分へは行ってないが,未だに連絡を取り合っている.

ケータがイイこと言ってた.
俺らは人生の同期なんだと.

その通りだと思う.

少なくとも,これまで一緒に過ごしたヤツラはもう輪の中にいる.
むしろ違う場所で経験を積んでいくだけに,自分なりの強さを意識して進んでいかなきゃ勝てないライバル達だ.

たにちゃん,かとちゃん,にしだ,こうへい,けーた.
今日はありがとお.

また遊ぼ~ぜ~☆

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

May 10, 2005

存在

死ってナンだ

絶対的な消滅なのか
この先にそのヒトの存在と影響が存在し得ないという意味で

どうして・・・
どうしてナニかが起こりえるんだろう

不条理にもほどがある・・

まだまだこれからで
世の中を変えていくハズの人が
何故これからという時期に

あんまりにあんまりじゃないか・・

何が人間の世界を現状たらしめるんだろう
どんな意思が流れ働くというのか

ヒトとして生まれ
人間の社会で何かを成そうと必死に生きてきて

その成果を発揮させないまま
どうして世界はたくわえを発揮するチャンスを奪うんだ

でも
じゃあナンのために生きるのか
なんて言わない

ナニかが起こるとしても
その瞬間までは
その瞬間の最高であれるように

たとえその瞬間に笑えなくても
頑張って生きていく

放棄はしない

今日1日を最高に幸せな日にできますように

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

May 07, 2005

株主価値ってそんな大事??

「企業の至上命題は株主価値の最大化」

これってホントに当たり前なのか?
ずっと引っかかってた.なんで株主に還元せにゃならんのだ?

研修でもそう習うんだよね.
「会社の所有者は株主である.経営者は株主に雇われた経営代行人に過ぎない.経営の目的は株主に儲けさすことだ.」
って.

違和感を感じる原因ってのは,株主に選ばれようと短期利益を達成しようとする企業ばっかりだったら,地球は滅ぶと思うから.

環境問題とか,社会貢献とか,文化貢献とか,フィランソロピーからメセナ,CSRまで,これらの企業の存在価値が建前とか形式上のものでないならば,株主に還元するよりも社会貢献を標榜する企業が投資家に選ばれたっていいハズだ.

そのような選択をしなければ,環境悪化や文化崩壊で地上が劣悪環境に陥るならば.

実際,生態系の崩壊とか実害は無いように見える環境系の破壊は恐ろしいスピードで進行しつつある.

ところが,二言目には株主価値を高められなければ企業は存続できないと言う.

ナンだこれ???

仮想企業の設定で行ったチーム対抗ケーススタディでも,経営理念としてStock Holder重視を掲げるグループの多いこと多いこと.

講師陣もそれがさも当然かのように流してる.

おかしくね???

俺らのグループは,尊敬さえできる或る同期の意向もあってStock HolderはMission Statementの3大要項には含めなかった.
俺らの理念は,『Customerに最大限貢献し,その方向性はEnvironmentに資するものであり,結果としてEmployeeも重視する,良循環を達成すること』というもの.

いーじゃん,これ.大いに賛成できる.

実際,先の記事にも書いたようにローソンの新しい方向性もこんな感じだ.
顧客至上主義を見直し,環境への配慮を優先することが,産業育成にも繋がっていくと.

企業が属する社会の利益こそが自社の利益に繋がると考える企業がいかに少ないか・・・

・・・

と思ってたら,”週刊エコノミスト”で早稲田大学法学部教授の上村氏が,
「日本は過度に営利志向の株式会社観を当然視」という旨の記事を書いているのを見つけた.

「企業統治システムは,まだ株主でもない投資家を対象にする段階で備わっていなければならない.投資家がその企業を評価してその株式を買った時,初めて『株主』が出現する.つまり,株主は最後に登場するのだ.株主が大事にされるのは,会社を評価してくれた者の期待に応えようとの経営の姿勢を示すものである.株主価値の最大化は,それが国民の最大幸福に貢献するとの経済学的な仮説に基づく標語であり,法規範概念はこうした概念一色に解消されるべきではない.」

「会社にはそれぞれに目的,使命,経営理念があり,公的規制の対象となる企業もあれば,ファンドのように運用益のみをひたする追求するものもあれば,自主的に公益への貢献を標榜する会社もある.そうした多様な経営目的を承認しつつ,それを証券市場が評価するのである.およそ200万を越えるすべての会社の経営目的は株主価値の最大化,ということは決してない.」

ここで上村氏は,証券市場と株式会社制度に関して,
「証券市場の存在を前提とする公開株式会社にあって株主とは,証券市場のルールに則って当該企業に登場した投資家である.株式会社法がその論理を貫く前提は,登場した株主が健全な資本市場の論理に則って出現したものである.」
と述べている.

そう,”株主ありき”ではなく,”健全な証券市場ありき”であり,企業は証券市場において選ばれるべきなんだ.

おかしいのは,短期利益重視の投資家に媚びる企業が多いこと.

それが地球(翻って社会,コミュニティ)の利益を害する方向であろうと,投資家の方向性が誤っていることまで言及し”正しき”方向性を堅持しようとする企業がない.

地球環境,社会環境,社会構造の問題ってそんな他人事じゃねーぞ.
どこ吹く風って思ってんの?

投資家はいつまで短期利益の追求一本姿勢なんだろ?
人間の性格が本来そんなもんだとするならば,今の資本市場の在り方自体が俺ら人間にそぐわないことになる.

こーゆー時こそ,世間を動かしうる大企業からこぞって方向性を転換していくべきじゃねーの?

”皆のモノ”であるハズの地球に垂れ流す害に関してはまだまだ責任の所在が不明確だ.

「失敗をしないために踏み出さない」ことがキチンと批判され非難されないような社会では,いつまで経っても何も変わりゃしない.

大丈夫かなこの現代社会・・・?

  

| | コメント (10) | トラックバック (3)

他人を理解する

別個の人格であるかに見える他者を理解するのは,主客未分の『絶対無の場所』の境地においてであると,日本ではじめて体系的な哲学を確立した西田幾太郎は言う.

『絶対無の場所』とは,主客不分離の,自我を越えた創造性や自己の統一の力の源泉となる場とされている.

すなわち,純粋経験の心的な構造として,「直観→反省→自覚」という弁証法的プロセスが自己であるという考え方だ.
(野中郁次郎,「知識創造の方法論-ナレッジワーカーの作法-」)


・・・なんのこっちゃ


要するに,「個人があって経験があるにあらず.経験あって個人ある」ということ.

色を見て,音を聞いて,それが何かと考えたり自分が感じているという判断すら加わらない,そんな刹那こそが純粋経験であると言える.

反省や思考活動は後から起こってくるもの.

そんな純粋経験(直観)こそが,喜怒哀楽や記憶,抽象的な思考,意志といった「自己」を構成するさまざまな要素を生み出すという考えだ.

これは,真理を実在するものとして求める「有」の哲学としての西洋哲学への東洋的アンチテーゼともいえる.


まぁなんてーか日本人的な考え方だわな.
自然を支配する西洋思想と自然との共生を試みる日本人との差ってのもこの辺から来てるんだろうか.

こんな主客不分離の自己統一の力の源泉となる場,根源的な場に自らを向けることで,個人は『他者との共同的な主観』を形成することができるのだ,と西田は語る.

これが,理解.

つまりだ,
ヒトによるヒトの判断なんて直観以外の何ものでもない.
その人がイイ人だとか,好きとか嫌いとか,その人の考え方への理解とかは,”直観”を疑うなってことだと思う.

むろん第一印象から人の評価は徐々に変わっていく.
けどもそれはどちらかと言うと歪められた自己の中での位置づけの変化に過ぎず,位置を変えるということはとりもなおさず元の位置からの変移を指すワケで,その人が乗ってる座標系は既に自己の中に形成されたものであることは疑う余地もない.

まぁ何が言いたいかってーと,直観で好きだと思える人と出会えたら,その出会いを大事にした方がいい時もありそーだ,ってこと.

逆に言えば,そんな直観へ訴えかけることを意識しながらヒトと接しなきゃダメだよってこと.

でした.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

May 06, 2005

コア・ビジネスの不在

実際のビジネスシーンを社員が紹介してくれる研修で,コンテンツビジネス部門のマネージャーが,当商社から情報産業グループが消えた背景についてこう語った.

「基幹産業を育てる事ができなかった」

そして若手に向けるメッセージとしてこう続ける.

「後に残る仕事を創っていってほしい」
と.

なるほど,と思う.

リスクを非常に嫌う当社の性質っぽいなぁと思って聞いてた.
堅実な仕事を好む当社は,30年先の利益まで求めたりしない.30年で利益が確定するような仕事はさせてくれない.10年で回収できなければやるなという風潮があるようだ.

けれど,足りないのは,『核』となるビジネス.

確かにコンテンツ産業は新しい分野だ.
アニメに限らず,商標権や特許など,知財に関するビジネスは化学関連分野も含めてこれから拡大していくべき時代なんだろう.


そんな話を聞きながら,研究室を出るときに教授からもらった言葉を思い出していた.

「しがらみを作ってしまえ」
「後発陣に疎まれるくらいの仕事を確立できるよう頑張ってほしい」

つまり,それくらい今の世の中が軽いということだ.
証券市場や会社法の基本理念や方向性も不明瞭なまま中途半端な規制緩和ばかりが進み,秩序の無い煩雑とした企業社会が出来上がっている.
国力を支えるようなビジネスの不在は,日本という国の存在すらままならないことを示唆する.

固め上げられ他が手を出せないくらいの,たとえそれが反感を買うようなものであれ,確固たるビジネスを創ることが,これからの社会発展にとって必要なのだろう.

日本という国は未だに将来の方向性を示せずにいる.
国に出来ないのであれば,民間が自主性に基づき築き上げていくしかあるまい.

それができるフィールドはなんて魅力的に写るんだろう.
楽しみだ☆

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

May 03, 2005

自分に投資

研修で財務・会計の講師が言った,すごく感動するセリフがある.

「お金とかモノとか,貯めておいてもどーせ金融不安やらなんやらで取られるんだから,自分に投資することが一番だと思っている.頭の中に入れたものは獲られない.そして生きる力になる.どんどんお金を使って自分に投資して下さい.」

いいね.
こーゆー考え方好きだ.

なにも勉強することだけが投資じゃない.

先に書いたように,経営ってのが”科学”と”思い”から成るならば,ヒトと付き合うことや一緒に遊ぶことも投資の一環だ.

色んな奴と付き合って,色んな考え方に触れて,世界の想いを取り込んで,ヒトが成すビジネスの中に機会と折り合いを見つけていく.

だから俺がデキルなぁと思った奴は仕事も遊びもしっかりできる奴が多い.

まぁ小難しいことはナシにして,結局思いっきり広く深く人生楽しもうとしてる奴の勝ちなんだ☆

  

| | コメント (6) | トラックバック (0)

論理的なんて標榜する奴は紛い物だ!

俺は感情のこもってない純客観的(と一般には認識されるような)で論理的なモノの言い方がハッキリ嫌いだ.
淡々とした物言いが大嫌いだ.

”論理的思考”とやらが最上級の説得力を持ち意思決定での武器になると,カンチガイしてる輩があまりにも多くないだろうか.

前にも書いたが,そもそも”論理的”ってナンだ?

世の中には絶対的論理なんて存在しやしない.
”論理的”なんてものは,大多数の人間が経験的な変容のエネルギーを基に”妥当である”と判断するだけのものだ.
それに反する個人の思考は論理的でないと判断されるなんて,集団暴力と何も変わらない.

根底には必ず”人間的”なナニかが潜んでいる.

数学者の藤原正彦氏が興味深い発言をしている.

「局所的判断や短期的視野を得るには論理や合理や理性だけで間に合うかもしれないが,正しい大局観や長期的視野を得るにはそうはいかない.情緒が必要だ.論理は必ず仮説から出発することになる.仮説はその人の価値観,人生観,世界観,人間観といったものにより選ばれる.これらの基底となるものが,教養や情緒といtったものなのである.」

人間の判断は,どう客観的であろうとしたところで,感覚器を通して獲得した外界情報を自らの思考システムに落とし込んで結論付けたものに過ぎない.

人間の情報処理過程を表したCED変換モデルなど良い例だ.
必ず,”認識”といった過程を経なければ人間は指示を下せない.
自らの思考に基づく”認識”がいかに客観的であり得るというのだろうか.

何も俺は,論理的思考など紛い物だ,と言いたいのではない.
所詮私見に過ぎないモノをあたかも普遍的に正しいかのような言い方で表現するな,と言いたいだけだ.

想いがあるのなら感情を込めて表せよ!

藤原氏の発言をその著の中で取り上げた野中氏はこう述べている.

「『知』は当然個人にとっても,知的生き方,自己実現的,自己超越的欲求と結びついたものでなければなりません.ここで,『哲学』が大事になってくるのです.」

「哲学的にいえば,あらゆる問題は,本質的には個人的で具体的です.」

「知的想像の方法論が,全人的な生き方の問題として構築されていく必要があるのです.」

”論理的”な判断で物事が決めれると思ったら大きな間違いだ.
気持ちに想いを馳せない意見なんてヒトの頭を一瞬で通り過ぎていき何も残りやしない.

野中氏の著は,本人も強調するように哲学書ではなく経営書だ.
その基底となっているのは,”人間の知,現象,経験,場,といったきわめて実在的なもの”である.

「個人的価値観(思い)と科学がせめぎあうのが経営学だと思う」という氏の言葉には大いに賛成できる.

方法に依り,手段に依り,数値に依り,いったい人間は何を手に出来たのだろう.

いったん組みさえすればあとは半自動的に計算が進んでいくようなラクな数式に頼り,個人の想いをホンキでいじくりまわすことから逃げてるだけなんじゃないだろうか.

生きるにおいて,想いや気持ちを常に変動させていくことはすごく辛いことだ.
多少なりとも真っ直ぐ拠って立てるものがないと歩くことすらままならない.

けれど,世界が構築されているのはヒトが想いを抱くことができたからだ.

世界はヒトの想いが構築する.

それをもっと豊かにしうるのは,ヒトの想いだけだ.

論理的な方法なんてものに依りすぎることなく,想いを大切に,ホンキでぶつけ合うようなヒトとの関係性を構築しながら年を重ねていく.

そんな生き方ができる場を創り場に生きていきたいと思う.


  

| | コメント (4) | トラックバック (0)

想いを掛けて生きるヒト

久々にアツイ想いを語ってくれるヒトに出会った.

店の中で仕事すること,役割,人間関係,コミュニケーション,,,
そしてそれら全てが世界の基本であること...

美容師でこんなアツイ語りをしてくれたのは,前京都で通ってた店の店長さん以来だ.
あん時は切りに行く度に経営とかマネジメント,ヒトを動かすことを語り合ってたなぁ.

ヒトビトが構成単位となって創り上げていくこの世界.

どーせならホンキで生きなきゃもったいない.つまんない.

何が出来るか.
何を成せるか.
何を見つけれるか.

自分とはナンなのか.

思いっきり生きるコトを楽しみたい☆

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

April 26, 2005

Globalization

商社ビジネスのキーワードに”Globalization”があるわけで.

各種インフラが整備されるにつれ海外のビジネスチャンスに関わることが容易になり徐々に収益を拡大してこれた総合商社.
これからは日本のみならず第三国間取引の拡充が重点課題となる.

散々言われていることではあるが,
海外でチャンスを見出すためにはケチな根性を捨て現地地域に腰を下ろしそこに”住む人達”の本当の幸せを理解していかなければならない.
現場の理論の前には,洗練されたビジネスツールや分析方法などクソの役にも立たない.
『ヒトとしての互いの付き合い』こそがビジネスの核と成り得る.

商社に属する者として当然これから海外駐在を経験することになるわけで.
異文化に属する者同士が共に仕事をし成果を上げるためには人財をどのように扱うかがポイントとなる.
そのための研修がちょびっとだけ行われた.

ケースとしては,駐在先の現地法人で,仕事はできるしやる気もあるけど協調性のない職員がいる,と.
さてどーする?


俺の意見として論点は2つ.

・組織としてまとまることの強さの追求
・利益至上主義

日本式組織の強さは言わずもがなだ.
規則や慣習で組織構成員の向く方向をある幅に押し留めることで同じ方向を向かせシナジーを発生させる.
個人では生じ得ない相乗効果こそが諸外国も恐れる日本式組織の強さの源泉だ.

特に”日本式”にこだわらずとも,コミュニティ論に沿って社会学を参照しながら”社会”形成の起源を辿れば,ヒトが何故共同的目的の下に社会を形成してきたのかは明白だ.
無論多少の柔軟性は求められるものの,”組織の強さ”は協調性にあるハズだ.

そしてそれが”強さ”ならば,協調性こそが利益を生むと考えられる.
個人をある程度束縛することになろうとも,チームを組織して生み出す成果が大きなモノと成り得るのならば,私的企業の目的が収益の獲得であるならば,チームワークは利益重視の方向性に最大限寄与し得ると言える.

だから回答としては,「彼に組織属意識を持ってもらって,チームとして機能することこそが利益なんだと分かってもらうよう取り計らうことが必要」というものになる.


ところがそこで丁重に頂いた批判が,
「外国においてまで”日本式”を無理に適用することが本当に適切なのか?それでGlobalizationと言えるのか?外国のやり方と日本のやり方を融合させることこそ必要なのではないか?」
といったもの.

まぁなんて優等生的で平均的な回答なんでしょ.

いやまぁそんなこた分かってんだよ.

3年間大学と大学院で取り組んだ理系の視点からの社会学的フィールドワーク研究で都会から隔絶された中山間地域やベッドタウンに関わり,外の理論が現場において通用しないこと,現場の理論を分かるために少なくとも数ヶ月の時間を共有しながら働く事が必要になること,その上でその人達に最適なものを現場の視点から見出す必要がある事を学んできた.

この手の事例はHBRなんかを見りゃいくらでも載ってるわけで,理論的にも全く知らないわけじゃない.
『地域に入り込むことの重要さ』
これが研究室に所属してる間に教授から教わった最も大切な俺の価値観だ.


だからこそ,あえて”組織することの強さ”に偏った意見を出させてもらったんだ.

そもそも,”融合”とか”統合”,”総合的”なんて言葉は,漠然とした概念をその言語に代表させて実態を曖昧にしつつもヒトの感覚を誤魔化すのには十分な表現を含んだ不明瞭この上ない言葉だ.

”総合的に解決”,”解決策の融合”なんてものほど可能性を多分に含む解決策は無い.
そんなことを言うだけじゃナンの解決にもならないから,指針と成り得る一つの方向性を示させてもらったにすぎない.


無論実際にはバランスの問題になるだろう.

現地法人とは言えども,日本人が多く日本的組織の方がより利益を生む方向で機能できるならば,文化を異にする外国人にはある程度日本組織の方法に従ってもらう必要がある.
逆に日本人が非常に少なく現地採用による現地職員が大半を占める組織であれば,現地のやり方を尊重せざるを得ないだろう.

だがしかし,もともとは日本に基盤を置く組織であるならば,海外へは自分たちのビジネスチャンスを掴みに進出している訳だから,自分たちのやり方にある程度こだわっても構わない気がする.

外国の文化を自分たちには変えられない所与条件として処理してしまうのではなく,
自分たちが本来持つ”強み”を信じて,その方法を輸出し国外で適用できる可能性を追求したっていいと思う.
自分たちのやりかたを解ってもらって広めようという方向で動いたって構わないと思う.

同じ日本の中だって,こうも意見が分かれるんだ.
外国文化の中だって色々だろうし,ハナからこちらが全面的に譲歩する姿勢で臨む必要は全く無い.

”外国”ということで最初から臆する必要なんてない.
最初から可能性を捨ててかかる必要なんてどこにもない.

自分たちの強みに自信が持てるなら,それで挑戦してみたいと思えるのなら,
まずはそれを試してみたっていいじゃないかと思う.

ダメなら譲歩も必要だろう.
”ヒトとしての互いの付き合い”なんてのは一方向じゃ成り立たないんだから.

ただ俺が言いたかったのは,「日本人として身に付けて来た組織マネジメント方法に誇りを持ちたい」ということ.

外国に出ればこそ,そう思う.
俺は日本人なんだ.その生き方や姿勢に誇りを感じれる時だってある.

むろん協調性は大事だ.
けど,自分たちに強さがあるならばそれをもって世界で戦っていきたい.

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

April 14, 2005

顧客に媚びる時代は終わった

『顧客至上主義を見直す時にきた』

ローソンの新波氏は日経ビジネスの中でこう言っている.
なんてまたチャレンジングな見通しを持ってるんだろう.感激した.

24時間営業に始まり,生鮮食品の取り扱い,ATM導入,宅配便取り扱いなど,顧客の利便性を追及することでコンビニ業界は小売でデパートに次ぐ地位を築き上げた.

それにも関わらず冒頭のような方向性を述べ,深夜営業の停止を考えているのは,深夜の悪収益性のタメではない.
物流,搬入等々の手間と時間を考えるとこの点は思ったよりも影響は大きくないようだ.

それよりも着目すべきなのは,このブログでも再三取り上げているように,『社会の利益と方向性を同じくしなければ生き残れない』点を協調している点だ.

まず,深夜営業をやめるとするとコンビニ業態全体で40万人が失業するらしい.
これはこまったもんだ.

けど,一番大きいのは,”環境への影響”.

いつ行っても棚に商品がぎっしり並んでないと品揃えが悪いと思われて客が離れていくってのはコンビニ業界の常識らしくて.
けどいつも棚に商品が並ぶってことは相当余って売れないってことでゴミになるってことなんだけど.
たとえ捨てることになろうともフランチャイズ本部は余計に弁当とか発注することを勧めているらしいけど,これは全体で500億円(経常利益に相当)を廃棄している計算になるようだ.しかも負担しているのはフランチャイズの個々の店.

ゴミ.

処理するのにCO2排出量が相当大きい.
このままではCO2対90年比6%削減なんて実現できるハズもない.

顧客至上主義を貫いてきた反面,環境負荷を増大させる結末をもたらしている.

ここで新波氏が言う.

『コンビニの歴史は高々30年.100年続いて初めて産業として認められる.これからは次の30年を生き抜く方向性を模索していきたい.』
『顧客至上主義では社会の利益を損なう結果をもたらす.これからは,コンビニが顧客を教育していくことも必要になるだろう』

・・・

カッコよすぎる.

てか,その通りだと思う.

顧客が自分たちをもてはやしてくれる企業だけ選んでいったら世界はいずれ環境問題で滅ぶんだ.
自分たちが生きる世界は無くならないだろうなんて平和ボケしてる国民の目を覚まして,全体として生き残る方向へ進んでいくためには,常識を覆す企業を認め尊敬しそのやり方に追随する姿勢が必要になるんだ.

自分たちの本当の利益はナニか.
それをもう一度考えていかなきゃならない.地球規模のスケールと因果関係で.


ちなみに,フランチャイズ協会からは,”アホな事考えるな”って怒られたらしい.
バカじゃね??

目の前の利益しか見えない企業は潰れていってるよ.
歴史が証明してんじゃん.

こーゆーアホなトップを無くすこともミッションの一つだな.

    

| | コメント (2) | トラックバック (0)

April 13, 2005

保守性と生活

日本の天皇家というと皆はどんなイメージを持ってるんだろか.

まぁだいたい画一的なイメージに統一されるんだろな.
いつも超自然な笑顔で慎ましく振舞うある種超越的な存在に感じる.

それも当然っちゃ当然で.
日本は象徴天皇で,古来から殿様的存在を好む日本人の絶対的心の拠り所みたいな位置づけだから.

その辺がアメリカの大統領一家と決定的に違う.

日本では天皇家の悪口を言うなんてことは多分許されないだろうし,私生活はまったくの秘密裏だし.
ジョークで笑いを取れるような存在ではありえない.

その存在は多分,多分に日本国民に暗黙の安心感を与えてる.
『あぁ,あんな上品でハイソサエティなヒト達がトップに座ってられる国なんだ,ここは.』って.

こんだけ日本の経済が悪化して世界から信用を失って世界の企業に飲み込まれようとしてるご時世に,
たとえ景気が回復基調にあるとしたっていつ沈没するかも分からんこの国において,
国民がいつまでも平和ボケして一度覚えた贅沢な暮らしを捨てきれない理由が,
その辺にも一つありそうな気がする.

安心できるんだよね.
TVで天皇家の人達が安穏としてるところを見ると.

もし,仮にTVに登場する天皇家の人々がイキナリ貧しいカッコして苦しそうに
『日本がホンキでやばい,皆さん働いて下さい・・・』
ってゆったら結構なインパクトがある気がする.

まぁその時には同時にナニかが崩れ去るのかもしらんけど.

いずれにしろ,
俺は昔社会科で習った象徴天皇の”歴史的””社会的”意義なんて忘れたけど,
その辺をちゃんと語れるヒトは多分少なくて,それでも天皇家を見てなんとなく安心してしまうから,
皆ホンキにならないんだろうなぁ.

どことなく緩くて,誰かがなんとかしてくれると想ってて,助けてくれるごく一部の人間の存在に甘えてて.
それで言い訳をしながら辛い顔してみながらも安穏と日々過ごすような国民.

だって,税金を1億円払ってるヒトと100万円払ってるヒトが受けられる公共サービスって多分大差ないじゃん.
そしたら,税金がいくら高いって文句ゆったって,それでも自分より多く税金払ってくれてるヒトに甘えてる状況なんだよ.
恥ずかしくならないのかな?

日本人は変化を嫌う.
安心していたいし,出来ることならそのままいたい.
そんな欲望を形にしてくれてるのが象徴天皇であって,自分への言い訳に使える絶対的根拠なんだろな.

さて,日本がホントに沈みそうになったら象徴はどう変化するんだろうか.

死ぬ気で頑張る国,巻き返せる国,世界を変えることに意義を感じれる国.
そんな国になれるのはまだまだ先の話になりそうだ.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

April 10, 2005

やりたい事とやれる事

デキル奴ってのは現実世界の境界条件を所与として自分に出来ることを見つめるんだろうか.
ヘタに物事を知ってるからそれを大前提としてモノを考えるんだろうか.
当たり前のように出来ることと出来ないことを分けてるんだろうか.

俺の主張ってのは,現実の厳しさを受け入れないタダの絵空事に映るんだろうか.

俺はそれが我慢できない.
”今”の境界条件を無条件に受け入れて”今”の立ち位置に勝手に見切りをつけてるやつらの考え方が.

もっと,夢を現実化する夢を見たっていいと想う.

ヤツラは言う.
「だってそれは無理だから」
「現実的にそれはできないから」

俺はこういうセリフが一番キライだ.

どーして大して知りもしない世界に,自分が未だ体感したことの無い世界に,ヒトから聞いた話だけを元に,自分の夢に見切りを付けられるんだろう.

さらにヤツラは言う.
「もちろんそれが理想だけど」
「将来は他所で自分のやりたいことをやる」

もちろんそれでも構わないけど.
どうして今の立ち位置からできることを考えないんだろう.
どうして出来ないことを出来るように変えることを可能性として考慮しないんだろう.

そんな奴らに現実を変えていける力と熱意があるとは思えない.
いくら俺の主張が子供じみて現実味が無いとしても.

想うだけならタダだ.

しかも想うことで自分は内なる力を生み出す事ができる.

諦めた世界で生きることは,なんてつまらなく色がない人生なんだろう.

いつだって,どこだって,夢を現実化する夢を見ることはできる.

現実を見てないわけじゃない.ヤツラの主張だって理解はできる.

けど,俺はやらないうちから諦めることだけは絶対にしたくない.
現実に,変えてやる.

それこそが,生きていくことの豊かさだと想うから.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

April 09, 2005

無題

怖さはある.

いくら頭で越えようとしても,ココロの片隅が覚えている,自分にはどうしようもできない,他人のココロの在り方.

忘れられない.いつまでも.
本当の幸せを勝ち取るまでは.

夢は見る.
そして努力もする.
自信を持って自分の時間を捧げたと胸を張れるほどには最低限.

でも,自分にはどうしようもできないことが,世界には存在する.
それは,世界を構築する自分以外のヒトの想い.

だから,怖い.
その中で生きているからこそ.

二度とイヤだと思っていても,自分に出来ることは一つだけ.
想いを抱くことを恐れないことだ.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

March 26, 2005

風邪

風邪で倒れました.
突如38度を越える高熱と頭痛と関節痛.

インフルエンザではないらしーがこんな時期に倒れなくても...
予定色々と変更.

いくらやりたいことがあっても,いくら参加したいイベントがあっても,いくら会いたい人がいても,いくら食べたいモノがあっても.
時間やカネや機会はなんとかなっても.

やっぱり身体が自由にならなきゃどーもならない.

改めて感じるなぁ.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

March 24, 2005

敷金の考え方

今日部屋の明け渡しを完了した.

<戦績>
・預けてた敷金⇒¥150,000
・返ってくることになった取り分⇒¥50,000

6年間住んで10万円の支出か.まぁよしとするか.
10畳の1Kに住んでたわけだけど,「壁紙とカーペット全張替え+掃除費用2万円=16万円強」を業者(家主)と俺とで負担し合ったかたちだ.
ってもいきなり10万円で落ち着いたわけでもない.
その経緯を簡単に示そう・

昼の11:00,約束の時間ぴったりに業者が来る(1人).どうやら住宅センターから委託された回収専門の業者のようだ.
入ってくるなりこっちのご機嫌取りを始める.
丁寧で陽気な挨拶から始まり,「どんな勉強されてたんですか?」「いやぁすごいですねぇ」「やっぱり違いますねぇ」などなど.
うーんそんなに揉めるのがイヤか.

部屋の査定を始める.
まぁ何はともかく6年間も住んだ家だ.結構汚れてるし傷もある.何せマメに掃除する俺ではない.そうはいっても料理はしないから台所もキレイだし,タバコも全く吸わないから壁も真っ黒というワケではない.
「とりあえずこっちの壁紙は全張替えで見積もらせていただきますね」「やはりこういった傷は残せませんので張替えになりますかねぇ」
まぁとりあえず何も反論せず聞いておく.

査定の進む途中で質問を入れてみる.
「張替えの負担ってのはどうなってるんですかね?」

そしたら聞いてもいないのに声高にベラベラと説明し出した.
「いやおっしゃりたいことは分かります.ガイドラインに書いてあったり凡例があったりとねぇ.昨日もそういう客がいて敷金全部返せって言ってくるんですよ.私としてもつらいところでしてねぇ.こちらもガン言ってやりましたよ.そりゃね,云々云々・・・」
「もちろん長くお住まいになれば醤油もこぼしますし傷もできるのも当たり前なんですが,中にはキレイに使って頂いて汚れを残されない方もおられるんですよ.そうしますとどうしても部屋を使われた方の自己負担というかたちで~云々云々」
「京都の家主さんってのは負担したがらないんですよ.土地柄なんですかねぇ.いやわしゃ出さんっておっしゃる方も多くてですね,こちらが負担することもあるんですけど,云々云々・・・」
「壁紙の償却期間ってのは5年くらいなんですがね,中の素材のことも考えて5年くらいで替えるように勧めてやっているんですわ.云々云々」

まぁ要するにアレだ.
この時期回収業はものすご大変なんだ.ゴネる奴が多いから.
聞いてみたら,法律とかで厳密な規定はないらしい.最後は話し合いによる折り合いで負担割合の決着をつける問題らしくて,その場の裁量が大きなモノを言う.だからそんな展開になる前に先手を打ってきたというところだろうか.

んでどんな負担にするかはともかくとして,室内の痛み具合からして全張替えは逃れられない査定結果になった.
総計16万円超.
さて,どうやって交渉するか.

イキナリあんな風に切り出されたし,こっちもうだうだ揉めるのはめんどいから聞いてみた.
「こちらとしても色々長引くのはアレですから,一発で決めたいんですけど.ぶっちゃけてそちらさんはどれくらいを考えてはるんですか?」

そしたら図々しくもこうきやがった.
「そうですねぇ.こちらとしましては超過分をこちらで負担しまして差額徴収ナシあたりでどうだろうかと考えているんですが.」

オイオイ.
一発で決めたいってゆってんのに平然な顔して随分と遠慮の無い切り出しだな.まぁ商売っちゃしょーがないのかもしれんが.

結局向こうの言い分としては,
・キレイな使い方をする奴もいる.
・汚した分は払え.
・ただ全て負担させるのはアレだから後は折り合いで.
ってなところ.

ただそれだけじゃあんまりな言い分だろ.素直に払えるワケがない.

対する俺の反論の論点は
・住んでて自然に生じる傷について全負担する義務はない.
・家賃を取る上に壁紙張替えなどの維持費用を全て居住者に負担させようというのではマンション経営者としてまっとうとは言えない.
・全くの汚れも傷もつけずに暮らせという者にはマンション経営する資格はない.
・京都という土地柄は関係ない.マンション経営業態としての問題だ.
・2年おきに更新料も払っている.
・ただもちろん汚したのは事実だし6年も住んで愛着もある.世話にもなったと思うから敷金全部返せという訳ではない.
といったところ.

加えて,
「最近地震の問題もある.家具を固定しようと思ったら壁に傷ができるのも当然だが,それすら許さないのであれば,地震が来たら居住者には死んでくれと言うのか.そんな経営者があっていいのか.」
てなところも主張しておいた.

俺の感覚としては,ちょっとしか傷つけてないのに部分張替えが無理なためにしなければならない全張替えの費用を全て自分が負担するのはおかしい,って感じ.
ただもちろん自分がこまめに掃除することを怠ったせいで生じた不具合については負担すべきだと認めた.

そんな交渉を1時間程続けて落ち着いた金額が,俺が10万円負担して5万円返還してもらうという折り合い.
内訳としては,部屋の壁紙とカーペット張替えを折半(5万超).台所は汚した分だけ負担(2万弱).洗面所は全面負担(5千円).+掃除費用(2万円)-差額をまけてもらって=10万円ピッタリ.
まぁこんなもんかな.
いい立地に長いこと住ませてもらって,住民としての義務を大して果たさずその上でゴミ出しやらで世話になったしな.
ヨシとしよう.


一つ問題なのは『敷金』の考え方だ.
これはナンのために取ってるんだろ?

人が居住することにより生じる損壊を補填するために徴収するのであれば,もちろん敷金全額補填(返還無し)という考え方も納得はいく.

けど,2年くらいで出ていく人が全く汚していない場合は,多分敷金は全額返済されるだろう.
でも結局5,6年毎に張替えが必要なので,それが続けば住民側は部屋の壁紙や絨毯などの維持管理費用を負担せず,マンション管理者が負担していくことになる.
住民がそこに居るだけでも2年分の償却が発生するにも関わらずだ.

その場合は,その種の維持管理費用は家賃の中に含まれていることになる.
敷金という特別な収益を計上しなくてもマンション経営はやっていける計算にするためだ.

そうすると,敷金というのは何か特別な事情が生じた際に補填する保険の役割を担うと考えられる.
ボヤが起きたときに敷金を使って部屋の中を直すとか,地震で被害が生じた場合とか,何か大きな穴を開けてしまった場合とか.

だとすると,部屋の維持管理費用を敷金から出させているマンション経営者はボロ儲けということになる.
全ての費用を差し引いても利益の出る家賃を設定しておいて,さらに数年おきにボーナス(敷金)が入ってくることになるからだ.

まぁ敷金をどのように設定しているかは想像の域を出ないから結局良く分からんのだけど,一つ思ったのは,空室率さえなんとかなるならばマンション経営ってボロイ商売なんだろなぁってこと.

全ての交渉が終わってサインしたのが昼の12時.1時間もやりとりしてたことになる.
業者の人は今日中にこれから10件回るらしい.
ごくろーさん.

  

| | コメント (3) | トラックバック (0)

March 17, 2005

書いてて飽きた...つまらん

多くの就活生が将来自分が本当にやりたい事を見つけられずに悩んでいる.

それは,周りの大人達が「将来の目的をしっかり持ってそれに向けて頑張らなきゃだめだ」って言うからだと思う.
将来やりたい事を明確にもってない奴を評価しないからだと思う.
そんな風潮があるから就活生が悩むことになる.

けど,それって当たり前のことか?
人間が生物の一種であるなら,その本来の目的は”生きること”それだけだろう.種の保存ってやつ?いや理由なんて知らんけど.

生まれてきたその瞬間は,「将来何かを成すために生まれてきた」わけではない.

”自分で”選んでこの世に誕生した訳ではないのだ.
少なくとも俺はそんなこと覚えてない.

そら精子と卵子はそんな意志を持って行動したのかもしらんけど,それは遺伝的な本能のレベルであって今俺らが持ちえている意志とは次元の異なる話だろう.

だとすると,「将来特別なナニかを成さにゃならん」的な思想は人間が持ち込んだ後天的な考え方だ.

生活していく中で身につけていく自己目的的な生活の在り方.
一生物としては至極不自然な生き方の規定.

バカの一つ覚えみたいに「将来の目標を明確に持って」なんて言う奴は,「ナンで?」って聞かれたら明確にその理由を説明できるんだろか.生物としては当たり前で無いこんな生き方を.

それは多分今の社会が発展を前提にしていて発展を持続できなきゃ崩壊する状態にあって,発展を実現するための重要な一要素に社会を構成する個人の「目的達成」欲求があるからなんだろう.

人類が誕生したての頃,一生物として生まれてきた人間は,死にたくない,つらい生活はイヤだ,苦労したくないって種の願望から生活改善の欲求を持ちえて,それを実現する資源が世界に転がっていたために,欲求実現のため地域的共同体である社会を発展させてきたんだろう.コミュニティ論では個人の日常エゴイズムなんて言い方をする.

今のジジイ世代もどっちかってーとそういう思想の下に社会を発展させてきたはずだ.
戦後復興期に荒れ果てた社会を再構築するために,モノが足りない生活を充実させるために,”将来の目的”を持って取り組んできたはずだ.

そう考えると,将来の目的なんてのは社会から外的に与えられたモンであったと言える.
けして自分の中から内生的に生じたモンではない.

それなのに,モノに充実しナンの不便もない生活が送れる現代の社会に産み落とされた子供たちに,”将来の目標を持て”なんてのは,今までの社会の発展とこれからの状況の差異を何も考慮しないアホな大人達が押し付ける社会的なエゴイズムになりかねない.


だからまぁ何が言いたいかってーと,”将来やりたい事”なんかに縛られて職を選ぶ必要なんて無いよ,ってこと.

将来やりたい事ももちろん言えればいいけど,それよりも”今やりたいこと”を重視すべきじゃないかと.
不自由な生活への反発からくる日常エゴを持ち得ない俺らには,もっとワガママにやりたいからやるんだ的なモノの考え方をしてもいいと思う.

もちろん俺らは先人達に創ってもらった社会で生活させてもらってる.それは分かってる.
けどこれから社会を創る俺らに,今までの社会発展の在り方を大前提として押し付けられすぎて足枷をはめられても,それは逆に先人の望む発展を止める結果になりかねない.

複雑になりすぎたこの社会構造の中では自分の位置がつかめにくい.
だから自分を見失い将来像がぼやけることも多々あるけど,そんな中で頼りになるのは自分の中にある思いだ.
それに基づいて自分が今やりたいことをやっていけばいい.

そんで,幾人かの全体論者が社会や企業の取りまとめをすればいい.

個々に自発的に動く各構成要素とそれを取りまとめる大元締め.
そんな構造でこれからの発展を模索していくべきだと思う.

さてさて,俺は何をしようかな.

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

March 13, 2005

クソな店

今日久々にクソ気分悪い店に遭遇しました.

それは京都三条付近のような場所にあるラーメン屋サントおか.

店:「らっしゃいませ~」

俺:「二人」

店:「あーすいません今いっぱいなんで少々外のベンチで待っててもらえますか?」

俺:「は?」

店:「あーですから外に座るところがありますんでそちらで座って待っててもらえますか?」

俺:「はぁ!?外寒いんすけど!?」

店:「あーすいませんすぐストーブつけますんで」

俺:「あぁもーいいっすわ.(ガラガラ-外出る)」

・・・

なんや”外で待て”て!!??
このクソ寒い冬空に外でラーメン食べるの待てってか!?
てかなんで店内に待つ場所ないねん!?

このサービス過当競争時代によくこんなクソな営業形態でやってける店が存在するなぁ.
信じられん.

今や待合スペースの充実は営業店舗が提供すべきサービスの質を図る一つの指標だ.

とある回転寿司なんか待合スペースにかなりの広さを割いている.オシャレな雰囲気でゆったりできるのがその店のサービスの一つだからいっつも混んでるんだけど,店に入りきらないお客まで大事にしようとする心掛けが良く見えててすごく居心地がいい.

ファミレスとかレストランなんかはメニューを持ってきてくれて待ってる間に品を選んで注文しておくこともできる.
待ってる客にお茶を出すところもある.

ラブホの待合室なんか個室でテレビもあって飲み物も自由でいつまでも落ち着いて待ってられる.

そんな世の中において,この冬のクソ寒い日に,寒いからこそラーメン食べに行くのに,”外で待て”だぁ!?
客をバカにすんのもえーかげんにせぇよ.
こんなクソな店久々に見た.

あんまし腹が立つから店出てそのすぐ後に三条河原町上ルの赤鬼ラーメン行ったんだけど.
ここは店員がすごくイイ.
バイトなのに明るくて礼儀正しくて客に自然に気を遣える人達だった.
食事しててすごく落ち着く.


『食』ってすごく大事.
生活の豊かさを決める一つの大きな要素で,俺らは色んな形態の『食』を贅沢に楽しむことができる.

モノ社会は終焉を迎えつつあって経験マーケティングなんて言葉が世に出て久しいけど,
ヒトはモノを手に入れるよりも豊かな生活をするために消費を行うようになってきてる.

そんな中で『食』の楽しみ・道楽ってのはこれからも大きなビジネス市場でありえるんだろう.
一説によると飲食店ってのは年に8万件新規出店があって8万件潰れていくらしい.
それくらいヒトが夢を見て進出する業界であって,豊かさとか文化とか様々な意志を具現化しようと皆が頑張っている場所だ.

最も大事なのは,顧客に自分らの最高のパフォーマンスを提供しようとする意識だと思う.
自分たちが最高だと信じる『食』の一形態に自信を持って,それを楽しんでもらおうとする姿勢が何よりも重要なんだと思う.
世界に生きる人間の生活の豊かさの一端を担ってるって自覚をもって望むべき商売なんだと思う.


それがナニ?
このクソ寒い冬の一日に客を外で待たせる店?
潰れちまえ!

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

”音””楽”の支配する時空間

大好きな友達の一人が早くも結婚した.んでその結婚パーティに参加させてもらった.
2次会はバーの貸切で,人いっぱいいてドキュメント企画とか気持ちのいっぱい詰まったパーティでめっさ楽しかった.

そん中で鳥肌立ってひたすら気持ちが振るえたのがバンド演奏の時.

着物に身を包んだ花嫁の演奏とか演出的にも感動したけど.
一番前ですごい一生懸命な顔して聞いてた新郎もすごいかっこよかったけど.
メロディが優しい曲も良かったんだけど.

でもでも,『なんて心地よさそうに演奏してるんだろう』って.
体中から喜悦な雰囲気をかもし出しながら演奏する彼らが中心に位置するあの”場”にすごい感動した.

あの音楽の支配する空間は日頃の喧騒やしがらみなんて一切寄せ付けず,
”音”が内包し代弁するヒトの感情がいっぱいいっぱい満ちたその空間の中で,
演者達は自分の創り出す音と雰囲気だけを楽しんでた.

すごくイイ顔をしてた.
すごくイイ瞳をしてた.

そんな彼らが紡ぐ音はあの空間にいた全てのヒトに届いたと思う.

そんな彼らがものすごく羨ましかった.

あぁ軽音サークル入るってこーゆーことなんかなってちょっと思った.
改めて音楽の良さに気付けた気がした.

まぁ思い起こせば俺が自分でピアノ弾く時もそうなんだけどな.
一種の麻薬みたいなもんで.
自分が音を創ってる間はその世界に入り込むことができる.
音を創れることを快感だと思える.満足いく演奏ができたらたとえ誰も聞いてなくても気持ちは満ち足りる.

ただそれを外から見たのは久し振りだった.
んでしばらくそれを忘れてたことに気がついた.

もっと鍵盤を触ろう.
んで気持ちを込めて弾いてあげたいときにちゃんとパフォーマンス出せるようにしとこう.

次はダレの式だろう・・・

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

February 24, 2005

退室と敷金

間延びした声のねーちゃん(以下店):「はいこちら京都住△△ンター管理部です」
俺:「あ,すいません,退室点検の予約をお願いしたいんですけど」

店:「いつをご希望ですかぁ?」
俺:「えと,遅い方がいいんですけど,3月です」

店:「それは25日ということでしょうかぁ」
俺:「あぁそうです」

店:「すいません~,2月1日から予約を受け付けてましてぇ,もう23日~25日は予約でいっぱいになってしまったんですよぉ」
俺:「え,そうなんですか...ということは22日には出なければならないということですか?」

店:「はぃぃ,」
俺:「んーと,どうしようかな...」

店:「どうしてもご都合がつかないようでしたらこちらで委任点検させて頂く方法もございますがぁ?」
俺:「というのは?」

店:「退室される方へのお願いというのをご覧になって頂けましたでしょうかぁ?こちらに委任状が添えられておりましてぇ,事前にそれを記入していただいて,こちらで責任をもって点検を行うというものですぅ」
俺:「それは,後日点検を行ってもらうということで25日まで部屋にいられるということですね?」

店:「はいぃそーなっております」
俺:「んーどうしようかな...」

俺:「あの,この委任状なんですが?」
店:「はいぃ?」

俺:「点検と清算の詳細については後日拝見させて頂けるんですよね?」
店:「はい,そのようになっておりますがぁ」

俺:「ここには『点検・敷金の清算に関して一切の異議申し立てをいたしません』ってありますけど,例えば写真を撮っておいて,後で点検資料を見せて頂いた際に,過去の判例等からこの請求は不当ではないかという話はさせて頂けるんでしょうかね?」
店:「えーとぉそれは入室された時点での写真ということですかぁ?」

俺:「いやですから,引越しの時に自分で部屋の写真を撮っておいて,点検と敷金の清算に関して思っていたところと,見せて頂いた点検票が違うということを申し立てることはできるんでしょうか?」
店:「はいえぇと,それでしたら,点検票をご覧になってから,ここは入室時からこうなっていたところだという話はして頂けますがぁ」

俺:「この『一切の意義申し立てをいたしません』という文章が気になるんですけどね..えぇとどうしようかな」
店:「少々お待ちいただけますかぁ?退室点検の最終日時と最終時間を確認いたしますので」
俺:「はい」

・・・

店:「今確認しましたところぉ,24日の午前中でしたら空いておりますが?」
俺:「あ,じゃあそれでお願いします」

店:「何時ごろがご希望ですか?10時か11時頃でお願いしたいと思いますがぁ」
俺:「それじゃ11時でお願いします」

店:「24日ということで大変込み合っておりますので,前後1時間ほど余裕を見て頂けますでしょうかぁ?」
俺:「はい,かまいません,よろしくおねがいします,それじゃ(ガチャ)」


って,おい.
なんだ23~25日が予約でいっぱいって.
24日午前中の10時と11時が空いてるってナンだ?

マッタクこれだから...
誠意の欠片もありゃしねぇ.

そーかそーか,敷金返還で揉めるのがそんなイヤか.
そりゃこの時期住宅会社は色々大変なんだろぉなぁ.

けどな,学生だからって舐めてかかるよーな店は俺はキライだ.
絶対ゴネてゴネてゴネまくってやる.

ってか常識で考えるより敷金の返済ってのはしっかりもらえるらしいし.
住んでて自然に汚れて当然な汚れや傷に関しては払わなくて構わないし.
その辺は色々裁判で判例が出てるから.

過去の事例調べまくってやる.
このご時世に客志向じゃない店が生き延びれると思うなよ・・・

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

February 22, 2005

ヒトのタイプ

ヒトを,行為と志向のドライバ(駆動)の観点から分類すると,大きく2つに分けられる気がする.

『内発型』と『外部依存型』.

『内発型』ってのは,要するに自分が動く理屈・論理を自分の内に確固として持ってる人のこと.
『外部依存型』ってのは,何かしら行動を起こすのは外的な理由が大きな要因を占めている人のこと.

内部と外部の区別なんてのはあくまで相対的であって明確な基準なんて無いけど.
でも,自分の価値観で物事を推し進める人と,周りを気にして意思決定する人とに分けられる気がする.

まぁ根本的な言い方をするなら,自身の価値観において,自身を重視することと,周りを重視する自身を重視するってことで,結局は自分のタメにやってることなんだけど,その基準を自身に関して相対的に内か外かのどちらに設定するかの違いになるわけなんだけど.

この違いは育ちからくんのかな.
生まれ持った資質に加えて,どんな地域文化の下に育つか,どんな教育を受けるか,どんな友人に囲まれるか,そもそも親がどんな教育を施すかとか.

俺は多分後者.
気まぐれだし自己中だし気分屋だけど.でも,周りを気にするより,自身の幸せは自身の内から発生しそれを第一に優先する奴らを見てると,俺の価値観とは違うんかなぁって思う.

大切なヒトと一緒にいることに関して”思いやり”が一番大切なモノの一つって話をするのも,”相手ありき”の自分の価値観があるからだと思う.
決して俺は俺だけで生きていけない.
その動機・志向を全て内部生産することなんてできない.

内部の論理は,外部の状況を組み入れながら構築してきた.
それは,6~7回にも及ぶ地域の枠を超えた引越しとか転校とかから来てるのかもしれない.

あらゆる状況の外部に適応しない限り生活はままならなかった.
異なる文化で育ったヒトを相手に対応してこなきゃならなかった.

まぁ同様の生活をしようが己を押し通す人はいるだろし.
俺の資質の性質の問題なんだろけど.

あぁ俺はそんな人間なんかなぁって改めて思う.

もちろんどれがイイとか悪いとかゆってるんじゃなくて.
価値観だって対象とする事象によって変わってくるだろうから一概な区別はできないわけで.

ただ一つ興味としては,組み合わせの問題.

仕事する時,恋愛する時,遊ぶ時,どんなタイプの組み合わせが最も楽しいんだろか・・・?

まぁどーでもいい話だけど.

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

February 20, 2005

掛けた想いの分の反発

一方的な都合でモノを言うヒトってのは,その都合で得るモノの代わりに失うモノが出ることを分かってるんだろか...
独りよがりじゃあ両方なんて手に入るわきゃないのにね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

超越的存在としてのヒトと生き方

・・・パーソンズの考えでは,新教神学者ティリッヒのいう「究極的関心」やウェーバーの「意味の問題」は,「どうにも説明し尽せない人間の究極的属性」であり,人間の行為に内在的なものである.・・・「人間の条件パラダイム」で前提されている観念は,人間を生存の必然(要)から象徴的に超越しうる存在であると同時に,生物有機体としての必然に究極的に条件づけられたものとみるアレントの「人間の条件」の考えに通ずるものがあるが,パーソンズが強い共感を寄せたのはマルローの同名の小説のモチーフであった.(中,機能主義の社会理論,1986)

人間はもはや生きるためだけに生きる存在ではない.

どう生きるか,何のために生きるか,何故それをするか.
人間の「行為」はもはや超越的存在としての「意味」を代替している.

ヒトは,自分の存在を賭けて戦ってるんだと思う.

そんな”生き方”は,ヒトが「社会」を作り出した瞬間に運命付けられていたんだろう.

いくらその根源欲求が超個人的な日常エゴイズムに基づいていたとしても,
目的達成のために他者と関係性を築き共同で欲求充足へ向けて動き出したその時に,
協業や分業といった作業形態を生み出し全体に対する”役割”概念を認めてしまったヒトは,
もはや個人で成り立たず全体に位置付けられての自身の存在でしか自身を判断できなくなってしまった.

だから,”生きる”ということは多分,自分の存在をかけて全体社会に挑んでいることなんだと思う.

だからこそヒトは,当社会に属する他者に褒められると嬉しいし,自身の言動を否定されるとココロが傷つく.

それだけでヒトは生きる活力を生み出すことができるし,逆にそれだけでヒトは命の価値を見出せなくなってしまうこともある.

だから,ヒトと接したりヒトと何かを成すということはそれだけ大事なコトなんだと思う.
「社会」で”生きて”いくためにヒトが生み出した文化や規律や規範.
これらの意味をもいちど見直して,当たり前に流れてる日常を当たり前に流さずに,ヒトに気を配って生きていきたいと思う.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

February 18, 2005

無いモノねだり

無いものねだり.

無いから,欲しくなる.それは人間の性で世の常だ.

多分,誰かを愛するってのもそうなんだと思う.

もちろん,性差から感じる愛おしさってのが根本にあるんだけど.それとは別に.
ヒトの性質というか性格というか,個性,資質,属性,性情といったところに,自分に無いものがあるからこそ,そのヒトに憧れることができるんだろう.

そう言うと友達とか親友とかの恋人じゃない対象の類に聞こえるかもしれないけど,
俺は生涯の伴侶ってのは最高の親友たるヒトであるべきだと思う.
昔知ってたおねーさんの受け売りだけど.最近その意味が分かってきた気がする.

自分に無いモノもってるヒト.
だからこそ憧れる.そのヒトの一番近くにいたいと思う.
自分に無いナニかが輝くそのヒトにとって,自分が一番であってほしい.

だから,素敵だと思えるヒトを”そのヒトそのままありのままを好きになる”ってのは無いんだろな.
それは自我が見えてないエゴイストのセリフ.

ヒトの性格はいつでも無いモノねだり.
自分に無いモノをそのヒトの中に見てるからこそ,そのヒトの特徴を自分に照らし合わせてイイって判断してるからこそ,素敵に見えるんだから.

だったら,やっぱし自分がどんな人間かがハッキリ分かってないとちゃんとした恋愛はできそうにない.

将来どんな大人になりたいか.
どんな世界に生きたいか.
どんな事象を幸せと感じるか.
子供は?家庭は?老後は?

せめて自分がどんな人間かもちっと自身で認識できるようになろう.
そしたらもっと自分に自信が持てる恋愛が出来るようになるだろうから.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

February 09, 2005

行為と文化

”意味”ある「行為」を可能とするのは「文化」である.

「文化」も「社会」も,「行為」の動力源としての「有機体」も,有機体を「行為」の組織化の焦点とする「パーソナリティ」も.
全て「行為システム」の一下位概念である.
(進藤,パーソンズの社会システム論)

そだね.
ナンかをする「行為」ってのは,文化があるから意味があるんだわな.

だから日本でやってることを外国でやると意味が違ったりすんだな.
文化が違うから.
影響を受けて育つ全ての環境が違うから.

ナンで俺らはそれをすんのか.

その答えは「文化」にありそうだ.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

February 08, 2005

世界を共有できるヒトといれる幸せ

その人の言動や活動,心意気や気持ちの様相といったモンが,
自分のココロの中に溶け込み,その人の芽の息吹を感じられ,自分の成長にその人の波と因をはっきり認識する事ができる.

そんなヒトと一緒にいれることが一番の幸せだと思う.

ヒトは独りじゃ生きていけない.
でも,自分以外のヒトを自分のココロに招き入れるにはすごく勇気が要る.

けど,認め,評価し,自分に必要だと感じれるような,そんなヒトを鏡にして,
自分の成長を見つめていけたら,そこはもう独りの世界じゃない.

世界は全て自分の認識.
けど,そんな世界を誰かと共有できたらどんなに素敵だろう.

単なる薄っぺらい共有じゃない.
世界を形作る根底となる価値観のレベルから日々の細かい行為といったよりミクロなレベルまで,違和感がありながらもそのちょっとした揺れが自分を決して一箇所に押し留めはせず陳腐化することを防いでくれる.
そんな,違いを認めながらも,存在の必要を認識して,根底から共に育める,「共有」.

何よりもそれが,生きる,感情の,気持ちの,”豊かさ”.

そのためにも,きちんと相手に伝える術をもっともっと磨いていきたい.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自然の一部

ものっそ久々に銭湯とか行った.
ってか,旅行とか以外で銭湯行くなんて初めて.ちょっと贅沢な気分.

いいね.お湯につかるって.日本文化万歳.
すんごいきもちいい.
あっつくって我慢できんくなる限界まで湯に漬かって.

そこは露天風呂もある銭湯で,外に出て風呂のヘリに座りながら足だけ浸かってた.

そしたら,気付いた.
湯からもうもうと上がる蒸気に混じって,俺からもすっごい勢いで蒸気が出てんの.

まぁそら中の湯でかなり熱くなるまで浸かってたから.

でも,すごかった.

人間が自然界の循環の一部に存在することを,なんか実感できた.

皮膚から発せられた水分が気体となって空気中に還元されてく.
その水分は次に上空で冷やされて雲を作って雨を降らすんだろか.
その水を俺らは飲んでまた体外へ排出して...

どんなに優れた機械を創り出しても.
どんなに無機物を扱う技術に優れていても.

人間は有機体である運命からは逃れられない.

死も腐敗もある有機物のかたまり.

そこに思想と感情を持ち込まれた神の創造物.
なのかどーかはしらんけど.

そう.俺らは有機体.
無機物に囲まれて生命を全うする唯一の生命体.

確かにそんな唯一の生命体だけど,本来はどんな生活をすることが”幸福”なんかな.
生物として.
それても,単純生物としての遺伝子はもはや受け継がれていないのだろうか.

今の社会のあり方を考えてしまう.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

February 02, 2005

ワガママ

個人的に大切な関係を創ろうとしている相手に対して,

自分が想うところ,自分が好きなモノ,自分の好きな考え方を伝えることは,決してワガママじゃない.
自分が嫌いなモノ,キライな考え方を伝えることも,決してワガママじゃない.

それは,その人と関係を深めていく上で避けて通れない要件だ.

ただ,要求はしちゃいけない.
相手に無理矢理求めると途端にそれはワガママに変わる.

もちろんその度合いやタイミングや場の状況に拠る.

けど,欲しいモノを相手に強制することなんて決してできやしない.
相手があげたいと思ってくれたときに初めて貰えるもんだ.

それは,「思いやり」を互いにやり取りする関係性.
過去ログ:「恋愛における”思いやり”について本気出して考えてみた」
http://kakikaki400.cocolog-nifty.com/kakilog/2004/12/post_4.html

自分がしてあげて,初めて相手に貰えるモンだ.

で,思いやりを具体的にどう働かせていいか分からないと元来必要ないナヤミを抱えることになるから,お互いに互いの志向を予め知っとく必要がある.

だから,伝える.

知っててほしいから.

そして知りたいから.
受け入れてもらえるのかを.
それはその相手に求めちゃいけないモノなのかどうかを知るために.

自分の好みをハッキリ伝えておくことは必要だ.
カンチガイで無い,方向を間違えない,「思いやり」を互いに働かせていくために.

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

February 01, 2005

現実逃避

mot.01どーも微熱が引かない今日この頃.
いかんなぁ.身体が嫌がってるんだろか.
いや違うな.嫌がってるのはココロか.

現実逃避すんのは簡単だ.
壮大な宇宙に想いを巡らせればいい.

人類がこの地球上に誕生してから,
ヒトは協力して生きることを学び,より高次の成果を組織を組むことで達成できることを覚え,
社会を構築し,情報通信交通手段を発達させることで,現在その範域は地球上に拡大している.
もはや地域でなく国でなく一つの星スケール単位で活動する時代である.
ただしとめどない開発の道を行くのか自然へ還元される方向へ進化するのかは不明だが.

いずれにせよ,このスケールで物事が進む現在,おそらく俺一人いなくなったって,次の日からは普通に世界が回っていくだろう.ナンの影響も無い.全体論としてみた社会活動に影響を与えるような位置に現在いないため,ナンの支障もない.自分がいない世界も明日から当たり前の様に進んでいく.太陽だってまた昇る.部屋が一個空くだけだ.

そう考えると自分の存在ってなんだろうって思えるから現実逃避にぴったりの思考ができあがる.

おっといかんいかん.
でも大切なこと忘れてた.

悲しませたくないヒトがいるじゃないか.
泣いた顔を見たくないヒトがいるじゃないか.

せいいっぱいの笑顔を見たいヒトがいるじゃないか.
俺が頑張ることで笑ってほしいヒトがいるじゃないか.

いやぁうっかりしてた.
やっぱしマクロ理論だけじゃあ人の生活は語れんわ.

ヒトは一人一人が生きてる.
その想いが積み重なって積み重なって全体がある.

社会全体を見て自分の役割をマクロ的に位置付ける視点も大事.
生きる意味はそこにこそ見出せる.
けど,一人の人間としてこの世界に立つことをもちっと眺めてみよかい.

たいそうなコト考える前に,熱の下がらんこの身体に相応しい晩飯でも考えよ.
納豆がいいらしいな.けどカラシは入れようかどうしようか...
風邪薬の賞味期限切れてたけど薬局この時間に空いてるかな.遠いと寒いしな...

現実逃避してるヒマなんてないわ.

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

January 29, 2005

リズム

07生きてく、ってか日々すごしてく中で一番大事なモンの一つが『リズム』だと思う。

それは音楽を聴く5分間のリズムもあれば、生態バイオリズムみたいな何十年単位のリズムまであって。
それぞれの周期の好適なリズムが個人にそれぞれ固有にあるんだと思う。

それは生来備わったもんじゃなくて、もちろん遺伝子レベルでは適合性ってあるのかもしらんけど、
それよりも育ってきた環境に育まれたモンじゃないだろか。

日常で過ごす時間の区切りとか、好きな音楽とか、呼吸の周期とか、スポーツとか、ご飯食べる間隔すら、体内にリズムを創っていくんだと思う。

で、そういったリズムがタイミングを生み、つくる。

意思決定とか、踏み出すタイミングとか、そういった重要な瞬間の微妙なズレと適合ってのは結局のところ直観による決断になることが多くて、その直観が頼ってるのが体内に脈々と流れるナニかのリズムなんだと思う。

自分のリズムが分かれば、自分の好きなタイミングが解る。
いつ自分は調子が出せるのか解る。
堕ちてる時どうやって回復させたらいいのか解る。
休み時が解る。

体内の廻りを、リズムとして捉えて、身体の動きと同期させて、心地良く日々を過ごしていこう。
メリハリの効いた歯切れイイ生活を送っていきたいもんだ。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

January 28, 2005

つくってつくられる社会と自分

社会は個人に先行していた.

今皆がココロに抱いてる夢とか希望とか嗜好とか.それらは自分の中で自分が創り上げたものだっておもってない?

俺らは社会の中に産み落とされた.
初めて自分の目を見開いた瞬間から見えるものは,聞こえるものは,感じるものは,全て先人達が作ってきたこの社会に属するもの.

その意味では,俺らは社会に生かされていた.
社会が提供してくれるものの中で足掻いてるに過ぎない.
だってそれ以上の環境にはいられないから.

既にあるモノを見て,既に書かれた本を読んで,つくられた医療システムの中で治療を受けて,造り上げられたインフラを利用して,整った体制の下で提供される食事を採って,俺らは生きてきた.

もちろんそれらを受容する俺ら自身はオリジナルかもしれない.
受け止め方で解釈の仕方で全てが変わりうるから.
個人にとっての世界なんてそれぞれ唯一なんだから.

けど,大事なのは,一人で生きてるフリしてたって,それらは全て与えられて形成されたものなんだって解ること.
この先どんなに個人的に生きていこうとしたって,社会に背を向けて行動してみせたって,それらの土台は俺らが回りに与えてもらった環境による産物でしかない.

社会を離れたら,生きていけないんだよ.
社会を視野から外したら,自分の存在すら見失うんだよ.

なんで今自分はこうしているのか.
なんで今自分はこれを考えてるのか.

素直にそれが創られてきた過程を社会に見出して,個性の時代だとか訳分からん主張に意固地にならず,もっと公を見てみたらいいと思う.

んでそれは今までの話.
これからは,俺らが社会に先行する番だ.

もちろん俺は先行してた社会に創られて今ここにある.

けど,人間は言葉を作り出して,文字を作り出した.
目に見えない「知」を形式化することで,俺らは「知」を蓄積することができる.

先行された社会の上に立って,それにさらに蓄積する形で,今度は俺が社会を創っていってやる.
吸収してきた周りの環境からの知恵と知識を自分の中で混ぜ合わせて,自分にしか生み出せないモノを社会に投入して,その方向性の一助を自分が担う形で社会に関わっていってやろう.

それが,自分が社会に属し,社会の一員であり,この世界に生きてると実感できる一番の方法じゃないかと思う.

人の“帰る場所”は,誰かの胸の中にしかない.
けど,俺が“出て行く場所”は,創り創られてきた社会にしかない.

もちろんそれには色んなスケールがある.

土木を専攻としてきた俺にはどうしても社会の大枠を創っていきたい想いがある.
具体的なインフラとそれを利用する仕組みを創り上げ,人が豊かな生活を送れるための仕事をしよう.
モノに飽きた人たちが満足できる生活を送れる社会の方向性を引き出す役割を担っていこう。

そうしたら,20年後30年後に,自分は何をして生きてきたのか,胸を張って言える気がするんだ.

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

January 25, 2005

帰る場所

『人の帰る場所は誰かの胸の中にしかないんだよ』

・・・

「冷静と情熱のあいだ」の映画版で、宝石店の女性店長が彼女に向かってゆった一言。

生きるコトの真理がこんな簡単に言い表せるなんて思ってなかった。

ヒトはヒトと関わることを無くしては生きていけない。

大切な存在を求めて。。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

したい仕事

chizu01内定先の配属部署選定面談のためのアンケートシートを書きながら思ったこと。

◇ 新しい社会の仕組みを創る仕事がしたい
◇ これからの社会の方向性を模索し自分もそれを創る一員であると感じられる仕事がしたい

これにつきる。

地域に入っていって現場で住民と協働して行う研究をしてると、たとえそれが工学に基づく研究だろうと、否が応でも社会学を視野にいれてしまう。

「どの様な仕事がしたいか?」
「キャリア形成をどう考えるか?」

こんな質問に対して思い浮かんでくるのはやはり、「どう生きるか」を基軸とした想い。

◇ 社会において働くということの根源的な原理欲求は、モノ的欲求を満たし終えた近代産業化社会において、これからヒトはどのような方向に向かって生きていくのか、社会を創っていくのか、その方向性を見てみたい、その社会の一員として全体を形作る一助を担いたい、というところにある。

◇ 企業もヒトも、その活動の基盤となる社会が無くては存在し得ない。日々の活動が、社会の潜在的構造における文化や規範、果ては自然といったより深層との関わりにおいてどのように展開されるべきかを追及したい。社会の発展と共に歩み、利益を上げる、そんな企業活動の在り方を実感できる部署にて仕事がしたい。

企業は利益を求めて一人歩きしてないだろうか。
売り上げを上げるっていうものすご直近の目的しか見えなくなってないだろうか。

そもそも何故企業は創られた?

◇ 人は個人的日常生活的な欲求や意識を根源的に持ち得る生物であり、それを叶えるために共同的意思の下に地域性を媒介とした社会を創りだし、近代化産業化の過程を経て現在の世界を発展させてきた。

その存在意義を見失った企業は、”社会”の利益とソグワナイ方向で活動してる企業は、遅かれ早かれ生存していけなくなる。

自分たちが生きる”社会”のために。
”豊かな”生活を実現するために。

地域に根付く必要なく、土地を媒介とすることなく、「コミュニティ」の形成が可能となってしまった現代。

人間として生きる”豊かさ”を、皆、忘れてしまってないだろうか。

◇ 人間同士の範域を共通した共同意識に基づくやり取り

これを求めて、社会で生きていきたい。

ヒコウセキを積んだ天空の城で彼女は叫んだ。
「ヒトは土を離れては生きていけないのよ!」

うーん。深い。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

January 18, 2005

社会とは。。。

【ピュシス】physis
〔哲〕〔自然の意〕単に物質的な自然でなく、生ける霊にみちた能動的・有機的なもの。ギリシャ哲学の最初の主題となった。
【ノモス】nomos
古代ギリシャで、法律・習慣・制度など人為的なものをいう語。ソフィストが、ピュシス(自然)に対するものとして取り上げ、これによって人間の認識や生活の相対性を指摘した。
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)

【自然科学】:ピュシスを研究する学。自然は人間に対してまったくの所与。人間はこれに関与しておらず、まったく客観的に自然を認識することが可能とされる。
【社会科学】:ノモスを研究する学。人間自身がつくったものであるため自然とおなじ意味で客観的に認識することは不可能とされる。

【広義の社会】:「自然」に対するものとしての「社会」
【狭義の社会】:複数の人々の間に持続的な相互行為の集積があることによって社会関係のシステムが形成されており、かつ彼らによって内と外とを区別する共属感情が共有されている状態。
(富永健一、『社会構造と社会変動』より)

だってさ。

やっぱ俺は理系だわ。
全体論的には「システム」って見方しかできん。。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分で自分を守るために

「行政の怠慢だ!」「行政は何してる!」

こういった文句を聞いたことがあるだろうか。
なんて馬鹿馬鹿しい。。。ため息がでるわ。

もちろんどんな状況で言うかによるんだけど。
もちろん俺だって行政に対する不満はいっぱいいっぱいいっぱいあるけど。

けど、どんな内容に対してだろうが、基本的にそれは住民自身の責任だ。
権利を保持しながら行政チェック機能を発動させなかった市民自身の怠慢だ。

それを分からず何かある度に今まで見たこともないような奴がイキナリ出てきて市民の代表ヅラして声高に行政を批判してるのを見ると、あぁ日本って国はこんなんか、と思ってしまう。

収益を稼ぐことを直接の目的とする民間企業と違い、行政の目的は住民の幸せだ。
安心して暮らせる安全で快適な生活環境を提供する事が行政の本分のはずだ。

だから、行政は住民が求めるモノを提供する。
予算の使い方も、基本的には住民の合意が取れるような、選挙で票を獲得できるような、住民が賛成するような構成になっている。

だから、ある日突然自然災害が発生して行政がそれに対する備えを全くしていなかったからといって、それを責める権利は住民側にはない。
だって、災害対策費に予算を使うよりも、日々の生活のためのインフラ整備や行政サービスにカネを使うよう賛成したのはお前ら住民自身だろが。

こういった住民のカンチガイ論争は「非日常的」であり「不確実性の高い」自然災害が発生する時に起こりやすい。

いつ起こるか、どれくらいの被害が発生するのか、どういった状況に見舞われることになるのか、それ以前に本当にそれは起こるのか、といった不確実な要素が他の種の懸案事項よりも多いため、行政もそこにお金を使うにはそれ相応の努力が必要になるのだ。

”住民”の生活を守る事が行政の本分だ。
しかし、本当に住民を守るための災害対策費に巨額の予算を割くことは”住民”側が賛成しない。
だから他のことにお金を遣う。
だからイザという事態に対応できないのに、それを”住民”側に非難される。

・・・

だからといって俺は行政側に同情したりしない。

行政のプロなら、物事をどう考えて良いか分からない住民に知らしめなければならないはずだ。

これは卵が先か鶏が先かの議論ではない。
本当に日々の生活に必要なのは何なのか、専門的な見地を分かりやすく住民側に説明し、共に地域の生活を創り上げるという姿勢をもって、住民に媚びるだけの態度は捨てて、地域を主導していかなければならない。

公務員と言う仕事を生活保障つきの安泰業務と考えている輩がいるとしたらもってのほかだ。
自分たちの仕事の是非を住民のセイにする公務員がいるとしたらとっとと辞めさせるべきだ。

地域を引っ張っていくプロであるという自覚をもって、無頓着な住民に話しかけ訴えかける姿勢を常に忘れないでいてほしいと思う。

そして、
住民はその声に反応しなきゃならない。
必死の訴えを右から左に聞き流して都合のいい時だけ反論するなんて権利と義務の混合もいいとこだ。

行政からだけでなく通信や情報システムを利用して情報を集め、本当に必要だと思うことは自分たちから行政に要求しなきゃならない。

自分たちの生活は自分たちで守っていかなきゃならないんだ。

その上で、自分の地域の行政のやり方が気に入らなきゃ、その地域を捨てればいい。もっと自分がいいと思える地域に移り住めばいい。

行政サービスだって比べられて競争して淘汰されるべきだと思う。
住みよいサービスをちゃんと提供している地域は潤って、そうでない地域は廃れていく。これが自然な流れだ。
そうじゃなきゃいつまでたったって公の肩書きにアグラを組んでる公務員は必死に仕事をしやしない。

民間企業は、自分たちの提供する商品を買ってもらおうと必死に努力して、それが実を結ばなければ倒産するしかない実力至上主義の資本市場で戦ってるんだ。

いっくら公平な住民サービスが必要となろうと、それが最低限でいい理由はどこにもなく、住む人を集めて地域を活性化させたけりゃ地域経営を必死に改善させるしかない。

さらに日本国内だけで考える必要もどこにもない。
バカバカしくなるほど整っていない教育制度の下で子供を育てたりしたくなければ、外国に移り住めばいい。
社会保障制度が馬鹿馬鹿しいほど遅れてるこの国で老後をすごしたくなければ、移住先を探せばいい。

俺らはそれができる。
まぁその国のヒトと結婚したり都合何年間住んだりする必要があって自由にとはいかんけど。

ただ、国だって自分たちの国民サービスにあぐらをかいてていい時代ではない。
この国際社会に、国は協力関係を保つと同時に競争関係にあるわけで。人は自分の属する”場所”をもって自由に選択できるべきだと思う。

ちょっとでも他の国で生活してみると、日本の制度やお国柄ってのは当たり前じゃないことに気付ける。
スーパーで買い物して、病院に行って医療保障を体験して、インフラ整備状況を見て。。。
あぁなんて日本って住みにくい国だったんだって思える。

いやもちろん素晴らしいところもいっぱいいっぱいある。
やっぱし生まれ育った国への愛着は大きいし、普段気付かず受容してる当たり前のサービスは無くなって初めてその重要性に気付く。

けど、日本と言う恵まれて自由を与えられてる国に生まれ生活してるからこそ言える甘えた意見かもしれないけど、どの国に生まれようがその国に縛られなきゃならない理由は無いと俺は思う。

顧客(住民)指向性のないあぐらをかいた殿様行政が生き残っていい時代じゃない。
努力が、必要なんだ。


折しも今日は阪神大震災10年目の日。
10年前の天皇陛下の追悼の言葉には、「こういった悲劇が二度と繰り返されることのないよう努力していき」というくだりがあったが、死者の85%が家具や家屋による圧死・窒息死であるとの教訓が活かされることなく、未だ脆弱家屋がそのまま放置されている。ちょっと揺れが来ただけで、即日役場に耐震診断申し込みが殺到するような状況だ。いったい今まで何をしていたんだか。。。

自分たちが安心して生活できる環境を手に入れたければ、誰かが守ってくれるってな幻想をとっととドブに捨てて、どのように自分で自分と大切な人を守っていくかを考え、その実現に公の力が必要となるならばどんな運動を通してでも行政に訴えかけ、それが実を結ばないようならば住む地域を変える覚悟を持たなきゃならない。

こういった節目にしか過去の悲劇を取り上げないメディアも情けないが、
最近はそんな流れの中で東海地震や関東直下型地震の可能性が指摘されている。

多くの地震学者がハッキリこう断言している。
「地震は来る!」

信じるか信じないかは、どの程度自分の生活をホンキで考えているかの度合いによるだろうが。
過去の悲劇を同様に繰り返すとしたらそれはバカすぎてとても救われない民族なんだろな。

地震で命を失う危険性があるならば、少なくともその地域には住まないのも選択肢の一つ。
仕事上生活上住まなければならないなら、地盤のしっかりした地域に家を構え、その上で耐震補強を施し家具固定を行うのが最低限の備えだ。
その上で、食料と水を備蓄し、避難所への避難経路を確認しておき、非常時の連絡の取り方を家族で話し合い。。。

やることは山ほどある。
いつ来るか分からない地震に限ったってこれだ。
明確化されてる問題への対処だってそれに劣らずやることは多いだろう。

けど、人生は諦めたらお仕舞いも同様だ。

自分で自分を守るために。
こういった機会に多くの人がそれを考え直すことを切に願う。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

January 13, 2005

ちょっと落ち着いて空間を眺めた時間

NYC005このクソ寒い中野外でコーヒーをすすりながらぼぉっとおっきい建物を見てた。

ヒトは何故建造物を造るんだろうか
普通に暮らすだけならこんなバカデカイもの必要ないのに。

芸術の境地?
いやいやそんな奇麗事じゃあないだろ。

それは多分、建物は急に無くなったりしないから。

一度造ればちゃんといつまでもそこに在るから。
いつかまたそこに行っても、ここに来ても、また同じ”空間”がそこにあると思えれば、安心できるから。

無形なヒトのココロと違って。

んで多分、その空間にヒトが一人もいないんじゃ結局寂しいまんまだから、ヒトが集まれる要素を備えた商業施設を建物の中に入れるんだろう。

そして多分、建物自身がヒトのココロの代わりをしてくれることもあると思う。

外在化された物理的物質的な空間占有物のその存在の仕方により、時にそれはヒトのココロの文様と非常に似通うことができて、眺めるだけで視覚から得られる感情認識が振るえだすことがある。

つまるところ、ヒトは何も考える必要も無く単純にそこに在るというだけで何かを感じることがしたくて、寂しいと思うココロをいつでも慰める事ができるように、建造物を造りだし始めたんだろう。

だってほら、建物はこんなにもナニかをココロに訴えてくる。

もちろんそれを視る側のココロが勝手に受け入れ解釈し思い判断してるだけなんだけど。。

  

| | コメント (1) | トラックバック (0)

January 05, 2005

ちょっとかじってみた社会学

NYC03自分の生きる”社会”って一体ナンなんだ?って思う。

何しろ、社会に対して比較的受動的な存在であった今までの立場から、
ものの数ヶ月で主体的な社会構成員へと属性を変化させることになるんだ。

そんな時、社会学ってのは、理系の俺には実に興味深く映る。

特に、デュルケームの『社会生命』という考え方。

「正常な社会は、歴史的に能動的に社会生命をもち、その本質によって不断に何か新しい創造を行っていく継続的な発達過程にある」
「社会というものが、それの構成諸要素が所与の社会環境諸条件のもとに種々の形態をとりながらも、その本質を保持しながら絶えず生成発展していく歴史的存在である」
(「パーソンズの社会理論」より)

それは、通時的であり時に可逆で時に不可逆な諸現象の認識の仕方。

そういった『集合的生命の力』の及ぶ範域の只中に飛び込み、その作用を全身に受け、文化・社会・人格・行動といった「人間の一般行為システム」の構造へ”変換”を及ぼし及ぼされ活動していく。

”社会”に生き、集合的人間活動の恩恵を受けるが故に受ける制約。

それを前向きに捉え、ある種自分が生きるその方法にとっての境界条件的な理解の下に、これから自分が生きるその”社会”を受け入れていきたい。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

January 01, 2005

カウントダウン→そして新年へ

fire留学してた去年を例外としたら、実家で過ごさない大晦日は初めてで。
でもかなり大満足な年越しを過ごす事ができた。
すっごく素敵なカウントダウン。みんなありがとお。

中でも鐘を突いたのは初めてで。
かなり重くて、据え置くには重すぎて、その一撃でたまった全てを清算し発散させ、新たな方向へ向かうココロの中身を整えるのに有効な経験だった。

たった一発だけ突いたその一撃には、
8割:去年の反省とケジメ、2割:来年とその先へ向かっていく想いを、込めた。

去年もらったいっぱいの想いと、新しい感情と、全ての出会いと成果を想い、込め、感謝と労いの感情と共に打ち込んで、いったんのケリをつけた。

そうして蓄積された想いがはじけて自分の周りを舞い、これから始まる新しい季節への前途を照らしてくれるかの如く周囲に発散していった。
鐘の振動が周囲の空気に伝える鈍く細かい音の余韻とともに。

その中で、ココロにぼんやりと描き出す近い将来の俺の像、求め願う像、に少しだけ色がついたように感じれた。

そして見た、焚き火?の炎。

二度と同じ姿でそこに存在することを許されず、次の瞬間には前の瞬間の残像を残しながらも気まぐれにその姿を弛ませる炎は、モノを焼き尽くし気体へと昇華させ世に存在するモノの存在の有無を司る、ある種究極のエントロピーを有する力そのものであるかの如くに、見えた。

その、暗闇の中でボンヤリと橙の色彩を放つ有り方が、俺にはどうしても、清算する力、照らす力、導く力の現象論的な可視世界への写像に見えて、あたかも人間が作り出した時間概念に基づく期間境界を意思を持ってまたぐ人間の意識を代表するかのように見えて、妙な寂しさを覚えた。

この過ぎ去った1月から12月を思い返してみる。
1年ってすっごく濃くてすっごく長い。環境変化の連続と、自分変化追随の連続だった。
その1年もコレで終わり。
もう開けたんだ。
既に新しい時が動き出している。。。

・・・

そんなコトを思い返しながらも、今俺の乗っている新幹線は雪の世界を通り抜け、次第に世も明けてきた。
長かった大晦日の一晩が終わる。
今名古屋を過ぎた辺りだ。左前方に、あの時の炎よりも神々しく濃ゆくオレンジ色に輝く太陽と、それを周りで引き立てる水色の空と白濁色の薄く引き延ばされた雲が上手く調和して、この新しい1年の始まりを象徴してくれている。

素晴らしい年明けだった。
最高の始まりだった。
そしてこの”年”、俺らは新しい領域へ踏み込み生きていくことになる。
もうたっぷり充電した。
後戻りなんてできない。
一生懸命この新しい1年を生き抜き、また1年後、友人達とこんな年越しを迎えたい。

もう世界は明るくなってきた。
今日は、晴れだ。

  

| | コメント (3) | トラックバック (1)

December 31, 2004

自分が立つこの地と存在する空間

NYC02NYC01
あんまりにも寂しい24日だったからってワケじゃあないけど。
去年のクリスマスを思い出していた。

カナダに交換留学中で、学校の冬休みの12月に3週間ずっとNYCにいた。
別にずっといる必要もなかったんだけど、最初と真ん中と最後に会う約束があったから、いったん帰ってまた来るものダルイしユースを転々としながら結局ずっとNYCで過ごした。

観光で時間を遣いきりたくはなかった。せっかくの冬休みだったけど。

友達らは、ヨーロッパ回ってサッカー観戦ツアーしたり、ワシントンで建築物眺めてきたりしてたけど。んでクリスマスにNYCで俺ら皆で集合してロックフェラー行って呑んで玉突いてブロードウェイでダブルヘッダーして買い物して。休暇を謳歌したわけだけど。

いや、もちろん俺だってNYCに居る間一通り観光ぐらいした。
けど、あそこって一人で観光するよーな街じゃないね。友達と遊ぶ街だ。買い物してクラブ行って酒呑んで。

あの頃の俺は、観光に時間を遣うよりも、考え事がしたかった。
いつもと違う環境にこの身を据えてみて、身体を包むその異質な空気を素直に取り込んで、味わえるちょっと違った感覚に身を委ねて、想うがままに悩んでみたかった。

だから、ひたすら一人で街中をブラブラしたり、本屋で半日ぼけーっと好きな本を選んでは読んでみたり、スターバックスで電子辞書使いながらビジネス記事をずーっと読んでみたり。

味気ないビル郡をボーっと眺めながら、
”何も無い空間”でもそこに建物があると建物が”無い”空間になるなぁとか、これを創ったのはどんなヒトなんだろうとか、それとも街がヒトにこれを創らしめたのか、とか、考えて座り込んでみたり。

自分が立っているこの場所は地球上のどこに当たるんだろうって思ったり。
それってどうやって決まるんだろうって思ったり。

悩んでたのは、将来自分がしたいコト。

結局学部の頃の就職活動では自分の路を見つける事ができなかった。
だから内定断って修士に進んで、今までしたことなかったコトを経験したり、考えたり。

留学の経験を機にひたすら今まで自分のしたことを考え直してみた。

グラフ理論の授業での現実ケースのモデル化や組織論の授業での組織論的現実ケースの解釈のプロジェクトで自分が学部の時経験した自治体での研究を当てはめてみて。
自分がやったことのイミを別の視点から真剣に具体的に考え直してみて。プロジェクトケースを共有するために日本の風習を一からメンバーに説明したりして。思いも拠らない指摘をもらったりして。

せっかくカナダにいるってのに日本語でひたすらエントリーシート書いてみたり。
英語のエントリシートを添削してもらって全部真っ赤になった文章を一から書き直してみたり。

将来の夢を友達と喋ってみたり。おぉ世界的な企業の名前って共有できるやんとか思ったり。
ヒトを紹介してもらって将来をどうやって決めたらいいかってナヤミを聞いてもらったり。


もともと留学だってする気なんて無かったし初めは話も蹴ったんだけど。
色々インターンとかしてみたかったしもっかいちゃんと就活したかったし。
3月4月なんかに日本帰ってきたら受けられない企業もいっぱいあるし。

けど、将来決める大切な時期に半年もの時間を海外生活に使うって決めたからには、その選択をしたからこそ得られるナニか、他の選択からは得られないナニかを求めて、時間を過ごしてきた。
だからこそそんな生活をしてみたわけで。

・・・

そんなこんなで、現在の俺は遠い将来も近い将来もやりたいことがあって、進みたい路もあって、とりあえず入り口だけは決まってる。

年の終わりってことで今までを振り返ってみて感慨にふけってみても、ちょっとくらい一人でしんみりしてみたって、根拠の無い不安は払拭する事が出来る。自分を信じる事ができる。まだ見ぬ将来に希望を描くことができる。

そう思うと、アノ時悩んでみてよかったなぁって思う。

自分の思うとーりに時間を遣ってみてよかったなぁって思う。


最近就活生と会う機会がちょこちょこあったりして、どうやって働きたい企業を探すのか、なんて話をしたりするけど。
大丈夫か?不本意に周りに流されてないか?自分の意思の源泉はほんとに自分か?違っててもそれすら気付けていないことないか?

ちょっと路を逸れる事なんて怖がる必要ない。
ちょっと周りと違うことを選択し受け入れることに躊躇する必要なんて無い。

自分が自信をもって信じてやれるなら。それに責任を取っていいと自分で思えるなら。
そうすることで得られる自分にとっての一番の幸せを勝ち取りたいと思うのなら。

好きなよーにすればいい。
思うとおりに悩めばいい。

思うとおりに時間を遣えばいい。

結果は、そうしてはじめて、ついてくる。
当初の予想とは違った結果かもしれないけど。それはその過程があったからこその結果だから。受け入れるに値する価値があるはずだ。


俺にとって、今の身分での時間はあと3ヶ月。
やるべきことや課せられてることは山ほどあるけど。

さて、来年はどうやって時間をつかおうか。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

December 24, 2004

クリスマスイブ

なんで24日にこんなモン更新してるのかって事実は置いといて。
いやまぁ他にする事が無いからなんだけど。

夜9時頃コンビニに買い物行きました。晩ご飯無かったから。
んで弁当やらパンやらお菓子やら色々買い込んだんだけど、
レジで清算ん時この上なくつまんなそ~な店員が商品袋に詰めながら一言。

店員:「お箸はご入り用ですか?」
俺:「ハイ、お願いします」
店員:「おいくつですか??」

おおぃ。
弁当は一つだろが。なんだ「おいくつ?」って。
カップラーメンがもう一人用に見えたんかい?でもそれにしちゃあ寂しい商品ラインナップだろ。。。

「「え、オマエも一人なんか?」」

ってココロの声が聞こえました。

だから
「いや、一つでいいです」
ってちゃんと答えておきました。

さーて、ラピュタでも見て感動するか。

ところで、ハウルは死ぬほど良かった。3回ほどホロリ。
メッセージが多すぎて想うところが多すぎて把握するのに時間がかかりすぎて、
まだまだココロが落ち着かないけど、そのうちまた感想を書いてみようと思う。

  

| | コメント (5) | トラックバック (0)

December 21, 2004

前向きで自主的な恋愛

「アナタにとってアタシってナンなの?」

こんな台詞を言った事があるだろうか。
俺はふと、昔言われたコトを思い出した。

なんてクダラネー質問だと思う。

いや、言って欲しいことは分かるから。マル分かりだから。

大切な存在だとか、想いをかける存在だとか、自分にとって無くてはならない存在だとか、安らぎを感じる場所だとか、唯一甘えられる人だとか、一番大事にしたい人だとか、
まぁキリが無いくらい言って欲しいんだろうけど。

不安になったココロを癒して自分の恋愛を確認して安心したいんだろうけど。

それって恋愛に必要でしょ、って非難する人がいるだろうけど、
敢えてそれはダメな質問だと俺はここで言う。

いや、勿論、時と場合によってちゃんと言うよ。そういう大事なコトは。
相手を想う気持ちを言葉で伝えることを怠って成り立つほど、掛ける想いの深く重い人間関係は簡単じゃない。

けど、自分から相手にそれを求めちゃいけない、って思う。

だって、
それって自分が相手にどう接してるかで決まってくる問題だろ?

貴方が俺に対して守ってくれるように優しく接してくれてるなら、その質問に「俺が必要だと思う優しさと癒しをくれる存在」って答えるだろうし、
貴方が俺に良きライバルの如く対等に接してくれてるなら、「互いに高めあえる最高の親友でもあれる恋人」って答えるだろうし、
守って欲しくて甘えてきてそれによって癒しを感じるんなら、「守ってあげたくてずっと大事にしていきたい存在」って答えるだろう。

要は、貴方が、俺に何を感じ、何を求め、何を見て接しているかが大切だろ?

こと恋愛関係においては、一方的な依存関係は成り立たないと俺は思ってる。
だから大事なのは、自分が相手に何を求めているか、何をしてあげたいと思っているか、どんな関係を築いていきたいのかを、自分の価値観と相手の価値観を踏まえてきっちり理解していることだと思う。

おれは、「自分の感情を理解する」って表現を使う。

ココロの底から感じるもやっとしたナニかでも、それがどこから来るのか、自分はどうやってそういった気持ちを育んできたのか、育ちや経験にその源泉を求め、具体的に整理していければ、自分の”感情”であっても判れるものだと俺は思う。

そしてそれがきっちりココロに留めておけるなら、どんな場合でも相手のことをきちっと考えてあげられる。
離れていようが、ケンカしようが、コンパに参加しようが、ちゃんと相手の好きなところ、大事なところを分かっていれば、いつでも一番そのヒトを大事にしてあげられる。
そうすれば、相手を束縛する必要なんてどこにもないし、信用によって互いの行動範囲も広がり、より多くのものを共有していける仲になっていけるだろう。

それが、たとえ長年付き合おうが、関係を絶えず進化していけて、いつまでも相手のことを大事に思っていられる関係を作るために大事なことだと思う。

不安だからって相手から無理に引き出すもんじゃない。
自分が一生懸命接して与えて、そのリアクションとして初めて受け取れるものだ。
お互いがそれを理解しているなら、とても心地いい関係でいられると思う。

  

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ちょっと素直なココロ

ココロの底から感じたナニかをココロの底から全て吐き出したらその後は、
ココロは大きくなるのかな?狭くなるのかな?

もっともっと感じていたくて、容量が大きくなるのか。
それとも、麻痺しちゃって縮小しちゃってくるのか。

だいち、ココロを客観的に見れていると思えるココロはそこに含まれていないんだからやっぱりココロは全て見えてないわけで。

でも全てを吐き出してみたと感じることはできるわけで。

大きくできるか小さくなっちゃうか知る由もないけど、でも直感で、ココロの底から吐き出す回数が多い方がナンか素敵な方向へ向かえる気がするから。

だから次なる未知の、どことなく不慣れでハガユクて気持ち悪くても、でもでも感じたことない感情をココロの底から身震いがするほど感じてそれを後で笑えるように、全て受け入れて吐き出して生きていきたいとおもう。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

December 16, 2004

恋愛における”思いやり”について本気出して考えてみた

恋愛すんのに一番大事なものって”思いやり”だと思う。

じゃあ”思いやり”ってナンだろ。

俺は、”相手のコトを考えてあげること”だと思ってる。

これって単純なようで結構実践するのが難しいコトだと思う。
だって、ヒトって割りと例外なく自分が一番可愛いから。

でも、ヒトは独りでいるより二人でいる方が幸せになれる。
それは互いに”思いやり”を持ち合う関係でいられるから。

それってどゆことだろ、って事について前から思ってる事を少し書いてみる。


”思いやり”には、自己犠牲だとか、献身、貢献、尽力、といった要素が少なからず含まれる。
要するに、自分よりも相手を優先させる、といった考え方だ。
優しくする、なんてのはその代表格かな。

けど、コト恋愛に関してはそういった要素だけじゃ”思いやり”は成り立たない。

それは、恋愛は決して一方的な関係じゃないから。
自分が満足すればいい、とか、相手に満足して欲しい、だけなんて、いくらそれが相手ありきの感情だからって、それじゃあまりに他人行儀の様な気がする。
一人相撲ってゆうか、深いところで相手を必要としていない、みたいな。

じゃあ恋愛における幸せってナンだ?ってなると、
俺は、『自分のココロを預けられる相手と一緒にいれること』だと思う。

自分のココロの一部を、自分の分身を、自分の支配の及ばない相手のココロに預けて、預かってもらって、置いといてもらう。
それが、相手のココロを直接感じられる、相手に一番近付ける方法。
そして、自分が独りでないと、実感する方法。
預けた無防備でむき出しの自分のココロを、相手のココロで時に優しく愛でてもらって、包んでもらって、安心を与えてもらう。
日常生活における他の場所で自分がいくら傷つけられても、磨り減るまで働いたとしても、ココロを預かってくれるヒトがいればいつでもそこに帰ることができる。だからこそ、仕事や勉強で自信を持って限界近くまで頑張る事ができる。そこに帰ればいつでも癒してもらえることを確信してるから。自分には帰るところがあると、思えるから。

それこそが、恋愛の醍醐味じゃあないだろか。
独りでは決して感じることの出来ない、相手のココロに触れることで流れ込んでくる、愛情って類の感情。
それを感じれた時、あぁ幸せだなぁ、って言えると思う。

だから俺は「どんなヒトがタイプ?」って聞かれたときに、「うーん、包容力のあるヒト」って答える。
別に守ってくれるとか引っ張ってくれる相手ってイミじゃなくて、自分のココロを預かってくれるヒト、って意味。
まあ要するに甘ったれぇなんですわ。

けど、これってすっごいリスキーな方法。
だって、預けたココロはむき出しに晒された状態で俺の手に届かない所にあるわけだから、相手の意向一つでいくらにでも扱われる可能性がある。
痛めつけることも傷つけることも可能だ。俺の意思とは関係なく。

実際ぐちゃぐちゃにされたコトもある。
信じて預けてたものの、大事にしてもらってたと思ってたものの、実際そうだったけど、そうじゃない部分があって、それを知った瞬間に、握りつぶされたように跡形も無く砕け散った。
いや結構しんどかったけど。

その意味で、相手は心底信用できるヒトじゃないと無理だ。
ある程度自分の価値観で相手の価値観が判断できて、そのヒトと創る関係において互いに求めるモノを分かり合えて、その上で落ち着いて安心してココロを預けれる相手。
信用、ってのも、求める包容力の1要素だなぁ。

で、自分がそうしてもらうからには、自分も相手のココロを預かって大切にしてあげなきゃいけない。

ただ預かるだけじゃない。
自分の振る舞い一つで相手が深く深く傷ついてしまう可能性があることを自覚した上で、相手のココロを引き受ける覚悟を決めなきゃいけない。

時には自我を押さえつけてでも、相手のココロを守り、包み、安心させてあげることを優先しなきゃいけないトキもあるだろう。
相手の求めるモノや価値観にまで想いを巡らせて、自分が取るべき言動を選んでいく必要がある。

それは、自分に課せられた当然の責務。
対価は、自分のココロを預かってもらうことで貰うことができる、ココロの安心。

けどそれは当然、我慢のし過ぎで自分が傷つくモノであってはいけない。
そこまでのモノを求める相手とはバランスが取れない。ってかそんな相手は初めから選ばない。
自分も幸せを感じ、相手にも感じて欲しい、って素直に思える相手がイイ。

自分のタメに、そして同時に相手のタメに、決して片方に拠らないように、「対等の関係」で、互いが幸せになるために、互いに気を遣える間柄。
それを実践し保つために注ぐべき自主的なココロの働きかけ。考えてあげること。

それこそが、”思いやり”だと、俺は思う。

基本は、相手のタメに、そして同時に、自分のタメに。
独りでは到達し得ない幸せを手に入れるために、”思いやり”を持ち合う関係。
それを求めて恋愛するんだと思う。


そしてそれが成り立つ条件が、「対等な関係」だ。

どっちかがどっちかに依拠するようじゃあ、一方的に与えるだけの関係になってしまう。
与えるだけで貰えなかったり、貰えるけど与える事が出来なかったら、なんか虚しくない?
互いにココロを共有して影響を与え合うからこそ、独りじゃないナニかを感じられるわけで。

そもそも、自分のココロを預かってもらうには、相手に預かってもらうだけの土台と度量が必要となる。
預かってもらえる器の強さがなけりゃ、安心してココロを差し出すことなんて出来ない。
優しいだけのヒトには無理だ。

だいち、多分そんなヒトってのは、自分も相手を幸せにする、って価値観が備わってないヒトだろから、一緒にいても安心をもらうことなんて出来ないんだろな、って思う。

もしも、この世で至高のイイ女性(どんな定義か知る由も無いけど)に出会って、このヒトを守っていくだけで俺は幸せだ!って思えるなら、上述の”思いやり”議論は全訂正せにゃならんけど、未だそんな神がかったヒトに出会えたコトはないからまぁ考えないことにしよう。


長々と恥ずかしげもなく書いたけど、まぁよく考えりゃこれはすごく私的な見解で。一般性なんて皆無で自分の恋愛観を述べたに過ぎないけど。

でも、”思いやり”って一言が含む意味ってすごく大きくて、人間関係においてすごく大事なコトだと思う。
対等で思いやり合える相手といられるって、幸せなんだろなぁ。

理想論だキレイ事だ!って切り捨てられるかもしらんけど。
でも、実際傷ついたコトもあるけど、そんな自分の恋愛観を変えていかなきゃいかんって一時思ったこともあるけど、やっぱし自分にとって一番大事なトコロは捨てられない。形を変えて成長させていけばいい。

理想論だって構わない。
理想すら求めるコトを忘れたような寂しい輩に何を言われようが構わない。
ただ、自分が大事にしたいところだけは、柔軟性を保ちつつも、守っていきたいと思う。

もちろんまだまだ具体的な理想の関係を描けるには至ってない。

もうすぐ学生→社会人って大きな立場の変化があって、見るモノ感じるモノが大きく変わっていく。
そんな中で、将来に対する理想も変化していくんだろう。
相手に求める要素も変わっていくと思う。

けど、基本は”思いやり”。
それだけは、いつまでも変わらない。

色んなヒトと出会い話して付き合っていく中で、そんな相手を見つけていきたいと思う。

  

| | コメント (6) | トラックバック (1)

December 08, 2004

昔ちょっと思ったこと

恋愛すんのに一番大事なものって、思いやり、だと思う。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

この世界で”生きる”こと

眼前の世界が”抽象的に””見える”ってどんなんだろう。
感じるってコトなんだろか。それとも、信号として受け取り脳内で処理してるんだろか。。。

シキは天才だ。どうやら世界の全てが数的に把握できるらしい。いやもはや”数的”など俗的な表現すら当てはまらない。
”理解”という思考が届かない点へ到達しているようだ。科学的に表現するならば、哲学や認知科学において説明し得ない(世の中に該当する「言葉」が無いだけかもしれないが)領域、つまり内的システムモデルといった概念すら当てはまらない領域と融合しているのだろうか。
四次元が見える、なんて聞いたことあるけど、そんな感覚なんだろうか。

まぁそんな人間まだ会った事無いからヨシとしよう。

ただ、数的ではないにしろ、現存する言葉を借りるならば、社会心理的な抽象で世界を構築することはあるようだ。

俺はハッキリ天才とは一番遠いところにいる。
直感が優れてる訳でもないし、理解が早いわけでもない。
だから一つずつ積み上げてきたつもりだ。
その場その場でホンキで取り組み、感じることを一つずつココロに積んでいって、ヒトの話を聞きながらゆっくり消化してきた。俺なりに。
その結果、見て経験してきた世界に感じるところがあって、こうやって言葉に直したりできるようになってきた。

だけど、一足飛びにそこへ飛び込めるヒトがいる。
どうやら根拠となる実経験はないようだ。
ただ、俺が蓄積した経験を”統整”(統整原理:「内部観測」参照)するところを、最初に”規範”として頭に構造化しているみたいだ。

これも一種の天才か?
うーんでも天才って言葉使うことには何のイミもないし。

ただ思うのは、見て感じるところが違うんだろな、ってこと。
右脳使う人は芸術家肌とか言うけど。脳内器官の発達状況によって、ヒトそれぞれ感じ方が異なるんだろう。
同じ景色見たって描く絵は皆違う。勿論描写能力の制約もあるけれど、自分の想いのフィルターを通して世界を取り込んでるからだろう。

何が言いたいかってーと、”生きる”楽しみ方ってなんだろな、ってところ。

最近、自分が積んできた経験を、統合的に表現してくれる考え方に触れるのが楽しかった。
思うところが色々あって、自分なりに筋を通して理解してみたら、既にそれをもっと引き上げる表現で統合化している学問や考え方が世の中には既に存在していた。
うーんすごく魅力的。
さらに見ていたら、数あるそういった考え方や学問は、表現こそ違えと、皆同じことを言っているようにも見える。
それをもっともっと突き詰めると哲学とか近代宗教とかになるのかな。

でも、多分俺は抽象理論をこねくり回すだけの世界じゃあ生きていけない。
本に囲まれてだけなんて生きていけない。

だって俺ここにいるもん。

いずれゆっくり書いてみたいが、生活の本当の豊かさって、『生身の人間同士のやり取り』だと思う。
以前、社会は精神的充足の方向に動いていく、ってコトを書いたけど、今の経済活動はナニか大切なモノを忘れて突っ走ってるようにしか見えない時がある。

いーじゃんもっとゆっくり構えてみようや。
もっと人間臭く、素直に思うところをぶつけあって、汚いところも見せながら、それでも笑いながらやっていこうや。
人間関係が疲れるとか、浅く広い交友関係がラクだとか言わないで、一緒に傷つくくらい深く付き合っていこうや。

至高の抽象理論だけじゃあ人間は動かない。
恩も感じるし、人情もある。共に過ごした時間分だけ仲が深まって、信頼ってモンができてくる。
理屈なんてそこにはない。最も非合理な生命体である人間だけに許された、感情の特権だ。

もちろん、何の理念も方向性も無い場当たり的な生き方を推奨してるわけじゃない。
深く濃く生活を過ごした分は、頭の中に刻み込んで、自分を形成するために使いたい。
意識と認識のステップを登りながら、理想的な高みを描き目指してみたい。

具体と抽象。帰納と演繹。
どっちかに偏っても楽しめない。
俺は、両方欲しいと思ってる。

人間として生き、人間として関わり、人間として生活する。
けれどその中から、あるべき経済活動の方向性を見出し、本来の人間性と乖離の少ない発展社会を形成する手助けをしていきたい。
目指すべきは、豊かな個人と、それが形成する現実の世界。

来年からの職場ではそれが実現できると思ってる。
少なくとも、それに近づく感覚を磨ける仕事に関われると思ってる。

だから、自分のパートナーを探すなら、その両方を解ってくれるヒトがいいな、と思う。
まあそれも一緒に創り上げていくモンなんだろけど。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

December 03, 2004

時間経過なんて非線形

While Experienceing reality directly, time seems to disapper.
When there is no time, there is no fuzziness. The feeling of time always implies incompleteness.
[Vladimir Dimitrov]

ここでのdirectlyてのは、既存の事象に思いを巡らし評価判断する間も無く、という意味でのdirectly。
筆者は、「現在の瞬間を経験すること」と「既に過ぎ去った事に意識を向けること」は同時には起こりえないと言っている。
だから危険な情報を直接感じても認識判断するのに意識を切り替える必要があるから即時反応が難しいんだと。
そこには時間概念なんて成立しない。その瞬間瞬間に生きてるんだから。経時的な軸なんて存在しないんだ。

そういった直接経験が在り得るのは、危険信号感知時だけではない、とも彼は言う。
すごく好きな人と深いやり取りをしてる時もそうだってさ。

まあそんなもんか。
冷静な恋愛なんて在り得ない。
その状況を冷静に判断してるようじゃあ、その瞬間の状況には目を向けてないってこと。
その瞬間を体全体で感じようとしたら評価判断なんて成り立たないんだろね。

何言いたかったか良く分からんけど、上記文読んでちょっと思った。
別に何があったワケでもないけれど。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

December 02, 2004

曖昧な世界・・・

Dive into the centre of your being, unto the depth of your consciousness, in which the whole infinite world is contained!
[Vedanta-sutra]

| | コメント (4) | トラックバック (0)

November 29, 2004

まちへの不満-自転車認めろ!

道交法第何条かしったこっちゃないが、とにかく『自転車』ってのは歩道でなく道路を走るよう義務付けられている。
時々ある「自転車通行可」の標識がある歩道だけ自転車が通行することを許される。
それを何人が正しく認識しているだろうか。
タクとバス。幅寄せしてくんなっての!ホントに!邪魔!!オマワリも注意しろよ!!!

それを文句ゆったら、今度は自転車通行禁止道路にすんだろな。四条通みたく。
観光都市を謳う京都市がさ。一番環境に優しい乗り物を禁止すんのよ。なんだそりゃ。笑かすな。

んで駐輪場も整備しない。
京都駅周辺なんか特に必要な交通結節点じゃねーか。
環境を考慮したまちづくりに失敗してるくせに、それを棚に上げて駐輪禁止とかワケ解らん権利を振りかざして撤去するし。
バカじゃねーの?

観光ピーク時なんて、銀閣寺付近から京都駅までバスで1時間以上かかんの。道路混んでるから。
でも自転車なら25分。どーよこれ?

交通需要政策の一環としてレンタサイクルをもっと配備して道路もそれに適応できるように条例を変えて。
本気の姿勢を見せてみろや。
そしたらCOP3発祥のまちとして世界もちょっとは見直してくれるよ。

まったくお役人ってのはお上側の都合都合でモノごとを決めたがる。
管理がラクな方へ動きたがる。

そんなんで市民がついてくるのかねぇ。

  

| | コメント (6) | トラックバック (0)

願わくば豊かな人生を・・・

積み重ねた想いから自分の軸を決め、目指す理想を体に留め置きながら進もうと決めた。
それが、変化していく世の中で自分が真っ直ぐ進んでいくための自分の責任だと思ってた。

でも、軸にコダワリ過ぎてカタクなってた自分にふと気付いた。

悪いクセなんだ。俺の。
すぐ一本調子にしか目の前が見えなくなって柔らかい考え方が出来なくなる。。。

「元気ないよ」
って最近何度か言われてようやく気付いた。

ああ、俺って捉われてた、って。
自分で創った軸に。その足を固定されてた。


最近、飲み会に行っても誰かと遊びに行っても、ナンか心底楽しめなかった。
ひっかかるのは、解決できない研究上の悩み。
(まぁあとは恋愛のナヤミ(?))

非日常の世界からそれへのヒントがもらえるならともかく、その場しのぎで気分転換したって研究の日常はまたすぐ巡って来る訳で。
何も根本的な解決にならない、って思ってたらその場を楽しむことなんか出来なかった。

前はそんなことなかったんだけどね。
最近卒業と論文の締め切りが具体的に見えるようになってきて無意識にプレッシャー感じて余裕が無くなってたんかなぁ。

「前はあった目の輝きがないよ」
って言われたのは多分そのせいなんだろな。
心ここに在らずで心配事が頭を占めてたら本当の笑顔なんて出ないわな。


でも、それじゃダメだって思った。

社会に存在する俺は決して一つじゃあないんだ。

ある軸に沿って究極的には個の確立を目指して進んでいくことが生きる目的だと思ってたけど。
そんな俺じゃない俺だっていっぱいいる。
いつから人生全てを一つに捧げるみたいなカンチガイしてたんかなぁ。

そんな生き方、『豊か』じゃない。

もちろん、色んな経験を一つの軸まわりに取り込んで一つの方向へ積み重ねて成長させることができれば進むのは速いかもしれないけど、
世の中そんな単純じゃないわな。

もっともっと色んな経験を楽しんだってイイと思う。
だって世の中広いんだし。
可能性を狭めてしまうリスクを今から背負う必要はこれっぽっちも無いわけで。

もちろん、何を目指していいか、これからの自分がどうあるべきかを考えるに当って、”軸”って考え方は有用だった。
考えすぎるほど今までの経験を色んな場で色んな角度から振り返って、色んな人から話を聞いて創ってきた”軸”。

一番効いたのは、
「5年後の自分をイメージすること。そしてそれに向かって真っ直ぐ進んでいくこと。迷いがあるから、強くなれない。」
ってNYCにいた時ニューヨークタイムズかなんかのちょっと偉いヒトから貰ったセリフ。
ごちゃごちゃ細かいこと抜きでダイナミックで、あぁアメリカンだなぁって感心して、突き進んでいくその力強さに憧れた。

だからこそ、自分の方向性を自分で納得して決めて進んでいこうって頑張ってこれた。
選択事象に優先順位を付けて満足できる形で生活を送ってこれた。

けど、この所ある程度出来上がった軸に振り回されてたみたいだ。


そろそろ、次の段階に進んでイイ頃だ。

軸に沿って進んできた。
その方向を念頭に置いてヒトと会うことも勉強することも楽しかった。
だからこそ、ある程度中心を創り込むことができた。

だからこそ、無意識にでもその方向性をいつも自分の中に持っていられる自分になれた今だからこそ、
もうちょっと自由なモノの見方を許してみよう。

軸から外れたモノを常用外と決め付けて枠の外に置かず、
自分は決して一つで無いことをちゃんと感じて、
もっと色んな自分を認めてやろう。

そしたら、感じられる幸せがもっと増える気がする。
もっともっと豊かになれる気がする。

社会人になって今を振り返って、
「死ぬほど忙しくて充実した毎日だったなぁ」って感慨にふけるよりは、
「忙しくて学ぶことも多かったけど、学生の時間もちゃんと使って豊かな日々を過ごしてこれたなぁ」って思いたい。

24時間を仕事や研究の事を考えるのに使えばもちろんそれなりの成果が出せるんだろけど、
でも毎日の生活の良さってそれだけじゃない。
結果的に仕事に結びつかなくても、豊かな時間を遣うことは後悔しない人生を送ることに多分必要なんだ。

もちろん、上手く行かない仕事や研究からの現実逃避ではない。
自分の役割に責任も持てないようじゃ偉そうなコト述べる資格なんてない。
努力してやることをキチンと果たして、それから初めて他の時間を求める権利を得られる。
そんな事あえて言う必要すらない。

ただ、狭くなってた自分をツマンナイ奴だって思っただけだ。

捉われすぎてた自分を可哀想とも愚かだとも思わない。
ただ、これからちょっとは素直に意識して生きていこう。
『人間の生活の豊かさ』ってヤツを。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

November 25, 2004

地域に生きる市民としての企業

戦略的フィランソロピー。
自社の利益にもなる社会貢献を戦略的に打ち立てていくその姿勢は、以前シスコの例を用いて書いたように地域に根付いた活動として現れる場合も多い。
それが、『企業市民』だ。

民間企業の本質は利益追求事業体だが、その活動は取引先や出資先だけで成り立っている訳ではない。
特に製造業ともなると、工場を構える地理的土地を基本として、そこに働く従業員や関連各工場など周囲の環境との強力や調和が、活動の根底として求められる。

とくに大規模災害時など、企業が地域に果たす役割は大きい。
避難スペースの確保や重機類工具の提供といった貢献が期待され、
反対に地域住民や環境のサポートがあって企業活動も再開できる。

そういった意味で、民間企業と言えどその地域に生きる住民の一人であり、『企業市民』という言葉がある。

少し特殊な例にはなるが、私が災害ボランティア体験イベントで実感したTOYOTAという企業が地域において展開している活動について触れてみたいと思う。


トヨタという企業は年間150億円もボランティア活動に投じている。
各種講演会の開催や人の派遣、啓蒙活動など様々な活動の中で、今回の災害ボランティア体験イベントがその一つとしてある。

これはトヨタ関連13社が合同で開催し、社員や地域の人に災害時にどう対応しなければならないかを啓発するイベントだ。
2日間に渡り著名人の講演、グループワーク&発表、炊き出し、ボランティアセンター設営、消化活動救助活動体験、災害弱者付き添いボランティアといったメニューをこなす。夜は寝袋を持ち込み体育館で寝る。食事は全てハイゼックスやカンパンといった非常食だ。総勢350名が参加した。

昨年の同活動より以下の点で遥かに規模が大きい。
・災害時ボランティアセンターの設営において、本部以外に支部を2つ立ち上げ、センター間でのやり取りも演習した。
・車椅子や障害者、高齢者といった災害弱者を呼び、仮想災害時コースを回ってもらい体験してもらうと同時に、健常者による付き添いも体験する。非常時にそういった人を救助する訓練にもなる。

広大な敷地にあるトヨタスポーツセンター全体を巡るコース設営や、実際にはしご車や消防車、起震車(揺れて地震を体験できる車、現在大人気で数ヶ月の予約待ち状態)を出動させるところを見ると、ケチな金の掛け方をしていないことが分かる。

トヨタはどうして莫大な金をかけてまでこういった活動をするのだろうか。

理由は2つ。
地域への貢献と、自社への利益、だ。

地域への貢献についてはその内容が想像できるだろう。
大地震を経験したことがない地域に住む人達に、災害時はどうやって行動したらいいのかを、知識と実際の活動の両方を提供することで伝えていく。
実際に備蓄や耐震補強をする人も増えるだろう。
地域全体にそういった知恵を伝えていくことでボランティア等の機運も高まり、地域の防災力が向上する。
結果的に大規模災害が起きても、死者や家屋倒壊数など被害が軽減する方向へ向かう訳だ。

そしてそういった活動は同時にトヨタ本体へも利益をもたらすこととなる。

まず、地域に住む人が同時に従業員でもある点だ。
地域に住む人が助かる=自社の従業員が助かる、という図式が成り立ち、災害時における対応を早め特別損失を大幅に減少させることができるだろう。

そして、今回のボランティアセンター設営を行っているのもトヨタ関連企業社員だ。開催側にとってこれも一つの訓練である。
つまり有事において、自分たちでボランティアを組織し派遣する機能を確立し、お上による公設民営型の同センターと連携を取りながら自分達で自分達の活動へ責任を持って補佐を行っていく能力を高めていると言える。

そしてそれが、企業活動の維持へ繋がる。
看板方式の採用によって在庫保持リスクを限界まで小さくしているトヨタにとって、最も損失を与えるのは関連各企業の活動が停止することだ。ある部品の供給が停止するだけで、在庫がない分すぐさまモノの流れが止まり全体の企業活動が停止する。災害時にトヨタが最も恐れるのは、関連各企業の活動がどこかで止まってしまうことだ。
車というのは何万もの部品によって組み立てられる超複雑な機械構造体だ。従って逆に言うと、トヨタは何百もの関連各企業の活動をサポートしてやらなければならないことになる。大規模災害時においてもその活動が停止しないよう事前準備を促進させる必要があるのだ。

そしてそういった企業の活動は大中小を問わず地域によって支えられている。
つまり、地域に貢献し、市民としての企業と地域住民や環境との連携を普段から強化し、有事には貢献し逆に協力してもらうことで、自助共助の相乗作用によって企業活動の復興を急ごうという狙いなわけだ。

これこそが、地域貢献を行う『企業市民』の在り方であると、俺は思う。

豊田市は少々例外的な町で、トヨタ関連企業が支配的な存在であるためこういった活動が一貫して定着しやすい。
他の場所で色々と活動を行おうと思っても、多くの参加者を全体効率性にそって集めるのは至難の業だろうし、そもそも関連の無い企業同士で共通の活動を実施することに無理がある場合もある。時に利害が相反するからだ。

しかし実情はどうあれ、企業活動が同活動地域の支援や協力によって支えられている事実は変わりない。
周囲の理解を得られなければ、そこで活動することすら許されないのだ。

企業とは、金を稼げばイイ存在、とは思っていないだろうか。
最近になってようやくCSRといった考え方が広まり、企業が社会において果たす責任に注目が集まるようになったが、それがニュースになるようではまだまだ定着は先の話だろう。

国という土地の上に存在し、地域に住む人がそこで活動する以上、利益追求体として単体で存在することはもはや不可能だ。
そもそも古来からの地域の経済活動は地域一体となって行われてきたハズだが、都市化や国際化が加速する流れの中でそういった公の意識が希薄になってきたのではないだろうか。

俺ら個人が責任を持ちながら社会に生活する権利を獲得しているのと同様、企業もそうなんだ。
独占利益を求めるだけでは結局豊かになれはしない。貧しい取引相手ばかりの中でどうやって利益を伸ばす?
目指すべきは、地域と協働することで得られる相乗効果的な利益だ。

日本全体での経済活動活発化を目指していくためにも、これから企業で働く俺ら自身がそういった意識を持って社会に入っていかなければならない。
30年後の経済を創っていくのは俺らだ。
寡占独占による経済損失を生じさせるよりは、みんなで高め豊かになっていく国を目指しその中で生活することを夢見ていきたいと思う。
地域住民の一人として。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

November 20, 2004

ミスコン中止・・・

京大初のミスコン中止になったみたいやね。残念。。。

結局、学内の反対勢力に押し切られて主催者側が諦めたような展開らしいが。
なんかね、とてつもなくバカらしい。。。
なにがって、躍起になって反対するバカどもが。

そら開催に関するスポンサーの付き方とか手続き上の不備があった点は仕方ないかもしれない。
けどさ、『既存のジェンダー(社会的性差)の押しつけ』って言い分ナニ??

断っておくが、俺が女性差別推進派である訳でもなんでもない。
ただ、一方的な視点から自分が総責任者でもないイベントの反対に中止に押し切るまでにでしゃばるのはどうなんだ、って言ってるんだ。

例えばそいつらは、祇園って世界をどう思ってるんだろうか。
古くから、その道に入り全てを傾ける女性達によって支えられ発展してきた京都独特のこの世界。
舞妓芸子だけじゃない。
ホステスだって、同じだ。
もちろん経験や考え方をお喋りの中から学びに楽しみに来る客もいるが、女性に対してお金を落とす客も多いのも事実だろう。
アッチ系の人達が仕切る店もあるが、祇園町ってのは基本的に彼女らだけで盛り立ててきた場所だ。

「社会的性差」がどーのと声高に唱える奴は、祇園町に乗り込み客とホスト側に「社会的性差を解消せよ!」とか怒鳴ってるんだろか。
アッチ系の人達がバックにつく店に飛び込んでわめき散らしてるんだろか。

社会経済企業活動だってそーだ。
そいつらは就職活動時に、一般職に女性が多い企業は決して受けないとでも言うんだろうか。

学際だってそーだ。
ミスコンを実施してる他大学の事務所に乗り込んで中止を唱えているんだろうか。

ナニが言いたいかってーと、
社会的事象は決して単一の価値観からは評価できないってこと。
そして、全人生と命を懸けてそれに取り組んでるならともかく、他のトコロのそれを横目で見ながら目ぇつぶってるくせに、自分が大きく出れる場所だけで調子に乗ってでしゃばってんじゃねー、ってこと。

今回の問題で言うなら、ミスコンを中止した場合のデメリットとして、
雑誌やWebで散々宣伝しておきながら結局実施しなかった大学ひいては学際への信用・評価の失墜、
集客や学際実施に関する運営上生じる支障、
周囲の人間、関係各者の大学への印象、見る目の変化(→これが後々大きな影響力を及ぼす。例えば、京都という街へ抱く観光都市としての印象すら定量化し経済効果として歳入勘定する試みすらあることを考えると、人が抱く印象や感覚は無視できない経済効果を及ぼし得る)、
そして既にエントリー者としてプロフィールを公開されている女性達の立場、等々。。。

それと、ミスコンを実施した場合の彼らの言う社会的性差問題の増長が社会的に及ぼす影響を、両方考慮して意見を述べるべきだろう。

何より腹立たしいのは、他人主催のイベントを自分の思想一つで中止に追い込む権利があると勘違いしてることだ。
仮に自分の信念から自分が我慢できないという至極私的な理由のみで反対するとしても、
主催者の負うデメリットを自分でも共有し背負う必要があるだろう。
だって他人に迷惑かけていい権利なんて誰も持ち得ないからだ。
自分もその痛みを背負います。だから自分の言い分も理解して下さい。ってなところだ。
でも、そんな度胸や度量も無いクセに、権利だけ主張するなんて、世間が若者に向ける目が冷たくなっていくのも致し方ならぬところだ。

誰にだって、譲れない考え方、信念といったモノがあるだろう。俺にだってある。
けれど、分をわきまえなきゃならない。
それが、社会に生活させてもらってる者として背負う義務だ。
社会は俺ら個人個人が創っていく。だけど、ある程度その流動と成長を整えるために自分らで自分らに課した規律を守らなければ、そいつは社会に生きる意味がない。
他人に与える影響を自分で吸収することが出来ない限り、そういった競争が認められている資本市場とかでない限り、身勝手な主張は許されない。そんな主張で他人を説得し成長する方向へ社会を動かしていくことなどできない。

ヒトが何を考えるか。
自分との違いは何か。

それに出来るだけ広く思いを巡らし、背負う義務として時には受容範囲を広く取り、共に社会活動を営み成長させていこう。
それが、独りでは生きられない人間が身に付けて来た生きる知恵だと思う。

  

| | コメント (18) | トラックバック (0)

November 19, 2004

自分の子供を考える

災害ボランティア体験イベントで経験した、
知的障害を持つ子供たちの災害擬似体験コースの付き添いボランティア。
これを通じて認識を深くした自分の子供への想いを述べようと試みたところ、
非常にデリケートな話題に触れる結果となったため、自粛。

ただ一つ言いたいのは、どんな世間の状況も決して他人事ではないということ。
自身は受け止め、愛し、自身の人生の方向を転換していくことができるだろうか。

また興味がある人は語りましょう。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

地域に生きる人たち

先週末、トヨタが主催した防災ボランティア体験イベントに研究の一環として参加した。2日に渡り総勢350人が参加した一大イベント。

ここで俺が感じた紹介すべきポイントは、

・社会福祉協議会
・知的障害児
・企業市民

の3点。

今回は『社会福祉協議会』について言いたい。


社会福祉協議会。(略称:社協)
社会福祉法にて規定される業務を遂行する社会福祉法人。
主な業務は介護福祉関連。
それぞれ県や市町村に属する準公的機関であり、事業資金は地方公共団体の予算から捻出される。

災害対応には災害弱者の問題も大きい。

身体的ハンディから一人で逃げられない高齢者。
周囲の助けを得にくい独居者。
言葉が分からずに取り残される外国人。
力の無い幼児。

だから、こういった防災イベントには社会福祉関連機関が参加することも多い。
そこで仲良くなった安城市の社会福祉協議会の方に色んな話を聞かせてもらった。
元は機械系メーカーで営業を担当していたが、数年前に社会福祉士へ転身された彼。
これから経済活動へ身を投じようという俺には非常に興味深い話だった。

有給を使って週末の地域の防災イベントに参加し、かつその結果を社協に持ち帰り地域における自分らの活動に反映させようという彼の姿勢には何か新しく感じるものがあった。

それは、『地域に生きる人たち』、という視点。

地域の福祉は間違いなく彼らがその一端を担っている。
社協により介護保険を扱っているところと扱っていないところがあるが、法に定められたサービスの展開に関わらず社協がなければ高齢者や身障者は普段の生活が活気のあるものではなくなってしまうだろう。介護保険以外に、食事会や講演会、健康教室や旅行、季節のイベントなど日々の生活に色を提供しているのは彼らなのだ。

しかし、彼らは公務員ではない。
つまり、生活を保障されてはいない。財務リストラの対象になり得るのだ。

通常、地域の幸せのために動く公共団体では、公平性を基本とするその仕事の性質故にジェネラリストが育成され突出した能力が求められない人材育成としてのリスクを背負う反面、その身分は国に補償される。
その権利だけを求めて、カンチガイした動機で公務員を志望する若者も少なくない。

それなのに、社協の彼らはそんな身分保障も無しに数万都市の福祉をたった20名程度で担っている。
その労働時間も半端ではないと聞く。もちろん社協によりけりだろうが、月に休みが3日もないサラリーマンと同様の業務をこなしているところもある。そのほとんどがサービス残業だ。

地域の幸せのために、そこに「住み」「生活する」人々が安心できる暮らしのために、自分が地域の活動の中でやるべきことを成すために、身分や金銭的利益とはかけ離れた思想から、その身を地域の生活への貢献へ捧げる人たちがいる。

この公共性を欠いた日本社会において、公的帰属意識から自身をそのローカルダイナミズムの中に浸透させていこうとする人がいったいどれだけいるだろう。

ただ救われるのは、少なからず確実にそういった人たちがいるということだ。
基本的に年功序列で上から抜ける分しか求人しない組織だが、昨年の競争率は募集1人に対して応募30人超だったそうだ。しかも、若い人たち。

変わり者が多い、と彼は言っていた。
メーカーで働いていたときは見なかったタイプが多いと。

どんなタイプが多いか私には想像しかできないが、彼らが集まって口を開けば社会の在り方についての議論になる。その根底に流れるのは、どうすれば地域に住む人が幸せな生活を送れるのか。その制度や現状をいかに変えていくべきかという話になる。自然と。

それを聞いていて、あぁ俺らの生活ってただ当たり前に流れてる訳じゃないんだ、って思った。
まだ福祉サービスの世話になることは少ない。けど、自分が引退した後の生活、しかも体調を崩した時の生活を想像すれば、それを支えてくれる人の存在の大事さがなんとなく分かる。

俺ら若い世代は将来への夢を見る。ビジネス界へ懸ける想い。
就職活動の花形と言われるコンサルティング業界や金融、商社、マスコミ・メディア、メーカー、そんな人たちが集まる勉強会等に顔を出せば、いかに戦略を展開するか、マーケティングを実施するか、ビジネス界における自分の役割をいかに果たし収益を上げるかといった議論に花が咲く。

もちろん、経済を担う主体は必要だ。国として存在する以上ある程度の国際的経済活動を営まなければその生活は保障されない。
しかし、それと同様に「地域の生活」を担う主体も重要であることを分かって欲しい。

若くして障害を持ち周囲の助け無しには日常生活を送れない人、子供に障害児を持ち日々の生活がその補佐に追われる親御さん、独り寂しく暮らす独居高齢者。彼らの姿は決してヒトゴトではない。
俺らの生活は、それを支える事を自らの任務として引き受けてくれる人たちによって成り立っているんだ。

時に、税金から給料貰ってるんだから当然、とかワケの分からないことを口走る人がいる。
そんな人に限って、普段は無関心なくせに、自分が税金を払ってることだけ妙に強調し、
体を悪くした時には平然と福祉サービスを要求する。

もちろん、そこに働く人たちは税金から給料を貰っている。
だがしかし、時間給だけで見れば決して割の合わない仕事をこなしながら、人間としての地域生活を常に根底で支えている人たちがいる、ことを本当に分かっていないのだとしたら甚だ心苦しい。

今の主なテーマの一つに、退職を目前に控えた団塊世代の扱い、があるそうだ。
仕事を終えて急に毎日が空っぽになった彼らの中には、地域の役に立ちたいとボランティアの門を叩きに来る人も多いそうだ。それでなくても、急に時間を持て余し引きこもりがちになる60代の人も多いとか。

ただ、今の日本にはそれの受け皿が出来上がっていない。
そもそも、狭い土地に集まって生活する知恵を身に付けて来たはずの日本人よりも、コミュニティの考え方についてはアメリカの方が進んでいる。
だから、ボランティア活動を統括する人たちが集まってアメリカへ行く話もあるそうだ。

「地域」の「生活」を支えてくれる人たち。
そういった人への感謝を忘れずに、俺らにできる役割を社会において果たしていこう。

最期に、その人からのメッセージを載せたいと思う。

『僕は市という小さい単位での地道な活動ですが、かっきぃさんは商社というグローバルな関わりが魅力なのかもしれませんね。大きな会社に勤めると僕らのような小さな活動は見えなかったり数値でしかなくなったりしますが、よくわからない不思議な団体が世の中にはうごめいていて、それなりの作用をしてバランスが取れているということをチラッとでも頭の片隅にでも入れておいてもらえたら嬉しいです。』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

November 12, 2004

ヒトが次に求めるモノ

「この仕事のやりがいは何と言ってもお客さんから『ありがとう』って言われること」

社会人の方に、その仕事をしていていつ嬉しいと感じるか聞くと、よくこんな答えが返ってくる。

いいなぁ。すごく。

思い返すと小さい頃からそうだった気がする。
褒められると嬉しいから頑張る。
叱られる、怒られるのがイヤだから期日までに仕上げる。

もちろん、そんなこと屁とも思わない感じないヒトもいるだろけど、
逆にそうであるヒトも世の中に多いと信じたい。

精神的充足。

もちろんそれは、物的豊かさを獲得した日本だからこそ。

中国人に日本人は勝てない、と言う人がいる。
日々の生活も満足に送れない人が多い彼らはハングリー精神が強いから、仕事や勉学に対する熱意が違う。従って伸びる実力が違う。このままだと日本は、安穏とした日本人は負けてしまう。と。

けど、違うと思う。

多分今は移行期。

もちろん昔の日本人はハングリーだったんだろう。
だからこそ、経済的豊かさを目指してエコノミックアニマルと言われながらも工業化を推し進め経済発展を成し遂げてきた。結果、経済大国なんて大国勘違いもいいとこの言葉まで出てくる始末。

次に求めるべきは、精神的豊かさ。

その兆候は随所に見られる。
サービス業が増えているのがまずその証拠。
そして、以前から取り上げているように、モノや金のためでなく、理念を共有できる人と協働することにやりがいを感じる若者が増えている事例を多く見る事が出来る。

ただ、そこに関する議論がまだまだ少ないように思える。
もっと、精神的充足とはナニか、これからの世代は何を目指して活動していくのか、といった議論や研究があってもいいと思う。
そういうどちらかというと生物学的抽象的で説得力のある指標や評価項目が無いから、普及していないから、社会や仕事に関する記事に対して違和感を感じ、将来の夢やヤリガイを見つけられずにいる若者が増えたりしてるんじゃなかろうか。

これから色んな種類のそれが出てくるだろうけど、
多分根幹はどれも一緒だと思う。

『ありがとう』と言われるのが嬉しいから。
方向性を共有できる人と一緒に働きたいから。

そんな、精神的なナニかを求めていけば、まだまだ日本は強くなれる。
新しい方向に向かってまだまだ豊かになれる。

モノに溢れていようが、足りないモノはいっぱいある。
だから俺は、社会で働いてみたいんだ。

  

| | コメント (4) | トラックバック (0)

November 10, 2004

夢の共有

人生に伴侶が必要だと思ったことはまだ無い。

でも、目指す方向を共有できる相手は欲しいと、切に、想う。

具体的に同じモノを目標とする必要はない。
だけど、ヒトと接し引き込み引き込まれながら生きていく中で、
自分に勇気((何かこう心の底を活性化させてくれるモノ))を与えてくれるのは、
方向性を共有できる相手だと思う。

例えるなら、平衡にどこまでも続く二本の軸(直線)。

その上で、
直線の終点が見えないその先を目指して、それぞれが進んでいく。
時には俺が早く進み、時には先行する相手を横目に見ながら自分も頑張る。

時には直線が途切れたりするのかもしれない。
時には障害物が視界をさえぎるのかもしれない。

そんな時勇気をくれるのは、同じ方向に進む、もう一人。
多分逆もまたしかり。

与え与えられ、時には基盤すら交換し、互いの知恵を深く高めていく。

今までの俺は広げるだけだった。軸はあっても直線ではなかった。
色んなヒトと接するだけ話すだけ、前に進めると思ってた。
だけど、それは軸をまっすぐに整える一過程にすぎない。

さんざ、迷った。悩んだ。横に広げた。

これからは、前に目指す方向で自分の強みをつけていきたい。
進み方はいろいろある。
だからそれを自分ではない他の誰かと模索していきたい。

願わくば、そーいったヒトが伴侶でありますように。。。
(残念ながら理想の伴侶の議論はまだできませんが。。。)
  
  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

November 07, 2004

タバコ配るおねーちゃん

飲んでた居酒屋にタバコ売りのおねーちゃんが来た。
薄ブルーのぴっちりスーツのみっじかいスカートの売り子軍団。

タバコなんざ未だかつて咥えたことすらない俺は、いつもなら
「あ、吸わないんで」
とかって相手にしないんだけど、この時ばっかしは話聞いてみた。
いや、艶かしい生足に目がいったとかじゃなくて。

喫煙者は年々減ってる。

JTの発表した喫煙者率は前年比0.9ポイント減で29.4%。初めて30%を割り込んだ。
喫煙人口も前年比59万人減。
ただ、20~40代女性の喫煙者とか高校生中学生喫煙者は増えてるみたいだけど。

健康志向、人口低下、増税。
色んなマイナス要因がある。

その中での最近(?)のパッケージ変更。
今までのシンプル素朴なデザインを一新させて、輝くカラーを前面に押し出してマークも変えた。

想像できる狙いは、若い世代の喫煙者取り込み。
オッサン臭さを排除して、同じ品物でも別物と判別させる外見で入り口から取り込んでいこうって意図が見て取れる。
女性の社会進出が進んで、女性喫煙者も増えてることだし。それに合う外見を。

そんなトコが聞きたかったんさ。
たとえ俺は吸わないにしても興味はある。
業界全体が下げ具合の企業が一体何を思ってどんなマーケティングを行って製品仕様の変更に踏み切ったのか。

だから話聞いた。

売り子:「このタバコ(マイセンのプライム)は味が~~で従来のものに比べて~~・・・」←聞き古した文句。素通り。
俺:「あ~、ところでナンでこのパッケージって変わったんですかねぇ?」
売り子:「え?」
俺:「あ、いや、どんな意図で会社はパッケージを変更したんですかねぇ?」
売り子:「あーそういったことはちょっと分からないんですが。」(笑顔)
俺:「じゃあ、どーいった客層が新しいパッケージのターゲットなんすかねぇ?」
売り子:「あーそれもちょっと分からないですねぇ」
俺:「んーじゃあ、このタバコ興味示すのどーいった人が多いとか、配っててありますかねぇ?」
売り子:「そーですねぇ、ご年配の方に多いかもしれませんねぇ。」
俺:「・・・あ、そすか。じゃあいいです。あ、それもらっときます。はいど~も~。。。。」


つまんねー。
ハイハイ仕事中にシツレイしましたよ。

そら集団で店回ってるから個人ノルマとか無いんだろうけど。
だから特別な営業トークとか必要ないんだろうけど。
そこまで自分の配る商品に無関心か。
陳腐な説明文句を繰り返して微笑んでるだけか。

オッサンは嬉しいんかな。若いおねーちゃんの露出多いカッコだけで。
なーんかさびしい。

  

| | コメント (10) | トラックバック (0)

November 05, 2004

目指す、ビジネスという世界

先輩方にお会いした。来年より同じ会社で働くことになる、先輩方。
そして、痛感した。自分の無力さを。

ここで言う無力さってのは、意識の力の差。
もちろん、現在仕事してる人と学生である自分の差なんて格段にあって当たり前。
だけど、それ以上の力の及ばなさを感じてしまった。

それは、想像力の欠如。
将来を現実に取り込もうとする動きの欠如。
そして、それを行う意識の欠如。

かつて、
インターンにも行った。建設と金融。
自治体職員との協働で研究もした。業務補佐で実地調査と分析もした。提案もした。
海外の大学で勉強した。グループワークを経てプレゼンもした。

だから、ナンだ。

こんなにも、自分の経験は浅かったのか、と今更ながらに疑わざるを得ない。
当事者になったことがないって、こんなにも大きな要素だったのか。
知った気になって、想像できてると思ってた。

まったく、通用しない。今のままじゃ。

ただ、視点は貰ってきた。そらタダで手ぶらで帰れるかい。

『ビジネス世界における、自身の役割と実現可能性。』

自分の理想で世界は動いてやなんかしない。
例えそれが今まで生きてきた世界の環境の下で作られたものだとしても。

世界はもっと広い。とてつもなく。
でもだから、好奇心と、怖いもの見たさと、ちょっとの希望をもって、外が見たいとも思う。

この視点をもって、もいちど振り返ってみよう。
この視点をもって、次に目指すモノを決めよう。

パーツはある程度眠ってる。ある程度育ててはきたつもりだ。
だから、それを繋ぐ新しいプラグを用意して、新しい電源を入れてみよう。
ダメならなんども繋ぎ直して、新しい世界観がそこに写るまで続けよう。

そして、走り出す。心に留めて。
そして、悔しかった過去の自分を一段変化させていきたい。

まだまだこれから。
あんなにもすごい先輩方が、来年から身の置き場となる企業に、いる。
階段を一段のぼる、その心構えと準備をする準備ができた気がした。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

November 04, 2004

日本を変えたい。その切り口。

今、地域の役割が改めて見直されている。
スピードが加速し過ぎ、中央集権化が過ぎた、東京都市圏一極集中の現在の日本における地域の役割が。

それは、人間の生活を見直すコト。

発展だけを追い求め雑多に集中化された今の東京圏を見て、
”人間の本来の在るべき生活”を想像できるヒトがどれだけいるだろうか。
集まりすぎたヒトの中で、互いの顔もハッキリ見えず、日々増す加速度に流され半ば機械化された経済活動を繰り返す。

そんな大都市圏とは異なり、
地方では一人一人の表情が見える自治が行われている。
小さい単位になればなるほど地域の特徴が明確になり、町役場では住民一人一人の名前と顔が把握でき、
そこに住む人達にとっての本当のサービスを展開しようと努力している。

顔の見える人間同士の対話によるサービス提供、やり取りこそが、人間の豊かな生活の本質じゃあなかろうか。

住民は本音で自治体に文句が言え、希望を述べ、喜び怒ることができる。
自分たちの生身の生活をかけて。

騒がしい都市活動だけに流され、公を意識する事無く自身の生活を営利活動の中に位置付けている人達は、
果たして国に生きる意識を自らに根付かせることができているのだろうか。
公共帰属意識の欠如こそが誤った個性の在り方を強調し行き場を失った青少年達の行動をおかしくさせてしまっているというのはよく聞く議論だ。

小さい単位で行われる地域の利点は、顔が見えることだけではない。
社会実験さえも可能にする。
つまり、大規模すぎて有効性が立証しづらい社会事業を、単位の大きさを変えた場で試してみることができるのだ。
ヒトが動きやすい単位。スピードがあり、企画、実施、検証、改善のプロセスを実際に見て取ることができる。

そもそも、一極集中による国の統治など、
F.テイラーから始まる組織進化の歴史から見ても、生物進化の環境適応の歴史を見ても、
垂直構造組織におけるトップダウンの全体効率化などもはや通用する時代じゃないんだ。

現在は、複雑になりすぎた社会経済構造に対応するための多極中心型組織でなければ全体として機能しない。
ようやくネットワークインフラの整備が本格的に進み、多中心システムの稼動条件が揃いつつある。
今こそ、地域の特徴を認め、それぞれが個性を持って多様性を保持しながら、かつ全体として整合性を取れるような地域中心ネットワーク型の国家経営体制へ移行すべきだ。

もはや受身で東京からの指示待ちで日本全体が機能する程この国は簡単じゃない。
型にハメ、ごり押しで効率化を掲げモノとカネによる経済発展を目指した時代は終わったんだ。

地方の、地域の活動から、人間の在るべき生活の姿を想像していかなければ、
生物生活環境にとっては加速が過ぎた現在の過剰圧力社会はいずれ破綻するだろう。
無理があるんだ、そもそも。

他の地域の出来事だって他人事じゃない。
新潟だって、阪神淡路大震災の教訓から災害前対応をしっかり進めていれば今回の被害規模が格段に違ったハズだ。

特徴のある地域地域がそれぞれ独自路線で成長を図り、かつネットワークで結合され互いに影響を及ぼしあい、そして学びあう。
複雑な社会状況にもそれぞれの得意要素でどこの地域であっても瞬時の対応を可能にし、全体として整合性をとりながら、身の丈に合った発展を、地に足の着いた発展を持続していく。
散らばる個性を認めかつ全体として一つになって学習しうる組織でなければ、自ら加速させた複雑さに飲み込まれてしまうんだ。

貴方ならこの考えになんて応える?
確かにそこに生きるヒトの、生活、生き方、文化、を、決して机上ではなく現場で感じるモノから述べてくれる人、
意見反論をお待ちしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

November 03, 2004

二人でいるってこと

口説くだとか、付き合う関係を維持するために我慢するだとか、
なんか根本的に無理無理な気がする。

そらもちろん、相手がいることによって初めて生まれる関係性の中から生じる幸せを目指して、学んでいかなきゃいけないこともある。
だけど、相手を繋ぎ止めることは直近の目的にすら不足で、無理をしたその先に幸せなんて在り得ない。

だって、素直に受け入れられる幸せが一番のそれだろうから。
自分の感覚に素直に馴染まない幸せなんていずれ気持ち悪くなるだろうから。

だから、自分にできることは想うコトを素直に表に出すだけ。
もちろん、独りよがりでなく相手を視野に入れ相互関係を意識した上で。

それで、相手が共感してくれて、二人でいることによって求め得る何かを感じれたなら、一緒にいればいい。
時には、無理の無い背伸びにも挑戦しながら。

相手の為じゃあない。
自分の為に、相手と人生を共有できたら嬉しいと思う。

理想に過ぎない、って言われるかもしれない。
けど、前述の様に、最初から諦めて追い求めない理想なんて意味がない。
夢の世界に生きるわけでもなく、存在論的にも自分はここにいるのだから。

付き合うって概念をめっためたに破壊されてから半年。
新しい恋愛観をなんとなく考えてきて最近ちょっとそういうコトを考えてみた。
まだまだ実践には程遠い・・・

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

理想を鍛え叶える方法

”理想”は、手が届かず夢に見て終わらすモンじゃない。
いずれしっかりこの手に掴むために心のどこかに常に構えておくモノだ。

主観的な暗黙知(感覚)を表出化し、他者との共同化を通じて客観的な形式知に変換し、
それを表の世界の要素と結合させてまた本人に戻す(内面化させる)プロセスだって提唱されてんだ。
(野中郁次郎「知識創造企業」参照)

自分のどこかに確かに存在する、感覚そのものである”理想”は、決して閉まっておくモンじゃない。
恥ずかしがらずに素直に晒して、鍛え上げるものですらあると思う。

人間は、矛盾し得る、二元論(デュアリズム)ではない二面性(バイラテラル)をその性質として抱える”知”を生み出し現実世界に活用しうる、非合理的な存在だ。
矛盾の中にこそ、知を創造できる可能性があると、花村邦昭は言う。

俺らは、自身の感情感覚でもって、矛盾を許容しうるんだ。
キレイ事の中になんか、救いの手は存在しない。
素直に、かつ多元的に、物事を見つめ受け入れることによって、
矛盾すら新たな価値観として吸収し”理想”の糧にできる。

それが一つのオリジナルなステップアップ。

矛盾だってヒトそれぞれ。
誰かに無理に理解してもらう必要なんてない。

ただ、自分のために、自分にとっての矛盾は目をそらしちゃいけない。
理想は、きっと矛盾の先にある。
複雑さに負けない、天衣無縫とも言える姿をその奥に隠しながら。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

October 30, 2004

ヒトがこの世に動く理由

英語でコメント返ってきて、「しまった!・・・」と思った。うーん慣れないコトするもんじゃないなぁ。
いやいや冗談☆サンキューきょうこ☆

『損失、例えば近しい人を失う”経験”や、何かとても大事で意味深い”経験”。それだけが、限りある生、つまり人生への意識をハッキリと開かせることができる。』

そんな感じかな?合ってる?
ごめん、これも文章を読む俺の解釈。気に入らんかったら訂正をば。

だけど、大いに同意できる。
生物としての譲れないラインである”生”。それが法律や良心によって当たり前のように大事に守られている世界に生まれてきて、生が脅かされるような実体験をしない限り目が覚めないのかもしれない。
生きてるってことは、決して当たり前じゃない。それが与えられてるうちは、生かされてるも同然だ。

しかし、それだけじゃ解決できない問題がある。
意図的にそれを発生させたい場合だ。

人を集めて何かを興す、実施する場合、つまり会社経営や団体運営等の場合、
意図的にでもヒトを動かさなければならない。

HBRにもかつてBクラス社員の活用法といった記事が掲載されていたが、
時には本人の意思を上から変更させ組織全体を改変し整合性を取らなければならない場合がある。
それは、企業体という組織が社会環境において生き残る為に必要な変革であり、変わりゆく環境に在るならば必須の条件だ。

その際に、全ての人材に生命の危機を感じさせるわけにもいくまい。

信じたい。
人間は、”生”以外のトコロで何か使命たるモノを感じることができる生物だと。

ヒトのモチベーションを上げさせる方法として、給料や地位等を材料として成果主義や能力主義の組織制度を取り入れている企業は多いと聞く。
だが、ヒトが最も重要なファクターとなりつつある知識経済下では、もはや物的欲求が支配的でない世の中では、それだけではあるまい。
「やりがい」や、「協働」といったキーワードがよく現れてくるように、ヒトを動かす何か新しい方法論が求められていると、私は考えている。
それを実現できた企業こそが、これからの新時代を生き抜く組織であると、信じている。

もはや、金とモノの時代じゃない。

ヒトを動かす何か。
それがこれからの俺の社会生活における最も重要なテーマの一つだ。

今、勉強会を企画している。
テーマは、組織とヒトのモチベーション。
ケーススタディにするつもりだが、もちろん企画倒れになる可能性も大。
でも、もし実施することができたら、『ヒトと組織』に興味がある人達と是非討議してみたい。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

勉強会

まあかく言う俺も、明日久々にロジカルシンキングの勉強会に行ってみる。
さて、どんな展開になるのやら。

「論理的思考が正しいことを論理的に説明して下さい」
って質問してみようかな。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

社会への期待と希望

アッツイこめんと頂き嬉しくなってもう一言。(thanxそば☆)

論理論理と、社会人を目指す学生の間で余りにも過剰注視されている気がする。

もちろん時間と空間に立脚する序列や因果を根拠とした理論構築には私も賛成だが、
所謂ロジカルシンキングで叫ばれるトコロの論理的思考とやらにはどうも無感情な単なるツール的色が鼻につく。

本の中で述べられている”論理的思考”そのものが世の中において”論理的に”真実であるコトまで述べている著書があるだろうか。
全ての本に目を通したワケではないが、多分無い。
それらは多分、哲学・心理学・認知科学にまで掘り下げなければならないからだ。

もちろん、取り出せたデータが”正しい”という前提の下であれば、数的分析ツールやチャートは有効に働くだろう。
けれど、世の中には「データを取り出す」という考え方すら無縁に動いている部分だってあるんだ。

私が現時点でビジネス世界に見ているのは、そういった”めっちゃあっついもの”(byそば)だ。


そう述べる私の意見は、地方公共団体での研究活動や海外の大学院に所属した留学経験からきている。

自分の理屈、論理なんて通じなかった。何一つ。
もちろんコミュニケーションのための情報処理や項目整理は常に行う。それはあくまでもう一段高次の処理だ。
問題はその上で現実をどう見るか、だ。

無力だった。とても。

結局ここでの問題を解決したのは、ヒトのつながり、ヒトの動きだった。
俺が貢献できたのは、その想いをヒトづてに繋げ、また自分の想いをぶつけていったことだけ。
そうしているうちに、目に見える範囲でヒトが動き出し、社会活動が動いた。
まるで生きているかの如く流動性を持ち、社会が動く。すごいスケールだった。

これが、社会活動だろう。
机の上じゃあない。

問題を処理し必要な情報をつなげていくことが論理性であるとするならば、
ヒトの気持ち、感情、精神を主体とするべきだ。

見せ掛けのロジックなんて役に立たない。
ヒトはそんなんでくくれるほど単純じゃない。そう願いたい。

もちろん先人たちは、現実での社会経験から得た教訓を誰でも使えるようにある程度の規範性を持たせ学問として体系立ててきたのだろうけど、最も大事な要素が欠けていて、まがりなりにも日本教育を受けてきた自分だからこそとてもそれが満足できるものではないと、今こそ感じる。


私が築いてきた論理性など、所詮今まで生きてきた世界で私の心が積み上げた根拠の無い”自分流考え方”に過ぎない。
それがある程度生きる世界を共有している範囲内では大きなズレとなって現れることが無いから、偉そうに述べる意見に対して反駁されないだけだ。

もっと言うなら、世の中で言われるところの論理的とは、大部分の人間が頭の中に持ち得る「意味論的システムモデル」にある程度合致し得るに過ぎない一構造に過ぎないと、私は思う。(参:ソフトシステム方法論におけるタイポロジー)

そういうことだ。

考えてみて欲しい。

失恋に髪を振り乱さんばかりに泣いている女性を自分の論理的トークで慰められるか?
コンクールに負け机に突っ伏し号泣している人を自分の論理的トークで立ち直させられるか?
ナニかを言われ怒り心頭のおっちゃんを論理的トークで静められるか?
アンケートをお願いしに自宅に伺った時にただ”帰れ!”と言われた相手に論理的トークで納得させることができるか?

そういう場面で貴方はどんな言葉・態度を用いる?

最も愚かな類の人でなければ、自分の経験から何かを分かりやすく言い立てるよりも、まず相手の話を聞こうとするのでないだろうか。
だって、その人がどんな思いをもってどんな考え方で現実に起こった出来事に対して今見られる行動を起こしているかが、分かんないんだから。

ビジネスだって、一緒じゃないん?

ヒトが想い、興し、動き、創っていくんだろ。

一流経営者に、論理的方向性だけ述べる覚めたオッサンおばちゃん見ないだろ。
アツイ想いを語り、それを企業倫理として組織全体で共有し、ヒトが突き進んでいくからこそ強いんだろ。
それは、ヒトの気持ちだからだと思う。

個人のアツイ想いに、とってつけたような理屈なんて要らない。
それが大勢に共感されるってのは、人間の本質である社会への好奇心を駆り立てる、俺らの心に確かにあるシステムモデルがその原理ともする向上の軸に沿って、疼く、ってことだろ。

だから今、俺は社会へ希望が持てる。
自分が考え付く論理を遥かに超えたトコロから、少なくとも論理に先行する”気持ち”で感じ取れるナニかを求めて。

だから、表向きの理屈なんていらない。
あつく、いこーや。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

October 29, 2004

ヒトが創るヒトの考え方とヒトの世界

クリティカルシンキングとかロジカルシンキングとか。
付けたモン勝ちの名前が色々聞こえてくるけど、どうにもしっくりこない。

論理的思考ってゆったって、”論理”はいっぱいある。
前提として絶対的な枠組みってのは時空間くらいで、それ以外はヒトが考え出した考え方だ。

以前も引用したように、
『人間の行動の領域における客観化とは、常識的には、価値判断が主観的意見として恣意的で考えなしに受け入れられることではなく、その意味がより高次の価値体系に照らして検証されたことによって受け入れられる、という程度の意味でしかありえない[ハンス・ウルリッヒ]』
というのは俺も同意するところだ。

さらに、系統立てられて作り込まれた数学の世界ならまだしも、
ビジネス等現実世界の問題を扱う場合に、世界で最も非合理的な生き物であるヒトが考え出した思考構造がどれほど有効だろうと言うのだろう。

大多数の思考構造にオーバーラップするが故にあたかもそれが正しいかの如く受け入れられているが、それをもう一つ上位の価値体系から眺めれば脆弱性を感じ得ない。

そんな折、出会った言葉が「integrated thinking」。
ビビっときた。

アプリオリとも言える「序列」の考え方を機軸とし、
問題を包括的に(comprehensively)範囲指定し、あらゆる角度からのアプローチと蓄積、検証を行う。
その際問題なのは”妥当性”(legitimacy)であり、どんな構造思考が適切化は適宜変わる。

考え方の一つでしかない”論理性”には決して捉われない、そんな考え方が必要ではないかと思う。
だって、非合理とその時は判断されるヒトの気持ちを合理的に判断し意思決定しなければならないのだから。

所詮は全て人間の「解釈」次第。

何かそれに従えば非難されない絶対的な基準を、安定を求めるヒトの思考は必要とするのかもしれない。
それに従えば、何かあった時、自分のせいにされないで済む。

けど、無いんだ。そんなもん。

それより、無理に或る枠組みに当てはめようとする方が怖い。
歪曲された理解の向こうに幸せは存在しない。

全ては自分の責任。
自分の解釈が、唯一の自分にとっての真実であるこの世界を、構築する。
だから、判断するのも考えるのも自分。
今見ている世界も全て自分が創り出したモノ。

もっと自分を信じればいい。
効率性に捉われ均質を是とするツマンナイ領域にいる必要なんてない。

その時その時、自分が正しいと”信じる”考え方で進めていけばいい。
ただし、社会の一員として生きる以上ある程度以上の逸脱は許されない。
あくまで自分が生きる世界の潮流を感じ見極め、その中で自分の立ち位置を求めていけばいい。

何が大事で何が正しいのか。
もっともっと自分を大事に見つめて育てていく必要があると思う。

  

| | コメント (1) | トラックバック (0)

October 27, 2004

考えたのに日の目を見なかった質問文

My interest is about individual behavior on their perception, feeling, and legitimacy.

When do people learn something new??
When do people change their perception and change their behavior sequentially??

Cannot they learn from just information which is not directly experienced and acquired??

For example, I work and research in Tokai area where some experts predict big earthquakes will inevitably occur in 20 or 30 years. After people there experienced earthquake the intensity was 3 at the beginning of last month, many people lashed to town office to get information how to improve their house strength. However, their behaviors haven’t changed after Niigata earthquake this time...

Prof. Edger Shine says the only factor which drives people to learn is anxiety toward life. But I cannot completely agree with this idea.
Something more joyful, ex. pleasure or wish, should be that one, I think.
On reconsidering the matter, of course those factors are the same ones as he says. But…

When do people learn something new??
When do people change their perception??

If I can find an answer to this question, it will become great help to make models of growing human networks.

| | コメント (3) | トラックバック (0)

続-分かりにくいコメント

もっと言うなら、「すご~い」しか言えないレポーターは自分の気持ちを見つめる訓練が出来てないんだとも、思う。

”すごい”と思うのは、過去に見たモノとか頭に想像してたモノと無意識に比較して優劣をつけてるが故のセリフだろうから、それを表現できれば”どうすごいのか”の説明になる。
例えば、「前に同国の別地域の景色を見た時は~だったのに、ここは~が~になってますね!!」ってな感じ。(長いって??)

要するに、自分の内部に自分が何故そう感じるのかの裏付けとなる事象を瞬時に客観的に探し出す訳だ。
絶対に理由がある。今までの経験その他もろもろの要素があって今の自分があるんだから。

それに関しても、そごうがコメントくれたように、すごいと思う内容はヒトそれぞれ。
あるヒトにとっての感動は、別のヒトには大した事無いって場合も多々ある。
だからこそ、自分がすごいと感じる理由を端的に説明する必要があるんだ。

そうじゃないと、自分の”気持ち”なんて理解されない。

さらに言うなら、
何を喋るにしても一言自分がそう思う理由をキチンと付け加えて喋れる日本人があまりにも少ない。
地域のワークショップなんか行くと酷いもんだ。主張するだけで根拠がついてこない。

これは、俺が常に心掛けてることの一つ。
たった一言でもいい。何故そう考えたのかを一言添える。

そうしないと、他人を説得できないから。それ以前に話が通じないから。翻って誤解を生むから。
抽象論を熱弁振るったところで、解釈過程・事象価値判断要素がバックグラウンドや経験によって異なる他人には、自身の思考回路を前提とした話は根底を異にするという意味で意味を成さないからだ。

解釈に拠る以外は絶対的な「過去の事実」を引き合いに出せば、
今述べてることがどんな具体的な事象に基づくかが想像してもらえて、
別の解釈も可能となりうる誤解を回避することができる。

そうして、本来思考が異なる他人同士が、話をする上での前提を予め築き、コミュニケーションが可能となる。

単一民族が狭い島国で生活する上では、互いに前提を確かめる必要がない。
そうやって文化を育んできたツケが、この社会国際化に際して回ってきてる。

教育の問題だろうと俺は思う。
自分の意見を”ハッキリ”述べる練習を、今こそ積むべきだ。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

気を遣えるヒトと遣えないヒト

この前初めて『カプセルホテル』に泊まった。
¥4,100はちょいと高いけど他満室やししゃーない。ラブホ泊まる相手も無く。。。

いや、結構快適。友達と来たい。
フェリー旅行で船内で夜を過ごすのに似てる。
サウナ入って、寝巻きでソファーに横んなって漫画読んで。
マッサージもあれば、アメニティも揃ってる。

カプセルも割と広い。
座っても頭余裕あるし、横幅もある。
各個室装備のテレビはエロビもやってたけどティッシュも無いのにどないせっちゅーねん。
まあともかく快適だった。

ただ、なぁ。
イビキがめっちゃ聞こえてくんねん。
カプセル入り口がスダレだから音ダダ漏れだし。
お父さん方お疲れのようで。こっちは寝られん。。。

さらに朝がいかん。
サラリーマンが5時6時台から起き出すんだけど、
そこら中からアラームが聞こえてくんの。

この辺が日本文化なんかなぁ。
カナダアメリカで5、6個ユースに泊まったけど、カプセルなんて皆無。
大体ドームで一部屋に二段ベッドが2つ3つある部屋。

そーゆー場合、他人にめっちゃ気を遣う。
夜12時過ぎて部屋戻る時は灯りつけらんないから、ペンライトで全部済ます。
朝も音ならすアラームなんてありえないから、携帯のバイブで起きる。
音立てて起こしちゃったら”sorry”ってゆうし、”it's ok”って返す。

同部屋ってのはキッカケの一つだから、ベッドに座って荷物片付けながら今日回ったところや旅の思い出、自分の仕事や勉強とかを自然に語り合ったりする。
新しい友達と会えたことを素直に当然に喜び、異なる価値観に興味を持ち交流を図ろうとする。
外国人はそれができる。

なのに、日本人は他人に上手く気を遣うのがすんごくヘタだ。

と俺は思う。
だから、カプセルなんだ。

他人を気にしないでイイ、気にせずくつろげる最低限の個人スペースを確保する。
部屋に一人でテレビを見ながら夜を過ごす。
さらに個室を理由にアラームだってかける。

そら、ビジネスマンにそんな余裕は無いのかもしれん。
けど、もし日本のビジネスマンがそれをゆっても俺には言い訳にしか聞こえない。
だって時間に余裕があってもあんたらコミュニケーションしないじゃん。

ホテルの真ん中にリクライニングソファーがいっぱい置いてあるロビーがあんだけど、
誰一人喋ってない。「お静かに」って張り紙があるわけでもない。テレビを見つめながらぼーっとしてる。

外国でユースに泊まれば、共有ダイニングやキッチンで必ず友達ができる。

もちろん、カプセルホテルとユースホステルを一概には比べられない。客層だって違う。
けど、簡易宿泊施設と捉えて、軽く一泊する間に何をするかってことを考えると、
欧米と日本では過ごし方が明らかに違う気がする。

日本人の閉鎖性をすごく感じる。
そしてそれがすごく寂しい。

んで最期に一つ言いたい。
遊びでサウナ・カプセルにくんな~~。
朝10時頃起き出しても、まだロビーのソファーにいーっぱいご年配がいんの。
明らかに仕事してない。
レジャーで泊まりに来てんだろな。
いや、もちろんそれは個人の自由なんだけど、他所の地からやってきてるヒトのベッドを取らんといてくれ。
もちっと遅かったら部屋無かったとこやねん。

まあなんにせよ日本の文化がもちっと明るく開放的なモノになりますように。。。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

October 24, 2004

震度6強!?

被害に遭われた方々。
心からご冥福お祈り申し上げます。

まったく今年はどうなってんだ。

でもあえて一つ言いたい。

なんで地震が起きてから防災グッズ買うの?買っとけよ!予め!
じゃなきゃ文句いうなよ。

ただでさえ、種種の異常地殻変動から広域大規模地震の発生が危惧されてる現在。
声を嗄らして防災力向上を叫んでる人だっているんだ。
実際に被害に遭うまで耳も貸さないクセに、いざ被害に遭うと行政の非難ばっかし。

この国民性だけはなぁ。
どうしたもんか。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

苦労知らず・・・?

久々の(?)土曜出勤でして。終電まで頑張ってきたんだけど。
金曜の夜にそれをボヤイたら先輩に言われた。
「カッキィってホンマに苦労知らずやなぁ」

。。。

そおか!?そおなのか!?
俺ってばそーゆー風に見えるのか?

”ホンマに”って言うってことは、前からそう思ってたってことやん。

そういや思い出した。
就活の面接でも言われたことあったわ。
「君って挫折とかしたことあんの??」

。。。

いやそらあるよ!
えーえーナンボでも語りますよ。枚挙に暇が無いですよ。

俺だって多感な頃は、何もできない自分と周りの環境にアタマが真っ白になって無力感に支配されて人知れず部屋の中一人で涙を浮かべてたコトくらいあるさ。
どんな理屈も説得も受け付けず背中を見せてケツ巻くって逃げ出したこともあるさ。

でも、そーゆう経験してみて、
自分がナニかしなきゃ進まない、進まなきゃ終わらない、終わらなきゃ困る、ってんならやるしかない、
って気付くわけじゃん。
ぐだぐだゆったって、状況を恨んでみたって、何一つ好転しやしない。
運だって引き寄せるのは前向きさだ。

二度とあんな惨めな思いするのはイヤだ、って思うから変われるんじゃん。
それくらいのプライドは俺にだってある。

そもそも無駄な時間なんて、世の中には、
喫茶店で便所に入ろうとしたらオッサンに割り込まれてオイオイナゲーヨって思いながらウンコ済ませて出てくるのをイライラしながら不条理さを感じながら無常にも何もすることなく突っ立って待つ時間、
くらいしかないんだしさ。

いやそら社会人の方々に言わせれば、
「そんなもんナンボでもあるわ!」って言われそうだけど、
それって結局巡り巡ってナンの為になるかってところの、どこまで巡らせて考えてみるかの問題じゃないんかな。

メンドクサクたって結局自分の為になることって多いと思う。

だから、どんな状況になったって、
”自分が”満足したきゃ”自分で”何とかするしかないって思って、
前向きに取り組んでいくようにしてる。
できるだけ無意味にクサらないように心掛けてる。

うーん、苦労しらずか。。。
そらソンしてるなぁ。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

October 23, 2004

分かりにくいコメント-料理番組しかり

テレビで観光スポット巡るレポーターが行く先々で
「うわぁ~」「きれ~い」「すご~い」「かんどう~」
の4つしか言えてないのに気付いて、ものすごげんなりした。

ナニあれ??

”どう”綺麗なのか、
”どう”すごいのか、
”どう”感動したのか、
その場にいない視聴者に何を”どう”説明しようとしてくれてんのか。

全く持って不明。ナニが言いたいのか不明。
アレはナニ?プロデューサーに言わされてんの?

いやオマエが感動したのは分かったから。しつこい程分かったから。
だけど、オマエが具体的にどんなコトに感動する人間なのかも分からんのに、
どうやって現場の感動を感じ取れっちゅーねん。

なんで自分が”どう”感じたかを”自分なりに”端的に表現できんやつがメディアに登場してんのか。。。

あーゆー輩がチャンネル変える原因なんだけど。
  

| | コメント (3) | トラックバック (0)

自分なりの、思い

「そんなんただの理想じゃん」とか言うのは勝手だけど、

理想”すらも”胸張って語る度胸も無いクセに、
理想を実現させる努力もしてみないクセに、
正面から取り組んで傷ついてみる度胸も無いクセに、

理想を言葉にして表現できる奴を馬鹿にすんなや。
岩陰に隠れて安全なトコから述べるのを止めて、表に出てきて、自分を直に晒す度胸、オマエにあるんか。

仮にアリキタリに聞こえる理想を語るのが恥ずかしいなら、
自分にしか言えない言葉を探してみればいい。
見せ掛けの言葉を自分の経験に無意識に当てはめて既存の枠に縛られて自分を大切に見てあげることすらできないくらいなら、そのまま一生じっと大人しくしとけや。

んで、
自分の物差しで全てを判断すんなや。

ヒトの経験からも学べとは言わんけど、
それは想像力の問題だと思う。
楽観的だろうが希望を頭の中に描ける技術。

しかも、”自分なり”に。

与えられる言葉に乗ってる情報を頭で処理するだけで世の中知った気になってつべこべ言うのが、どれほど無味乾燥で無価値に見えることか。

どうしてもっと”自分なり”を大事にしない?
どうしてもっと的確な”言葉”を想像してみない?

”感じる”トコロを共有してみようや。
自分で選んだ言葉だから相手にそのまま伝わるわけじゃないかもしらんけど、
それを諦めたら一生誰にも分かってもらえない。

「自分の気持ちが分かってもらえるハズない」とか言う前に、
自分の言葉を選んでみたらええやん。
少なくとも、気持ちを探して表現しようって思いは伝わるって。

どうしてこうも、「もういいや」とか「もうええって」って即諦めの奴が多いんかなぁ。
めんどくさいから?
自分に”近い”奴とだけ仲良くしとけば事足りるから?

それもこれも東京砂漠か。
寂しいもんだ。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

October 20, 2004

言葉に紡がれた世界

大好きな日本人作家が2人いる。
森博嗣、真保裕一だ。

森博嗣には、想像限界を遥かに超え文章を読んでようやく指先が辿り着けるほど数的に精巧に創り込まれた世界と、非日常とも言える淡い恋心を。
真保裕一には、現在の自身の生活からは及びも着かない国家・世界スケールの展望から繰り広げられるダイナミズムと言葉裏に存在する筋に沿って二転三転する展開と収束を。

求めて俺は2人の本を読む。

そんな、描く世界が異なる両者に共通するのは、
『人間味に溢れたストーリィ』であるということ。

一言で言えば登場人物の魅力、なんだけど。
設えられた世界を背景に展開するのはヒトの思考であり行動になる。
未だ見ぬ観念や着想、具体的には世界観や展望、構造を言葉を通じて感得できることが、何よりも心地いい。
その大元は、可能性への期待と希望なのかもしれない。

最も好きな書もあるけれど、それはおいといて、
最近、真保裕一の「ボーダーライン」を読んだ。
読み終わったら涙が一筋頬を伝ってた。
俺がこの本に見たテーマは親子。

俺は一つの人生の岐路を半年後に控えて将来を想像し心を固めていくに当り、
概して漠然ではあるけれど家族を持つことも頭に浮かんできたりする。
受動系なのは能動的では無いが故。決して前向きに望むわけではない。
けど、俺は子供が好きだし、具体的な姿は置いといても幸せな家族に憧れもする。

そんな折、上記書を読んで物事を”解釈”するヒトの心について考えさせられた。

赤子のように無邪気に笑い叱責には素直な涙で反応しながらも息をするように父親さえ撃てる彼。

もしも本当に、身体に障害を持って生まれてくる子供のように、精神に障害を持って子供が生まれてき得るとしたら。すなわち、赤ん坊が真っ白には生まれてこなかったとしたら。
世の中の風潮や環境、彼を取り巻く何モノのセイにすることすら叶わず、彼にとっての世界を構築する彼の『解釈』が世の中を支配する一般常識と異なるとしたら。
従って、欲望を抑え罪といった概念を教え生む教育すら彼には無効だとしたら。共通する解釈を持たず意思を交わすことが不可能だとしたら。

彼に罪はあるのだろうか。
そしてそんな子供を愛せるのだろうか。

世界は、決して全体にはなり得ない”大多数”が共有する観念の基に構成されている。当たり前のように少数派は抹殺される。生物としての最低条件である生存可能性を満たしていようが、”どんな形の”生存もあっていいハズなのに、「欲」を存在基底に持つ大多数の人間にとっては発展こそ全てでそれと流れを異にする概念は悪だと解釈・判断されそれがまかり通る。多数派によって。罪という考え方だって人間の創造だ。

生まれながらに、他の何モノのせいでもなく、彼自身がその観念から外れたところに位置するだけで、
彼に地球上で生きることを許さないこの世界とは、暴力にも似た虚構以外の何かでありえるんだろか。

かく言う俺もそんな規範と常識に飲まれその中での考え方を身につけており、
それと異なる存在への共生に対して自信がない。

異なる地域に出向こうが外国で生活しようが、
異なる文化に驚きはすれど、どんな人間にも共通してある何らかの「先験性」がある。

それが『解釈』できない場合。。。

親と子の絆とはいかなるものなんだろか。
まったくもって想像ができない。

自分が望む幸せ。
その姿はまだまだ霧に隠され全容をぼやかしたままだ。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

何よりも心地いい疲労感

全身が筋肉痛で咳するコトすら苦痛なんだけど。
とにもかくにも運動した次の日にそうなったことでちょっと安心。
まだまだ若いやん。
でも明日もっと酷なったらどうしよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『解釈』に拠るところの自分の世界

ソフトシステム方法論とかナイサーの知覚-現実構成過程とか、
種々の引用を用いて俺が最近書いてたのは、科学における『解釈主義』や『構築主義』に依拠するモノにあたるようだ。

「自分にとっての世界とは自分が”認識”するところのものだ」ってやつ。

それに対置する『実証主義』てのは、そこに存在するモノを”客観的に”観察し”事実”を記述するものらしいが、
どうも俺は『解釈主義』のが好きみたいだ。

以前も書いたように、それは、客観性に対する疑問から来るものなんだけど。
客観性なんて、カントが言うところのアプリオリ(先験的)な考え方を一般的に共有してるが故にそう感じれるからに過ぎない。

だから、客観的データがどうの、なんて表層的な論理構造を振り回してあたかも自分が絶対的に正しいかの如く好き勝手述べてるヤツが嫌いだし、そいつの言うことは一概に受け入れる気にならない。
何故なら、それはソイツが正しいと信じ込んでるモノの考え方(主義)に依拠してるに過ぎないだけだから。

そんなコト言うなら時間空間概念から説明してみろっての。

どんな考え方をする人間にとって、それが正しいと”言える”のか。
どんな事を言いたいがために、それを”正しい”と前提に置いて話を進めるのか。

少しオーバーな表現かもしれないが、
少なくとも論拠とする考え方まで一つ掘り下げて説明してほしい。
「因果関係」だって「時間」概念を受け入れない以上は根拠(正当性)に欠けるんだから。

時々何となく話が食い違ってたり通じてなかったり感じるのは、そういったトコロに原因が或る。

俺のこの主張自体も一解釈に過ぎない。
アプリオリなモノが存在する、って考え方だってアプリオリだとすれば、その主張の根拠はどこにもない。

それは分かってる。
でも、だからこそ一つだけ思う。

ある程度の幅を持って柔軟に、謙虚に、そして広く何事も受け入れていこう。

こだわることは必要だ。
受け皿となる自分は自身の『解釈』によって、自分の世界を構築していく必要がある。
それこそが、世界における自己の確立という人間の究極目標に近づく必要条件だと思うから。

だけど、頑固だけはダメだと思う。
所詮世界は自分の『解釈』の産物だ。
だとすると、自分の常識なんて他人には通じなくて当たり前。

他人を否定する権利なんて誰にもない。
概念の押し売り・押し付けなんて迷惑この上ない。

世界はヒトの解釈が構築する。
ヒトが発展させてきた考え方の分だけ多様性を含み複雑さを増し、解釈することすら楽しめる。
そんな世界に興味が持てれば、より多くの解釈による”世界”を見て、自分を広げていけるハズだ。
まだ見ぬ世界に好奇心と希望を持って、この先も生きていけるハズだ。

世界で生きていけることはホントに面白いことだと思う。
より満足できる生を謳歌するためにも、そんな事を考えてみた。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

October 15, 2004

理想の組織と仲間・同僚

24を見終わった。
なんてまあラストのラストまでやきもきさせるドラマだこと。

使命感については以前書いた通り。
親子愛についてもジンとくる。

切に想ったのは、『仲間・同僚』、に関して。

正義は、各々あっていいと思う。
愛国心だけが正当化されていいハズない。誰もそれが”一番”正しいなんて証明できない。
国家の繁栄と属する個人の幸福の関連は複雑な議論が多いからそっちに譲るとして。
中には自身の保身が最重要で権力構造が支配的なシステム中で動く限りにおいては一般に言うところのコウモリも無理はない。

誰もそれを否定できやしない。証明なんてもってのほかだ。

だからこそ、
「共に」働く『仲間・同僚』は志を同じくする者達がいい。
理不尽、と、自分が認識してしまう道理を礎とする人とは、働けても足を引っ張り合うだけだ。

属する組織をこれから選ぼうとしている人へ。
組織活動内容、将来性、云々も重要だが、そこにいる人達が”どんな人”なのかをしっかり認識してほしい。

どんな事に怒りを覚えるヒトなのか。
どんな将来を望ましいとするヒトなのか。
そのヒトにとっての正義、優先事項とはナンなのか。

見えやすい技術、数字、では計りようのない、「人間らしさ」の部分が最も大事だと、俺は思う。


ただ、それだけでは絶対に出てくる、リスクの問題がある。

同種の集まりからは見えない側面に対する脆弱性だ。
異なる価値観が多いほどより多面性のあるモノの見方が可能になる。
イエスマンが嫌いな人がよく言うのは、自分と違う意見だからこそ参考になる、という文句。

これももちろん組織活動を支える重要な要素。
多様性を保持して初めて総体としての活動が維持されるのは、生物の進化を見る限り明らかだ。


そこで、
この相対する、一見矛盾する上述の2つの側面を統括し得るのが、
『リーダー』だ。

より多くの視点を内に持ち、個人ではなく組織の生存を第一に考え、
その為に新たな境界を創り出し選択肢を生み出して、
異質要素によるコラボレーションを実現していく。

それこそが、『リーダーシップ』であると思う。
部分と全体の合目的性の構造を把握し追及できるヒトでなければ、異種混合など達成できやしない。
全ての部分に対して納得を配することができる存在。
それこそが、マネジャーだ。


組織に属し働ける、活動できるというのは素晴らしいことだと思う。
一人ではできないことを、知恵や資源を結集し実現できる。
共に動くことの連帯感を、人間は幸せだと感じることができる。

でも、それは最低限の条件が揃っていればの話。

志を共に出来る仲間。
その中でも意見を戦わせることのできる多様な人材。
それらを許容し統括できるリーダー。

この条件を兼ね備えた組織に属することこそが、
幸せな、生活を営んでいける条件であると、私は思う。

  

| | コメント (1) | トラックバック (0)

October 13, 2004

所詮世界なんて俺らの認識と等価

唯、我々の感覚器官にとっての経験世界は機械論的規則に従って継時発展していると見なさざるを得ない、とするのはあくまでも我々の方の事情である。しかも、これが避け難い事情であるのは、言語を操る我々と、我々にとっての感覚器官の特殊さによる。
(松野孝一郎)
※機械論:時間を前提とし、その時間の前後関係を参照することによって運動、変化の原因結果が判明するとする考え方。時間を無批判にそのまま受け入れる限り、この考え方に抗することは至難の業。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

当たり前と思ってて気付かない事

記録、歴史が成立するための必須の前提は、同時に起こることと、継起して起こることの区別である。この区別が成立していない限り、歴史はあり得ないことになる。(「内部観測」より)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

他人への理解と受容

局所的視野の下で現在形に働く「信号」は、それが何であれ、確たる物質基盤を伴う。
人間が外界からの信号を受け容れる時、その信号は五感を通じて受理される。

聴覚で受理される信号は空気振動としての音波、
視覚での信号は光としての電磁波、
嗅覚での信号は科学分子、
味覚での信号も科学分子、
触覚での信号は力学での機械的力、
のそれぞれによって担われる。
いずれもその物質基盤が鮮明であり、物理学を含む物質科学の各分野において個々の信号を形づくる物質構成因を明らかにすることが確かに叶う。(「内部観測」より)

こう考えると、
人間の“感覚”が如何に“システマティック”であり、
また逆にそれが個人固有の経験の蓄積によって育まれてきたが故に実に多様で時に或る個人にとっては不可解な反応や理解を“固有に生み出す”かが想像できる。

そう考えると、
他人と自分が違うのは当然であり、つまり違うように受け止め考えるのは当然であり、互いのそれは互いにとっては不合理でも自身にとっては合理であるため、その意味での理解と、許容を受容しようという気になれる。

あとは、好きか嫌いか。
それだけだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

October 12, 2004

2つの視点

政治家と政治学者。

先行する局所的視野と、行為の理論化に魅力を覚える全体視野。

いつの世も、
認識のための理論が行為そのものの理論に如何に接続され得るか、
が問題だ。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

戦略的フィランソロピー

ちょっと古い話になるが。
2年程前のHBRに載ってた話を思い出した。

「戦略的フィランソロピー」

企業には、メセナ、フィランソロピーといった”義務”が存在するが、
名目上のボランティアや名を売る目的での資金援助がまだまだ多く、
それがどの程度当該企業の収益に貢献しているかハッキリ計れない活動も多い。

文化貢献、地域援助が義務とは言え、リターンが曖昧な名目に金を出すほど現在の企業に余裕は無い。
従来より日本企業の低収益体質が問題視され、量的拡大による誤魔化しは効かなくなってきている。
銀行も将来的な収益性が望めない案件には投融資を控える時代だ。

そこで、非常に重要となるのが、「戦略的フィランソロピー」。
昔に持ち出された言葉ではあるが、以前より企業の存在と社会的利益の関係に注目している私にとって、
これこそが企業活動の本質ではないかと思っている。

例として挙がっていたのが、シスコ。
発展途上国に専門学校を作り、教育を導入し、さらにそこの卒業生を自社のエンジニアとして使い、
現地に雇用を生み出し経済を活性化させると同時に、自社に必要な技術を備えた労働力も確保する。

これこそが、企業の将来的成長戦略と同調した地域貢献だ。

地域に協力し、その地域が企業に協力し、互いを高めながらさらなる高みを目指していく。
簡単に言えば利害の一致だが、そういった関係を地道に構築することがいかに難しく大事なことであるかが覗える。

最近、防災の研究に関り、同様の事例が目につく。
地震・水害。
大規模広域災害から身を守るのは住民自身、公的機関だけではない。
地域密着で活動を行う中小企業にとって、地域は顧客であり、労働力であり、基盤だ。
各々技術を要する企業こそが、企業市民として、地域と足並みを揃え災害への備えを行っていける。またその必要がある。
自助・公助・共助で言うところの共助に当たる。

カンバン方式で在庫圧縮を実現する東海地方の大企業は、
自ら音頭を取り関係各企業へも防災活動への参与を促し、
地域の安全安心へ貢献し防災力を高めると同時に、
自社の部品流通が経済活動が災害被害によって止まってしまわないよう災害リスクのヘッジも行っている。
イザと言う時には地域からの強力な支援も期待できるだろう。

これこそが、企業の将来的成長戦略と同調した地域貢献。

「戦略的フィランソロピー」

これからビジネスを創り出そうとする世界に飛び込む自分にとっての、一つのキーワードである。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

使命感

24TWENTY FOUR-シーズン2- を見た。

こんなにも胸に気持ちに響くストーリィがあっただろうか。
涙さえ誘うこの物語に俺は何を見たんだろう。

生物としての根幹を成す生への執着を超えた処にまで至る
人間の使命感と正義だろうか。

生命の奪い合いを繰り広げる人間へ抵抗する同種族である人間の無力に等しい抵抗力だろうか。
そのひたむきさだろうか。

それとも、国際的武力政策にまだ見ぬスケールを感じているのか。

この場合、”響く”ってのは、未知の世界、状況、情報への本能的な興味、喜びを指していると思う。

最も興味深いのは、「使命感」。
時として、全ての行動の基礎と”正当な”理由となりうる。

おそらく根拠は、今までに蓄積した自身に内在する全ての情報とそれを処理する自身の感情。
生きてきた各々のステージで培った個人としての感情。

大切にしなきゃいけない反面、世間との整合性が求められ、時として矛盾を”感じる”ことになる。

ただ、自身にとって最も幸せなのは、後悔せずにすむ方法は、
自身の”感情”に素直な選択を行うことだ。

世間的に見ると危険分子みたいな言い方だけど、
それを捨ててしまうようでは、自身としての「個」を放棄することに等しく、
”生きる”ことへの夢もやりがいも得られないと、そう思う。

私は、まだ、”信じて疑わない”自身の信念を持つには至っていない。
おそらく、一生完成することはないだろうが、常に感覚・吸収・成長を意識してバランスを忘れないようにしたい。

そして、生きがい、を大切にしたいと思う。

  

| | コメント (2) | トラックバック (1)

October 11, 2004

まとめ

まぁよーするに、
社会人になるに当って、「自立心」ってのが初めて具体的に頭をもたげてきたって事。
それは”自律”でもあるんだけど。

その際、昔の俺を否定せずに新しい自分を創っていく。
難しいのはそのバランスを取る事。

ヤル気はある。ただそれが空回りしませんように・・・
 
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

理屈と気持ちの境目

変化が無く安定した世界なんてありえない。
つまりは、不動の世界に落ち着き安穏と安定に浸る生活なんて幻想たる欲望の産物にすぎない。

それが言える最低限の理由としては、
人間を除いて考えた世界が、つまり人間が生活を営む基盤となる地球そのものすらが、安定とはかけ離れた営みを行っているからだ。
地殻変動が、気象現象が、そして”そこから誕生した生命現象”が、明確にそれを示唆している。
いつまでも”同じ”生活が許されないのは、地球上で生命活動を営む以上太古の昔から分かってきたはずだ。

さらにそこに、人の意思が絡む。

宗教観、恋愛観を持つに至った生物が、各々の”意思”をもって変化する世界に対応してきた。

各種現象を解明・説明することは出来ても、いやむしろ科学的論理的にそれが出来るようになったのはごく最近であることに問題があるのだが、それぞれの意思がそれぞれの解釈をもって正義という概念の下に行動を「選択」してきた。

世界中の全ての意志の交錯する只中で、”意思”も変化してゆく。
それぞれが活動を展開するステージの上で。

ただ、我々は、完璧な伝達手段ではないとしても、「言語」を持ちうる。
それが故に、「言語」を使って利用して思考を行い、「言語」で”意思”を伝え活動している。

問題は、その両方にある。
ステージは各々無限にあること、そして「言語」でしか意思活動を行えないこと。


それを分かってもらえないとき、どうすべきだろうか。。。


俺達の年頃までは、幸運にも親の懸命なる保護の下、ある程度は安定した環境にいることができた。
その安定とは、限定条件付き、だ。
教育という作られたシステムの中で、与えられるモノを享受しながら、子供、という立場限定の安定だ。

いつまでもその中にいられるとはもはや思っていない。いられるハズもない。
変わらなければいけない。時間スケールで計ると遅すぎるくらいだ。

変化する環境に対応しながら常に自身をも変化させながら暮らしてゆく。
それが、安定、だ。

いつまでも、昔のままではない。特に、今は。
人生の中でも特に大きな変化の時を迎えている、今は。

上も見るし、見出した自身の軸に沿うように物事も判断する。
それにとって必要なものも変わっていく。

そう考えると、幻想に過ぎない見かけ上の安定を望む人が多すぎる現実は、解釈に苦しむ。
”変化”に苦しむから愛する子供に”安定”を与えたい大人ごころか?

教育という出来上がったシステムによるメリットを自覚しきれない以上否定が出来はしないが、
昔と違って変化のスピードが加速した以上、過去を保つことなどできないのは明白だ。

俺も、変化、する。

ただ、根っこは変わらない。

それなのに、
それを前提とした話が相手に通じない場合、つまりはそのステージ上の言語が通用しない場合、
可能な限り因果関係を過去に遡り説得を行うための説明を苦に感じてしまう場合、
相手もそれを受け入れようと理解することを本能的とも言える態度で否定する場合、
諦める、という選択肢を選ぶべきなのだろうか。

問題は、ステージが違うところにある。

それはつまり安定を望んでいるからに他ならないのだが、
つまり、過去の、変化を迎える前の、嗜好を引きずりながら、
次のステージに進もうとしている、俺自身が皮肉でならない。

  

| | コメント (4) | トラックバック (0)

October 07, 2004

地震

まーた地震かい。今度は東京。
まったく今年はどーなってんのかねぇ。

地震。
台風。

災害起こりすぎ。

そこで防災やってる人間として一言。

『家具を固定せい』

地震発生時期時間その他条件にもよるけど、
阪神淡路大震災の死者6,000人超のうち8割5部は”圧死”。
つまり、家屋倒壊や家具転倒。

寝てるトコ襲われたんだわな。
起きてたらまだ対応できても、寝てたらイチコロ。

家はしゃーない。耐震改修には時間も金もかかる。
でも、寝室の家具くらいは止めとこうや。
簡単に見えてもやり方がムズイので専門家に相談しませう。

んで、枕元には笛とスリッパ。
死者の9割以上が15分以内の死亡。
埋まってしもたら一刻も早く助けを呼ぶのだ。笛で。

んでガラスが散乱する部屋をスリッパはいて逃げるのだ。

食料は心配すんな。
阪神淡路で餓死した人はおらん。

死人に口無し。
助かった人が、命があった人が、後から食料どーの言うんであって。
救援物資でなんとかなるわ。

はいどーでもいい話でした。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不満足

妙にモノ足りないのにどうやったら自分が満足できるのか分からんトキがある。
決まって夜中。一人で帰ってる時。電車中でもチャリでも。

いーかげんいい時間で、仕事した帰りで、疲れてて、帰って寝りゃいーのに。
ナンか足りない。

そんなときは、
現実妄想を問わず自分が満足できそうな状況を想像してみる。

・20人規模の飲み会に参加してめっさ騒ぐ
 →いやそんな時間にそれはウザイ。つかその時間には人いねーだろ。
・クラブ行って踊りまくる
 →一緒に行ってくれる人募集中。従って現在は実現不可能。
・めっさ綺麗な美女と夜景の輝くバーカウンターでグラスを傾ける
 →なんか全てにおいて不可能。
・風俗ハシゴ
 →そんな金あるかい。
・漫画喫茶でまったり
 →今読みたい漫画無し。

一番実現できそうなのが漫画喫茶なんで今日のところは帰りました。

んで家でバラン17Yとシュタインへーガーをストレートで。
うーん酒が苦い。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

October 06, 2004

ちょっと追加

足元が見えてないと揶揄されるようなこんな理想論を堂々と掲げる社長を俺は一人知ってる。
(彼の主張を完全に理解できてるワケじゃないので俺の解釈の範囲内で。。。)

『企業活動と社会的利益との整合性』
を俺が気にするのはこの人の影響。

50人程度の某外資コンサルタント集団の社長。

就職活動で彼に会えたのは、すごく、すごく、大きかった。
理想論を現実に変え貫き通す社会的実力。

いつか彼の下で働きたい。
そして彼に追いつきたい。

最も憧れる人間の一人。

  

| | コメント (3) | トラックバック (0)

October 05, 2004

理想の社会

これから社会人になる者がこんな事を言ったら不安視されるかもしれない。
見くびられるかもしれない。世間知らずと笑われるかもしれない。

それでも思うところがある。今だからこそ。

『社会活動に理想を求めちゃいけないのか??』

経済・企業ニュースを見れば、不祥事や権力闘争の成れの果てが目に付く。
以前も書いたが、こういった「規範」に取り込まれ埋没し結果腐敗飛散することが怖いのだ。

奇麗事を言うつもりはない。
ただ、『真の意味で中長期的な利益を求める合理的な選択を行いたい』だけだ。

日本の経済構造を詳しく知るわけではないが、
投資家が目に見える直接的短期的な利益を重視する風潮があるのは分かる。
それでは、植えている種が評価されない。

土木分野ではNPVという評価手法があり、
金融工学における社会的割引率だってそういった視野に立った指標であると思うが、
経営実績評価というのはかくも短絡的なモノなのか。

生物学的組織論的に言えば、
最重要のハズの組織の適応力・柔軟性といった生き延びるタメの根本的な”力”ではなく、
収益性・利益率や売り上げといった表面的な数字が重要視されている。

直接的には収益を上げる事かもしれないが、
組織の究極目標というのは、
『永続すること・生き残ること』ではないのだろうか。

それは翻って収益を上げ続けることであり、変化する環境に適応していくことである。

その視野が欠けているから、
直近の利益を追求する余り、反動で長期的な競争力を失う。
権力闘争に身を削り収益を稼げる体質を育てられない。

なんてバカらしい。。。

経済雑誌記事から拾えば、
無理なノルマ性を強制し人材を疲弊させ結果人材流出・競争力収益力低下につながっている銀行などその典型例だ。

もちろんそれをしなければ倒産が目前に迫っている事情も理解できる。
ただ、あまりにバランスを欠いた場当たり的な対応のみでは遅かれ早かれ結果は同じだ。
切捨て見限り大胆過ぎると思えるほどの根幹的な構造変化を断行しなければジリ貧じゃないのか。

そういった意味で、
理にかなった、合理的な、納得できる戦略の下で動きたいと思う。
それであれば頑張れる。先が見える。力を惜しまず取り組めると、思える。

モノの見方は様々だ。
企業により、ヒトにより、目指すもの、拠り所とする概念、信念は異なるだろう。

だからこそ、自分が信ずる方向を同じくする組織の中で、精一杯やりたい。
疑問を感じながら、「規範」に流され、結果共倒れでは救うに救われない。

自分の方向が間違っていたのなら、自分のせいにできる。悔い改められる。
誤りを正し、再出発できる。

だが、他の人のせいにしてしまうような状況で、どれだけのエネルギーを再転換できるだろうか。

奇麗事と笑われるかもしれない。
世間知らずと嘲られるかもしれない。

けど、願う。

『自分が正しいと信じる方向の中で相互作用しながら前に進む企業体の中で頑張れる』
コトを。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

そったく

『そったく』って言葉があるらしい。
(漢字不明。よって言葉も合ってるか不明)

まあ細かいことは置いといて。

『そったく同時』

ニワトリは卵を温めて雛を孵す。
そんとき、内外両側から殻をつっついて割って出てくるんだと。

親鳥がつっつくのが早ければ、中の雛がまだ成長できてないのに割れてしまう。
中からつっつくだけなら、殻が割れず外に出られない。

『内と外から、同時に、つっつく必要がある。』

つまり、直感とタイミング。
片方だけじゃ上手くいかないけど、両者が互いに理解して協力して初めて事を成せる。

そんな意味だったよーな気がする。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

October 04, 2004

車内携帯電話

ずーーっと疑問だったんだけど。
ナンで公共交通機関内での携帯電話使用が禁止されてんだ?

大義名分としては、『ペースメーカ』への影響が唱えられてるけど、
その影響範囲は携帯電話を中心としたわずか半径23cm以内って検証されてから、
最近は車内放送でも控えめな訴求表現になってる。
『マナーモードにして優先座席付近では電源を切るように』
って。

それなのになんで、世間一般的には、
車内で携帯電話を使う事が「社会悪」みたいに言われてんだ??

物理的な音としてウルサイから?

それだったら、大声で喋る2人組とか音漏れするヘッドホン、座り込む若者のがよっぽど迷惑。
普通に喋ることが許されないってこと?
友達同士で車内で会話することは普通で、携帯電話で会話することが悪い、
ってどゆこと?誰か説明できる?

たまーに注意するオッサンもいるけど、オマエの声のがよっぽど迷惑だっての。
”決まり”とか”制度”とか固定化されたモノを持ち出す奴に限って本来の意味を理解してない。

大体、『ペースメーカ』への影響なら、携帯ラジオとか通信PDAだってダメなハズ。
土日だったらラジオ使用者とかいそうなモンなのに、そういった車内放送は聞いたことない。

車掌だって、車内徘徊中に実際注意するとこあんま見ない。
顧客の気分を損ねるのを恐れてるのか逆切れを怖がってるのか知らんけど。

有事(電波事故)の際の責任の所在だって不明確。
そんなに訴えるなら、1車両完全電波防止にして医療対象者専用にすりゃいい。
痴漢事故防止で女性専用車両作ってるくせに、生命の危機に対しては少数派扱いで無頓着。

そんくらいよく分からん扱いの携帯電話。


でも今日、バスの中で、
大学生とおぼしきしょんべん臭い小娘がツッコミどころ満載の知ったかぶり恋愛論を携帯電話で繰り広げるのを聞いて、
分かった。
(いや、盗み聞きじゃないよ。でっかい声が聞こえてくんだからしゃーないやん。)

エラソーなんだ。アイツラ。

携帯で喋る奴って、何故か偉そう。
座ってる奴は足組んで、ふんぞり返って、肩肘ついて。
携帯で喋ること自体がカッコイイかのごとく格好で喋る。

そらムカつくわ。実際結構ムカついた。

他の客に不快感を与える行為なら、公共交通機関運営側としても理由をつけて禁止せざるを得まい。
納得。

でもどして偉そうなんだろ?
こんだけ普及してもまだまだ従来無かったモノへの新鮮さ・憧れみたいなんがあるんかな。

話す内容もその理由の一つだとは思う。

ただの用事ならメールで済む。これなら無音。
だけど、携帯でわざわざする話ってなると、まあたわいもない話もするだろけど、
友達からの相談、経験談、自慢話とか、周囲の人間に聞かれて(聞かせて)優越感を覚える様な内容が多いのかもしれない。

俺もなんとなく身に覚えがある。いや、野外でだけど。


まあ、それはともかくとして。

爆発的に世界中に普及し、ネットワーク社会の形成を促進し、新たな人間関係を創造する手段になり、
市場としても大きなものを創り出した携帯電話。

生物学的な自己組織化臨界現象と比較されて表現される様に、
経済学的にも新たなネットワーク性コミュニティの在り方に関しては議論も盛んだ。

だがユーザである肝心の人間がその変化に追いついていってない。
目の前の利便性だけを追い求めるようでは、今まで散々ある例から想像されるような悪い結論さえありえる。

今のところ、”既存”の”社会的常識”ってヤツに従ってヒトの良心に委ねるしかないんだろな。

でも、”常識”は常に変化してる。
昔の常識は現在の非常識だ。固執しちゃいけない。
柔軟に、しかも確実に、変化させてく必要がある。

一日も早く、新たな”常識”の下、皆が納得して快適な公的生活を送れる環境が整うことを願う。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

September 29, 2004

変化

流されるだけじゃ生きていけない。
常に先と上を向いて改善を繰り返さなければ、
変化する環境に適応し続けることすら出来ない。

何故だろう。

人間が遥か昔環境に挑み自然界を超越した生活を始めたからなんだろうか。

変化し続ける環境を生み出してしまった理由。
自然の摂理以上の変化。

止まることは許されない。それはそれでもいい。
ただ、ちょっと切なくもなる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

二日酔い、、

久々にぶっつぶれた。呑みすぎ。調子乗りすぎ。
お見苦しいところをお見せしました。そしてお三方ほんとお世話かけました。

んで朝7時に起きて鳥取出張。
車に揺られ酒が回り現地で吐きまくり。。。

車で酒臭いと言われ、
役場で酒臭いと言われ、
社協で酒臭いと言われ、
郵便局で酒臭いと、、、

ほんとシツレイ致しました。

次はもっと呑めるよーにガンバリます☆

| | コメント (2) | トラックバック (0)

人生のリスクマネジメント

『世間の、企業の、「規範」に取り込まれて、流されてしまう。』
三菱自の事件にこうコメントした人がいる。

同様の事件は枚挙に暇が無い。
牛肉、鳥インフルエンザ、牛乳、、、

原因は、モラルだとかシステムという意見が多い。
しかしこれがもし、人々が組織の力に抗わず流され、
おかしな事をしている事を気付いているハズなのに
気付いていないフリをしていることすら気付いていないせいだとしたら。

つまりは、企業に所属する一人一人が仕事を”正しく”こなせていないせいだとしたら。
そしてその人がこういった事件により路頭に迷うことになったのだとしたら。

無視を決め込め「規範」に飲まれ何事も無くやりすごす姿勢自体がリスクとなり得る。

さらに続ける。
『自分の立ち位置を決めて、活動の場を広く取って、色々な活動・経験を通じて、
転ばない知恵・バランス感覚を養う必要がある。直感を磨くことが重要だ。』

大手商社勤務の大野晋さんは、新聞の中でこう語る。
『目標は、社会のためになることをしてビジネスにもなるモデルをつくることです。』
彼は、仕事で得たスキルを基に社会企業家や民間非営利団体を支援する団体を運営し、
ボランティア活動の副代表をも務める。

つまりは、そういうこと。

不思議でならないのは、
隠し立てすることが将来的な不利益に結びつくことに気付いていない経営者がかくにも多いことだ。

適応力を強く持ち永続存続可能な組織とは、社会的利益と方向を違わぬ活動をする組織だ。
それに反するようでは、遅かれ早かれ存在が許されなくなる。
奇麗事のようだが、それは歴代の大企業、潰れていく企業が十二分に証明してくれている。

社会的通念を意識し、世界における自分の果たす役割を見極め、軸を持って、主体的に動く
ことが必要だ。

つまりは、自身のライフスタイルを作る、ということ。

己が方向を持って、間違った方向の企業「規範」に取り込まれず、
共倒れへのリスクをマネージしなければならない。

『共感を得られる仕事に人もお金も集まる時代』になった現在ではもはや、
流されるだけの仕事をこなすようでは生きていけないのだ。

”共感を得られ”、”正しい”仕事とは”社会的利益・通念”の方向に他ならない。

多くの社会的現場から得た経験を基に、貴方は何を目指す??


  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

September 26, 2004

拗ねてみた

そういや、「数学」が”正しい”って誰か証明したっけ? 誰か疑ってみたっけ?
なんで96円の商品を100円玉出したら1円玉4つもらえるんだろ?
社会的にそう決まってるんだっけ?てか社会的ってなんだっけ?

足し算が正しく、割り算が妥当だってどうやって証明すんだろね。
計算の方法をそう決めただけじゃん?
数学以外の説得力って世の中に存在しないのかなぁ。

”証明”できないもんを無条件に信仰して。道具として使って。
マーケティングもするし経営分析もする。
まあそら確実に成功なんてせんわなぁ。

相対性理論って。いや読んだこともないけど。そんな考え方すら超越してるとか。とか。
そこにある世界の虚実性か。

そもそも運動方程式だって間違ってるかもしれないんだし。
よく構造物が存在しうるなぁ。

いったい何が正しいんだろね。

まあどおでもいいけどさ。
世の中なんてそんなもんかもね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

切り口

よく、流れてく周りの景色の中にあるナニかを見逃さない事が大事だ、
とか知ったよーに言うヒトいるけど。

違うだろ。
「周りを見つめる”切り口”を自分なりに持つ」事が大事なんだろ。

それがどんなに難しいことか。


概念を当てはめるのか。
定量的物差しを使うのか。

現象を見たまま表現すんのか、対象者の気持ちを推し量るのか、
背景の力関係を参考すんのか、金銭の流れを見るのか、政策的判断を下すのか。

数学を使うのか、物理法則に当てはめるのか、社会心理学から判断すんのか、
人間行動学を参照すんのか、認識論から述べるのか。

実証主義に従うのか、規範的な批准を受け入れるのか。

「妥当性」を検証すんのがどんだけ難しいか。


成功体験をえらそーに述べる人も、
どうやっていかに成功したかって説明すんじゃなくて、
そこに何を見て、それをどう考えて、世の中にどう位置づけて実行したから、成功した。
って根本原因を説明してくれよ。

見せ掛けテクニカルな方法論なんて聞き飽きてんだから。みんな。

貴方の「切り口」が知りたいんだよ。
ナニを、見たんだ?
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

September 24, 2004

クリエイターへ

普段反応のないこのページでコメントがあったりして驚く反面素直に嬉しい。
基本独り言ではあるんだけど。。。

クリエイターへか。。憧れる。生み出せる存在。

どうやってなるかなんて俺なんかの知るところじゃないけど。
ただ一つ思うコトはある。

余計な力で決して抗わずに自分を”素直に”見つめること。
素直な感覚器で外攪を内面に伝え”解釈”吸収すること。

じゃあないかな。

過去に無いモノを生み出すなら、人の真似が直接的に意味を持たないなら、
自分を信じるしかない。自分を育ててその中から捻り出すしかない。

さらにそれが独りよがりにならないように、
ある程度の人とは共有しフィードバックフィードフォワードを行うために、
外の世界を、人、モノ、事象、概念を、取り込み反映させる必要もある。

自分の中から自然発生するモノではない。もともと”そこ”には何も無いんだから。
ただ、たとえそれがどんなモノであろうと、どんな評価をされようと、
無限にある中から自分がそう選択したからこそあった、って軌跡があるハズだ。

それは「否定」すべきモノじゃない。
決して他の人には手に入れられない、かけがえの無い、経験。

賢い人間は他人の経験からも学ぶ、なんてゆったヒトもいるけど。
その学びは本人のそれとは比較にならん。
その理屈じゃ、部屋に閉じこもってたって成長できるってことだ。無理。

俺は外に出るたび、部屋にいるのとは違う自分を意識する。
緊張し、感覚を受動に切り替え、見つめる目になってる。

そんな風に本人としてモノを見て、経験して、交換して。
そして、考えて。
繰り返して。

自分”こそ”に内包されたモノを”出して”みればいい。
評価してくれるヒトがいるかもしれない。
ダメなら繰り返す。それだけ。

クリエイターなんてなろうとしてなれるもんじゃない。
描ける像は経験から来るハズで、過去の産物だから。
まだ見ぬモノがどこにある、どこへ行くなんて、まだ、分かるハズもないから。

自分”こそ”を”素直に”見つめてガムシャラに進んでみる。
その結果が、たまたま行き着いた先が、未踏の地かもしれない。

まだクリエイターになってない人間が言ってもナンもないけど。
それを信じて頑張ってる。
ただ、それだけ。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

September 23, 2004

後悔

悔やんだ分だけ人は成長できる。
なんでそうなったのか。そうならないように次はどうしたらいいのか。
1瞬で立ち直れる場合もあれば1ヶ月かかる場合もあるけど。
悔やむだけじゃなくて見つめることが必要だ。


オークション競り負けた・・・

品その1:500円→510円高値更新
品その2:700円→710円高値更新
品その3:800円→810円高値更新
品その4:700円→落札

1勝3敗。ハッキリ悔しい。
やっぱし10円刻みの競りは740円とか760円とか中間値を入れなきゃだめだ。
んで締め切り間際は競らなきゃだめだ。

原因は横着さ。
ここでの失敗が更なる大きな負の事象へ拡大しないように。。。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

September 21, 2004

理屈なんて吹っ飛ばしてキモチに触れてくる音楽

どんだけ理屈をこねようが、”論理的”に組み立てようが、
サイバネティクスにおける”解釈”や”意味構成過程”を考えてみれば、
それは客観的だと思い込んでいるだけであることは容易に想像がつく。

多分、それぞれの個人のココロの中心の中心には全ての活動を司るコアがあって、
日頃の経験から学び吸収し自分のモノにするモノは全てそのコアに還元される。
理解も。感情も。反射も。感覚も。全てが基づく。そんなコアが多分ある。

そんなコアに直接響いてくる音楽がある。理屈なんてそこにはない。

無条件に自分をさらけ出し、心の奥がえぐられる。
揺さ振られた振動が体を伝わり鳥肌になって皮膚に現れる。

共鳴・共振するだけじゃない。
コアの持つ性質に響きかけさらにそのちょいと上を見たいと思わせる誘惑を含む。

音の並びが、個々の音質が、染み込み、揺らし、至上の心地良さを与えてくれる。

寝起きにEXODUSを聞きながらそんなコトを思った。
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

September 18, 2004

テニス5時間

よかった。

ちゃんと次の日に筋肉痛きた。。。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

因-果?

「おまえの妹じゃなきゃあの娘は死ななかった!」
「あなたのせいで私がどれだけ・・・!」

なんてドラマでやってたけど。

バカ?

意図的に画策された結果でない限り、
ある人・事が直接の原因であることなんてあるもんか。

それぞれの人が、それぞれの思いでもって動いてる。
全ての人の思索が絡み合って”今”がある。
自分の行動が誰かに影響を与えて、その人がまた誰かと出会って、
それを無限に繰り返して、それぞれの動きがある。

例えば今俺がカップラーメン食べるの止めたとしたら。
お腹の空き具合が変わって予定外の時間に外に出るかもしれない。
お腹を空かせてその時間にそこに行ったばっかりにある人や出来事に出会ったりして、
そこから誘発される全てのイベントは全てさっきの瞬間に選択されてたことになる。
カップラーメン食べてたら満足して寝てその日の動きがまったく変わってるかもしれない。
変わりに勉強してたら、筋トレしてみたら、ピアノ弾いてみたら、外ブラついてみたら。。。

そうやって全ての一瞬一瞬が次の瞬間に影響を及ぼしていく。
明日という1日は全ての瞬間において変化していく可能性を含んでいる。

そんなコトを考え出したら、何が原因だなんてよく言えたもんだ。


ヒトは見えるモンの中から因果関係を判断しようとする。
納得できて安心できるからだ。

でも、それぞれの個人がどれだけ世の中を知ってるってゆーんだ。
世の中を知ってるとしたら、
新しいヒトと会って新しい場所に行って新しい考え方を知って新しい映像に触れて、
感動しないってコトだよな。

ありえるかいそんなの。
”他の”ヒトが創り出していく物モノの中で生きていくんだ。自分の世界じゃない。


そんな事言い出したら、何も解決できなくなる。それは分かる。
だから分かる範囲で物事を並べて推測して判断して行動を選択していく。
それは部分しか知りえない俺らにできる最大限の努力だ。

だから。
せめてもう少しだけ広く想いを巡らせて、もう少しだけ可能性を深く掘り下げて、
本当の原因は何だったのか考え直してほしい。


一橋の栗原教授は、
三菱自の事件やヒルズ回転ドア事件に、
マスコミが騒ぎ立てるように開発者関係者のモラルでなく、
システムの運用形態についてその原因を見い出している。
ISOが形骸化し形式主義に陥りその基本精神を取り込めていないと。
”スタンダード”こそこれから課題だと。

大いに賛同できる。
事前であろうと、基準を設定し事象を評価することこそ、新たな”科学”の在り方。
全て受け売りだけど、ポパーは非常に興味深い。

もうちょっと考えると、そんな風に企業体を運営してしまう日本の経済構造、
果てはそれを産み出す人間のモノの考え方、
それを形作る幼少期からの教育にも問題を感じざるを得ない。


最初のドラマの話だけど、
そうやって自分が激しく後悔する場合って、
何もできなかった自分が原因であるケースが多いと思う。

無意識に分かってるんだ。
自分が悪いって。自分が何とかすべきだったって。

でもそこで他のナニかのセイにする人が多すぎる。
納得できそうな直接関係のあるところから見掛けの理由を引っ張ってくる。
何の解決にもなりゃしないのに。原因が泳がされてるままなのに。

悔やんで悩んで、飽きるまで悔やんで、
他のもっとイイ何か、よりイイ選択肢を産み出し乗り越えるしか解決方法は無いハズなのに。


せめてもう少しだけ広く想いを巡らせて、もう少しだけ可能性を深く掘り下げて、
本当の原因は何だったのか考え直してほしい。

そうすりゃもちっと面白いと思える昼ドラも見れるよーになるだろ。

ゆってること矛盾してんだろ、ってツッコミたい人。
それはゆわんでくれ。。。原因は二日酔いやねん。


 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

September 15, 2004

久々徹夜続き

2徹明け(お昼寝は2時間)でヴォサノバが心にしみる。

いつもは明るめのジャズか、いっそ慰め用にバラードなユーロビートだけど、
優雅な奏でもいいもんだ。有意味っぽく脳が動く。

あぁ今日が山場。。。

ってか俺の自転車返せ!!


つーかさぁ環境都市気取ってるクセになんでメイン通り自転車通行禁止なんだよ一番エコで輸送スピード速いノリモンだろがなーにが90年比6%削減だっつーの出来もしねぇクセにアメリカに追従して弱腰振ってんじゃねぇってのだいたいあんだけゴミゴミした市街地に誰が観光くんだよもっとスッキリさせろよ1車線自転車と歩行者に開放して乗用車締め出しゃいーんだよ殿様商売でアグラかいてっから300万人も観光客減るんだよ修学旅行1位北海道に取られてヘラヘラしてんじゃねーよそんなんでリピーター来るかってのだいたい何でメイン駅近辺に駐輪場すらないんだよそれじゃ益々道路込むだろがってかそれ以前に空タクシーどうにかしろよ何で車道の殆どが客の乗ってねータクシーで埋まってんだよ商売の邪魔にならんよーにどの会社も均一に台数減らせりゃいーだろがそんで申し訳程度にレンタサイクル導入TDMなんかやったって自転車で走れない止められないでどーしろってんだよ北米でCOP3ったら結構有名だぞそんなのにそんな現状体たらくでガッカリされていいのかよ何だよ車来訪者の7割が道路事情に不満を持つってヤル気あんのかつべこべ言わずに保守体制ぶっこわして自転車エコの街にすりゃいんだよほんで駅んトコに駐輪場作れや。

んで俺の自転車返せ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

September 14, 2004

ホンシツ

「こうなったら便利」、という程度の話ではモロク崩れる。

『それが本質的な解決策となっていること』

が必要だ。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

September 13, 2004

単純な~

ワサビが食えるよーになるように。
深みのある酒が好きになるよーに。

子供の頃は単純なモノが純粋に好きだったけど、
そのうちそれに飽きてもっと複雑なモンじゃないと満足できなくなって。
簡単に理解できないモンを求めるようになる。

昔はBeethovenが好きだった。CHOPINが好きだった。
4大ソナタを弾いて、バラードとスケルツォに挑戦した。

でも今は、綺麗すぎる作りに飽きを覚えて、
整合的な不協和音に専らココロを奪われてる。

Rachmaninoffが好きになり、
Scriabinに癒しを求める。
聞けば聞くほど飽きるどころか引き込まれる。

一筋縄では理解できない複雑さが、カッコイイと思う。


そこでハタと気付く。
レンアイは?

まあそりゃ個人の嗜好なんだろが。
人を好きになる事に関しちゃ益々単純なモノを求めてるような気がする。

元々不器用でヘタな駆け引きなんざ嫌いな性分だけど、
そこに複雑なモンを持ち込めるほど俺は頭が良くないみたいだ。

ハッキリ心の底から真っ直ぐ見据えれるモンがいい。


そういや思い出した。

俺の夢は、CHOPINのSONATAを弾くこと。だったんだ。今でもそうだ。

どんだけ近現代の前衛的な音楽に惹かれても、
結局”一番”憧れる音楽はそれであり続けてる。

根本の想いは、変わらない。

究極的に素直で綺麗な作り。
それはどんな複雑さ精巧さにも優る。

複雑な世界の奥に存在する単純さ。
そこを目指して精進していきたい。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

September 08, 2004

CAP

ウェルチ:『君たち学者肌の連中の厄介なところは、創造性を重んじるところだ。あることを一度やったら、同じことを繰り返すのを嫌がる。しかし私たちはそこまでこだわらない。私が君たちに聞きたいのは二つだけだ。まず、君たちが発見したことは真実なのか。』
カー:『もちろん』
ウェルチ:『では、ウチの社員たちはそれをいま実践しているのか』
カー:『必ずしもいつもそうだとは限らない』
ウェルチ:『それなら、言い訳はやめて、ウチの社員にそれを教えてやってくれ』

LEARNING ACTIONより

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「あなたは誰ですか」

報道ステイシヨンでそんな街頭質問をしてた。

・私は私
・職業
・名前
・・・

とまあ色んな答えがあったけど。
ナンて答える?

俺なら
「○○ △△」 ←俺の本名
って答える。

それが唯一変わらない俺のアイデンティティだと思うから。

まぁなんてーか昔流行った”ソフィーの世界”じゃないけど。

”相手が何を聞きたがってるか”ってな野暮な邪推は置いといて、
要は自分がナンて答えたいかじゃあないかなぁ。

仕事だって、趣味・嗜好だって、思考だって、全て諸行無常。 ←使い方オカシイ?
んでそれらは、”個人追求”の手段・表現に過ぎない。

親からもらった、この名前だけは、いつだって俺を表してる。
どうせ社会的意味における個人なんて自己評価できるモンじゃないんだから、
名前だけゆって後は名前を知ってる奴に評価させりゃいい。

苗字変わるかも、って?
いや今受け継いでるの俺一人だから、これは守る。

だからかまわん。別に夫婦別姓でも。予定ないけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

September 07, 2004

にがり

知らんかった。。豆腐の仕上げ液がブームだったのね。。
痩せる?何ソレ?

テレビで”にがり”の健康被害をやってた。
誤多量摂取で心停止にまでなった人がいるとか。。

下剤にも使われるマグネシウムが多く含まれてるため、
下痢(便秘回復)を促す体重減少は一時的で、
ダイエットとは言えないケースも。。

商品規格もなく、メーカーによって濃度、含有量もまちまち。
値段も数百円~数千円。

お国の健康研究所から異例の”待った”。

ブーム火付け役の教授は、それに異論。
健康食品でなく、食品なんだと。人に必要なんだと。

ちょい待てやオッサン。

確かに日本人は鉄分・ミネラルが不足してるって話もある。
貧血とか記憶力低下を誘引する原因の解消になるかもしれん。

でも、何で「確立」してから出さん??

何でもかんでもとにかくブームに乗りやすい日本人の体質は分かってるやろ。
集団教育を叩き込まれて個より和を尊び周りに同調する民族だって知ってるやろ。
個人危機管理意識が希薄でリスクマネージって概念が普及してないって知ってるやろ。
そんな顧客相手になりふりかまわん商売するメーカがあるって知ってるハズやろ。

新しいモノを世に出す時に、道標とガイドラインを出したらんかい。
皆が正しく走りやすいようにガードレールを作ったらんかい。

研究者にアリガチな”作りっぱなし”。新しいモノを作り出すのに価値がある。

それは確かに素晴らしい。真似できん。
でも、実用化を視野にいれないと、世間に貢献するとこまで持ってけないんちゃう?

MOTの概念だってそこから生まれたハズ。
何のために研究するのかって部分が抜けてる場合がある。

そらいーよ。私的利益の追求でも。個人的興味の探求でも。
でも、
土木分野で公共の利益を前提とした話に浸かってる俺はそれだけじゃいけないって思う。

災害リスクマネジメント。

このところ地震が頻発してる。
勘違いされ全く普及してない「防災」の考え方を広め被害を抑えるために、
さあ出来ることを探していこか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

September 06, 2004

ナサケナサ

ちょっと落ち込んでた。放棄して拗ねてた。

それから、
自身”以外”の見せ掛けマヤカシの要素にばっかし目をやって
ちっとも自分を見据えようとしない自分に気がついて。(何回目だよ。。。)

そこが変わらなきゃ泥沼だってちょっとだけ思えて、
ようやく、ちっと上を見ようって決めた。

だけど、だけど、
そのご大層な気持ち抱えて「実行解」に移そうと考えを巡らせた時に、気付いた。

結局転がり落ちた山を、同じ山をもいちど登ろうとしかできない自分に。
もしくは、同じ程度の高さの、別の、山を。
こんな器しかもってねぇ。。。

俺が憧れるヤロウ達は、苦労もせずその器を見せ付けてるわけじゃない!

変われる実行を伴わないチンケな志なんか価値ない。
地に足つけて地力を高めなきゃ進めるわけない。

誰よりも自分に甘かった。浸ってた。
カッコ悪いコトに気付かなかった。
いつからそんな身分になった気でいたのか。

これは、ちょいと決意。
残された時間を、使うための。

なんの根拠も無くもってた漠然とした自信と「絵」を、
具体的に仕上げるために、
それを真っ直ぐ見据える覚悟と度胸を刻んで、
もっと高い山を登り始めてやる。

俺に勇気をくれるアイツラに追いつくために。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

September 02, 2004

AAR??

「失敗は究極の教師」ってゆうけど、そんな簡単に失敗を冷静客観的に分析できりゃ苦労はない。
(いやまあ苦労はするけど)

失敗にしろ、機会損失にしろ、
どうしようもなく後悔して悔やんで思考が先に進まない時ってのもあるもんだ。

そうゆう時は、
考え込んで落ち込んで落ち込んでヘコんでへコんで、
悩むのがバカらしくなるまで落ち込んでしまへ。
眠れない夜を繰り返すくらい落ち込んでしまへ。

そおすると、初めてちょっと冷静になれる。
失敗は自分が一つ成長できる機会なんだって思える。
次からこおしようって思える。

だからたぶん理屈でどうにか整理するより、
感情で感じる素直さが大事なんだと思う。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

反省と検証・経験による学習

人生は前向きに進むが、理解は後ろ向きに進む

[キルケゴール]

| | コメント (0) | トラックバック (0)

August 31, 2004

日本人

オリンピック総集編でメダリスト達が脚光を浴びてる。
ほぼ毎日朝まで競技を見てたのは、
日本人が活躍するところを見たかったから。

世界の舞台で活躍する”日本人”を、心底、カッコイイと思う。
成果を出してガッツポーズをとる選手を、
鳥肌ざわめき立てながら言葉も無く見つめてた。

だって俺は日本人だから。

一つ思い出す強烈な出来事がある。

カナダへの留学中。
冬休みに各々他の国々を回った日本人の友達とNYで集合してパブへ行った。
そこで挑んだのがペア対抗勝ち抜きプール。

喋ってて分かったのは、必然的にどのペアも同じ国の奴同士ってこと。
アメリカ人に勝って、イタリア人に勝って、
次のイギリス人に、負けかけから大逆転で勝ちを掴んだ瞬間に、

”We are Japanese!!”

って。マジ叫びそうになった。

いや叫んでないけど。叫んだらエライことなるし。
でも、思わず叫びそうになるくらい興奮した。

酔っ払ってたのも、
日本人のダチと一緒に勝ったってのも、
相手がなんか偉そうなイカツイ奴らだったってのも、
3勝目だったってことも、
異国の地で興奮してたってのも、
基本的に俺が負けず嫌いだってことも嬉しい原因だけど。

何で瞬間的にそんなこと思ったのか良くは分からなかった。
ホント理屈抜きで直感的にそうだった。

移民が多く様々な人種に囲まれて勉強してると、
当然いつも自分が日本人だって意識はするんだけど、
胸の奥から一瞬でそんな感情が沸き上がるなんて初めてだった。

それ以来、よく意識する。
んでちょっとづつ深く実感するようになった。
ああ俺って日本で育ったんだなぁって。俺の感情は日本式なんだなぁって。

閉鎖性とか、国際性とか、国籍とか、愛国心とか、公共帰属意識とか、
話がデカクなって止まらないんでそれはまた今度。

でもオリンピック見ててやっぱ思った。
俺も絶対日本人として世界で勝負してやる。

まあ単純に勝負事とスポーツが好きなだけなんだけどな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

August 29, 2004

ラスト4分

あっこでフリースロー2本とも外すかなぁ。。。
せっかくおもろい最期になると思ったのに。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

August 27, 2004

分からなくて当たり前。だから生きる。真理を求める。

集合的過程における意味の役割
人間の意識は、有意味な現実、あるいは知覚可能な現実を経験しようとする根本的な傾向ないし必要性に基づいた、現実構成の象徴的-解釈的過程であり、その傾向ないし必要性は、本質的に多義的な世界とその世界における人間自身の役割についての根本的なあいまいさからきている。
[ペーター・ダハラー]

| | コメント (0) | トラックバック (0)

August 21, 2004

狭義

自分は何が好きなのか。
自分は何をしているのが幸せなのか。

それをずっと意識しながら、
将来を意識して過去を見つめ直し道を決めながら進んできた。

自分の感情すら理解できると信じ、
自身をコントロールしようとしてきた。

そうして信じる方向を定め、自身の”責任”で、
目標へ邁進することが、前へ進む唯一の方法だと思ってた。
それが自分を”信じる”ことだと思ってた。


誤りだったかもしれない。


きっかけは、感情的なヒトとの論争。

よくある話だが、
人間は新たに見るモノを、過去の経験・記憶に照らし合わせて、
理解できる範疇に納めようとするらしい。

怖いんだ。未知のモノが。

自分を理解しようと、
心の中を正直に覗き込み見回したところまでは、よかった。

将来への道標にしようと行った分類・整理・ラベリングが、
究極的に見ても”自然”だったと言えるんだろか。

そもそも有限な言語を基調に分析を行う事自体が歪を内包しているのかもしれない。

いつのまにか、狭い世界へ、自分を、追いやっていたのかもしれない。

それ以前に、自分の感情に自信が無いのかもしれない。
誰もが通じる理屈をこねなければヒトと話ができないと思ったのかもしれない。

でもそこから不自然が生じた。そう感じた。

大事なのは多分、バランス。

感情だけでヒトと話ができるわけない。
理屈だけでヒトが説得できるわけない。

そもそも純合理的な世界なんて、俺が一番キライなものじゃなかったか?

俺が大好きなある友人は、
英語でコトを表現する。実に上手く。
日本語には無い、その表情。

まず、自分を広げるところから始めよう。
改めて。
そして感じるトコロをもっと大事に。

モノ知り顔で世の中を分類するにはまだ早い。

豊かに、なりたいと思う。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

August 14, 2004

ちょっとした休日


嬉しいことがあった

| | コメント (0) | トラックバック (0)

August 12, 2004

目を向けるのは先or後・・?

「最近変わった。昔のお前のが良かった。前みたいに戻れよ。」

って言われたことがあるだろうか。
恋人でも。友達でも。

でも、俺はこう言う。
「前に戻ることにはナンのイミもない。」
「これからの俺が、イイって言ってもらえる方向に行くよう頑張る。」

そして、今の俺を説明する。
状況依存的な相手の意見と、背景に持つ自分の軸を。

個人的には、昨日より今日、今日より明日を輝かすつもりでやってきてる。
そこには、
不明確で言明すら不可能ではあるが、一つの基準を持っているつもりだ。

憧れる姿。
たどり着きたい信念。

もちろんそれは時と共に移ろう環境と共に可変ではある。
いつからそれを持ち始めたかもはっきりとは分からない。
しかし、
ある程度の変化域を保ちながら、”真っ直ぐ”前を向いてる。

昔を振り返るのは、参考程度でいい。反省程度でいい。

今を吸収して、必ず過去を超えてやる。
昔よりもっと良くなった、って言わせてやる。

自分が信じる”前”を向くことが、唯一自分にできることだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

気持ちの行き処

どーやって決めていいか分からない。

過去に縛られるつもりもないつもりだったけど。
頭から離れない事象は何が風化させてくれるんだろか。

昔はもっと早く忘れることが出来た気がする。
重さの差、程度の差かな。
もしくは、ヘタに賢くなった思考のせいか。

いいトコ悪いトコ。
どんな相関係数用いても比較しようが無い時。
どんな物差しも直感的に当てはまらない時。

決め方は。。。

タイミングとかヒトはゆうけど。
鈍くなった頭には。
勇気すら持てない。そもそも勇気ってナンだ?

”決める”って考え方すら間違ってるのかも知れない。

こんな風に迷えることも幸せなんかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

August 11, 2004

生きるってコト・・

ヒトに会う度会う度圧倒される。

新しいヒト。
出会いも1回目より2回目。そして沢山。

どんなヒトも、俺の想像をはるかに超えたトコロにいる。
でも、生きてきた道のりが違うんだから。で済ませちゃもったいない。

「なんで生きてるんだろ?」の問の答えは、
「人と会うため」であってもいいと思う。

そして「出会ったヒトとその出会いを大切にするため」。

さらに「そこから自分が上に伸びていくため」。

それってナンだ?って言われるかもしれないけど。
それは人それぞれあっていい。

ただ、
そうつぶやいてみた時に、
共感、反感、
色々出てくるような人とのつながりの中で生きていきたいと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

August 10, 2004

経路依存性

縛られる必要は、けしてないけど。

これは多分本質。

特殊な跳躍を除く限り、現在は過去の延長・産物。

素敵な未来を産み出すには、過去よりたぐれる現在が有意味。

先を見据える意味を、今一度問い質す必要がありそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日焼け

よーするに海行ったんさ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

August 09, 2004

・・・

この歳になっても恋に恋することってあってもイイと思う。

それがたとえ自発的でなく、他人に当てられて感じるモノであっても。
感じる心ってそんなモンだろ。
相対評価でしかモノを計れない心理状況だってある。

自由で縛られないココロだって誰かの専売特許じゃない。

だけどドコにナニを探しに行くかは自分次第。
いつでも動けるように布石を打っておくことが大事。

自分のココロなのに、
自分で納得させることができないのは何故だろう。

たぶん、
自分じゃ持てない何かを常に憧れるからなんだろう。

上にいきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

August 06, 2004

早朝

アサイチのバスに乗った。

生き物が存在しない無機質な世界が車窓を通じて流れていく様は、
白み始めた光の様相も相まって、
生まれる前から知っているような不思議な懐かしさを感じさせた。

綺麗だとすら感じたのは、
おそらく3時間もすれば人と車の喧騒に満ちた世界になることを知っていたからだと思う。

活気と流動性を産み出す力を内に蓄えじっとその時が来るのを待ち構えている。
私もそんな世界で生きていきたいと願っている。

ひたすらじっと無機質なままでいる世界であれば、
その見栄えがたとえ同じであろうとも、
あの魅力は感じなかっただろう。

知っていたことが全て。

願わくば、
ヒトの想いが、
生きる世界とリンクして、
お互いつながっていることを実感できる世界を、
懐かしさと新鮮さを同時に感じられる世界を、
築き共有していきたい。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

July 30, 2004

.de

1ヶ月以上前、読めもしないのにamazon.deで買い物した。
独語。
なんとか勘で最後まで手続きした。
VISAのナンバ打ち込むのに勇気が要った。

「翻訳サイト使えば?」
って後日さらっとつっこまれて世の中便利だなぁと思った。

先日届いた。半分、無事に。
2枚セットのハズが1枚だった。

届いてたメール、翻訳サイト使ってもっかい読んでみたら、
もう1枚は見つからなかったらしい。

っておい。
そっち本命やがな。

なんとなく2枚がお徳だからもう1枚追加したのに。

でもそれも良かったからちょっとご機嫌。
予期せぬボタモチ降ってきた。

”Eternity Rites”の「DARGAARD」。
幻想的ですごくいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブログ始めてみました

たまーに独りで強く想うこと。

それを外に出してもいーんじゃないかと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)